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戸田 隆矢/トッティー檸檬

法人名/農園名:トッティー檸檬/合同会社MINATO
農園所在地:広島県東広島市
就農年:2022年12月
生産品目:レモン
HP:https://minatotty.com/
TikTok:ゼロから始めるレモン農家計画

no252

「野球を辞めたら何が残る?」広島カープからレモン農家へ転身。安芸津レモンを広めたい!

■プロフィール

 兵庫県神戸市出身。中学時代から神戸須磨クラブでエースをつとめ、スポーツの名門・鹿児島県の樟南(しょうなん)高等学校に進学。2年生からエースとして活躍する。
 
 2011年10月、プロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受けて入団。
 2012年は2軍で11試合に登板し、1軍に初昇格した巨人戦では敗戦。
 2014年7月、横浜DeNAベイスターズ戦で初勝利を飾る。 
 2015年には自己最多34試合に登板。

 2016年には阪神戦でプロ初完封をマークする活躍を見せるが、独身寮で転倒して左手の靭帯(じんたい)を負傷して以来、慢性的な左肘の痛みに苦しみ、1軍登板数が減少。
 
 2020年、靱帯の再建手術を受けた後、1度目の戦力外通告と同時に育成選手として再契約を結ぶことを合意。
 リハビリ後の2021年に再出発に挑むが、2022年も1軍での登板はなく、10月に2度目の戦力外通告を受けて現役引退を表明。
 
 同年7月には妻と結婚し、8月第一子誕生。現役引退を表明した後の2022年12月、東広島市安芸津(あきつ)町でレモン農家になることを宣言。

 2023年、妻と合同会社MINATOを設立し、レモン生産と同時に、野球指導の教室や動画配信事業にも携わっている。

■農業を職業にした理由

 広島東洋カープで過ごした11年間のプロ生活で、通算95試合11勝7敗1セーブという成績を上げるが、左肘の靭帯をケガした2016年以降、登板機会が減り、2022年に現役を引退。
 
 2020年に左肘の靱帯を再建する手術を受けたあと、リハビリに励んでいた期間中はいつも「これまでの人生はただ野球が好きで続けていただけで、仕事だと思ったことはなかった。でも手術して治らなければどうしたらいいのだろう。野球が終わったら自分には何も残らないのではないか」とセカンドキャリアについて悩むようになった。
 
 その当時、小学校時代の同級生だった稲垣将幸クリスさんが、独立リーグの香川オリーブガイナーズでの選手生活を辞めた後に、有機農家を目指してネギやキャベツ作りの研修をしているところへ訪ねたことがあった(クリスさんは2024年現在、神戸市で農業をしながら、有機レストランを経営し、農業体験や民泊事業を行なっている)。
 
 生き生きと楽しそうに働く幼なじみの姿に刺激を受けて、子供のころから動物や植物を育てることが好きだったことも思い出し、「引退後は農業もいいな」と考えるようになった。
 
 自分自身は神戸の出身だが、昔から田舎暮らしに憧れていて60代になったら趣味のDIYを楽しみながら、自給自足の生活をしたいなどと夢見ていたこともあって、「自然のなかで体を動かすことが好きだし、作物を自分で育てれば、食べ物には困らない。現役を引退した後は、やりたいことをどんどんやって、ワクワクすることに挑戦しよう」という思いがあった。
 
 2度目の戦力外通告を受けた2022年にも、指導者になったり、企業に就職することもよぎったが、この年の7月に結婚した妻が美容関係の仕事をしていることもあって「いつかレモンでオリジナルの美容アイテムを開発したい」と話していたことと、実業家の知人が「引退したら一緒にレモンの栽培をやらないか?」と誘ってくれたことに不思議な”縁“を感じて、導かれるようにレモン農家になることを決意。
 
 農業の知識はゼロだったが、調べたところ、レモンは日当たりが良くて温暖な気候であれば、害虫もつきにくく、初心者には育てやすい植物だとわかった。レモン栽培を誘ってくれた知人の紹介により、広島市から25kmほど離れた安芸津町で、瀬戸内海を一望できる丘の上のジャガイモ畑を農地にすることを決めた。
 
 安芸津町は鉄分の豊富な赤土で栽培した「マル赤馬鈴薯」が有名で、それ以外の作物を作るなんて本気か?と最初はまわりから心配されたが、2014年に千葉から移住して、レモンやジャガイモを作っている甲斐農園の甲斐直樹さんが指南役として名乗りをあげてくれたことから、町の人にも協力を呼びかけてくれて、草刈りのボランティアを集めてくれたり、農機具を貸してくれたり、土壌改良にも協力してくれて、40本の苗木を植え付けるところまで漕ぎつけた。
 
