小学生5年生と松尾芭蕉
俳句を始めて2年ほど経った。きっかけはご多分にもれず、テレビ番組『プレバト』の俳句コーナーだった。あるとき、いつものように、夏井先生の添削が入り、いろいろなひとの句が鮮やかに立ち上がっていくさまをみていると、突然、自分でも作ればいいじゃないかと思い立ち、いまにいたる。
思い返すと俳句を作るのは初めてではない。小学5年生のころから気まぐれに始めた。中学生のころにはぎりぎりまで推敲したものを大会に投句もしたが、あっけなく落選してしまった。それ以後、細々と続けていたものの、他のことに興味がうつったこともあり、いつのまにかやめてしまった。
そもそも俳句に興味をもったのは、たしか、中学校を受験するときに、俳句と短歌のミニ参考書を買ってもらったときだった。一読した後は、本来の目的を忘れ、毎日のように見返しているうちに、気が付けば好きな句を覚えてしまっていった。
五七五のリズムが気に入った記憶はあるが、なぜそんなに俳句が好きになったのかははっきりしない。ともかく、当時は目にした句を口ずさみ、図書館で小学生向けの入門書を借り、自分でも俳句らしきものを白い紙に書いては、雑誌の付録のクリアファイルに綴じていた。
そんな中で、小学生のわたしは松尾芭蕉の句をいたく気に入っていた。シンプルで格好いいと感じていたのだ。ただ、他の句との違いがわかっていたのかは怪しい。意味さえもよくわかっていなかったけれど、とりあえず口に出しては悦に入っていた。おそらく、小学生にありがちな勢いと単純さで「松尾芭蕉スゲー」と思っていたのだ。
それだけでは飽きたらず、わたしが住んでいたところからは地下鉄を乗り継がなければならない場所にある松尾芭蕉記念館に行くと言い出した。ひとりで電車に乗った経験は2駅先までで、すぐ道に迷うたちだというのに、ひとり旅にあこがれていたわたしは、このときばかりは強めに主張していた。
結局、記念館には父親が同行することになった。なぜか父親は幾分、乗り気だった。駅から降りると、川から穏やかな風が吹き、うすい水色をした空がどこまでも広がっている。軽く駆け出すわたしを父親が急ぎ足で追っていた。
目当ての展示をひととおり見学し、来てよかったと浮かれていた。お昼には深川飯を食べた。濃いめの味に炊かれたあさりが入りのご飯はもちもちしていた。味噌汁におしんこ、いくつかの小鉢がついていた。おなかが満たされ、疲れも大して感じず、家に帰ったわたしは満足気だった。
しかし、そこにどんなものがあって、何にどう感動したのかはほとんど覚えていない。ネットで検索して写真を見ても、記憶とつながらない。いまとなっては芭蕉の像があったような気がするというぼんやりとした印象しか残っていない。
小学校5年生のわたしが、あの場所で心躍らせた理由を現在のわたしはもう知ることはできない。そして、松尾芭蕉の何が当時のわたしをいわゆる聖地巡礼にまで駆り立てたのかも不明なままなのだ。
※2022/9/13 一部修正しました。