便宜上の同担拒否
"同担拒否"と言う言葉がある。
多くの人に、その言葉は悪いイメージで捉えられているだろう。そう思う。
"同担拒否"と聞いて、どんな人を思い浮かべるだろう。
同じ"推し"を好きなオタクに攻撃する?罵倒する?……いや、確かに、中にはそんな人をいるのだろうけれど、みんながみんなそうなわけじゃない。
私は、夢女子だ。そして、"同担拒否"だ。
だからと言って、自称嫁や同担を攻撃することはない。
何故なら、彼女たちとは永遠に同じ土俵に立つことがないからだ。
私には私の、"推し"がいる。
それは、史実に基づいて形成された、私だけの、"推し"だ。所謂、理想の"推し"そのものだ。
当たり前のように、他のファンが思い描く、その、"推し"とは、別人なのだ。
私は、Fセクとして、"推し"という存在と、共に日々を歩んでいる。
その"推し"は、他人の描く"推し"とは、全くの別物で、つまるところ、私と他人の考え方は永遠に交わることがない。
私には私の"推し"、他人には他人の"推し"。それを踏まえて、解釈違いを受け入れられずに、"同担拒否"を名乗っている。
押し付けられるのが、嫌いだ。
ある日言われた、「"推し"は受けですよね」と言う言葉が忘れられない。
受け、とは?私の大切で大好きな"推し"は、同性愛者でも、ネコでもない。何をもって、貴方は、"推し"を"受け"と言えるのか?
私の考えも、相手の考えも、間違ってはいないのだ。いや、何れも、間違っているのかもしれない。
同じ人が好きでも、捉え方は様々で、だからこそ、同担とは仲良くなれない。厄介オタクの私は、そう思う。
これからも、"同担"に価値観を押し付けられることに怯えて、私は"同担拒否"を自称していく。
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