 レモンが収穫されるまでは最低でも3〜5年はかかる。現在、畑に訪れるのは草刈りや水やり、肥料を撒いたりするなど、週に1〜2回程度だが、最初に植えた時は1メートル足らずだった苗木が、1年ほど経った2024年現在は、自分の背丈と変わらない180cm近くまで大きくなった。農地を訪れるたびに、成長する姿が目に見えてわかるのが嬉しいという。

■農業の魅力とは

 まわりの人たちには本当に支えられています。
 
 広島の人たちは、広島カープへの思い入れが他とは比較にならないほど熱いので、「トッティー(選手時代の愛称)がレモン農家になるんだったらみんなで応援しなくちゃ!」と、多くのボランティアが草刈りなどに駆けつけてくれました。
 
 広島は「瀬戸内レモン」や「広島レモン」のブランドが有名で、全国のレモン生産量の半分を占めています。安芸津町でも、甲斐農園さんをはじめ、十数軒の農家がいるのですが、認知度はまだまだ。
 
 一般的には「マル赤馬鈴薯」のブランドが先行していますから、地元のレモン農家は「安芸津レモン」の認知度を広めて、販路を拡大したいと願っているので、僕には広告塔の役割も期待されています。
 
 レモンの成長は時間かかるので、今は出荷できるものはありませんが、ほかの事業で収益化しています。そのひとつがシロップ開発。

 販売先に困っている地元で作られたレモンを買い取って、果汁を使ったシロップを開発。イベントなどに出店して、レモンスカッシュやレモンサワーを販売することで、安芸津レモンの普及も行っています。
 
 シロップといっても、あっさりした爽やかな味もあれば、ハチミツの量を調整した甘めの味、果実や皮を入れたりして、さまざまな風味を研究しました。

 開発にあたっても、いろいろな人にお世話になっていて、広島で農業をやっている俳優のさいねい龍二さんには、加工場をお借りしてシロップの試作に協力してもらいました。加工生産は、地元のスーパーマーケットチェーンの「フレスタ」さんと契約して大量生産を行なっています。

 レモンは、果実から皮までジュースや料理、調味料まで余すところなく使えるのが最大の魅力です。広島カープの選手だったからこそ応援してもらっていますが、農業の素人の僕を受け入れてくれた安芸津町に恩返ししたい。

 それから、若い人たちには僕の活動を通じて農業の魅力や、農業を通じて人生って楽しいと気づくことができる活動をしていきたいので、大手旅行会社と提携して農業体験ツアーも企画したことがあります。
 
 僕は戦力外通告を2度受けましたが、その間、2年間の猶予をもって、セカンドキャリアについて考える時間にあてられました。そういう意味でも球団とカープファンには感謝しています。

 少年少女に野球を教えたいし、動物愛護の活動にも力を入れたい。野球選手を辞めてからの人生が豊かになるよう、いろいろなことに挑戦しています。 

■今後の展望

 農業の知識がありませんから、甲斐さんには"おんぶに抱っこ"の状態で、現在はいろいろな知識を詰め込んでいます。
 
 元ジャガイモ畑だった赤土をレモン栽培用に土壌改良するために、重機を貸してくれたり、畜産農家から堆肥を譲ってもらったり、甲斐さんが僕のことを安芸津町の人たちに紹介してくれたおかげで、いろいろな人に気にかけてもらえるようになりました。
 
 甲斐さん自身が、千葉から移住してきて引退する農家から畑を引き継いで新規就農した人なので、外の世界から入ってきた僕の気持ちはすごく理解してくれます。苗木も一緒に選んでくれましたし、僕が「無農薬でやりたい」と相談した時も「レモンなら大丈夫だよ」と背中を押してくれました。
 
 畑を開墾する動画や、レモンスカッシュを販売している様子をSNSに投稿することで、安芸津レモンに興味を持ってくださる人たちが増えています。苗木40本からのスタートなので、今後は少しずつ増やしていくつもりですが、「トッティーレモン」を欲しいという広島の人に確実に届けるためには、通販などで直接販売するのがいいのかな、と考えています。
 
 また老後は田舎で自給自足の生活をすることにも挑戦したいので、ジャガイモやニンニクなど食べられるものを作るのもありかなあ…、と夢が膨らみます。
 
 現在も福岡のショッピングセンターに出店して、レモンスカッシュを売ったりしていますが、将来はやはり自社農園で栽培したレモンを材料にして、思い出の詰まったマツダ スタジアムでトッティーレモンの商品を出したい。同時に、安芸津レモンの認知度拡大にも力を入れて、いつかは海外にも進出したいと考えています。

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