阿部 陽介/水菓子屋乃介
温かな雰囲気で歓迎してくれたOSINの会。3カ月で移住・就農を決意
■プロフィール
神奈川県出身。高校卒業後、プログラマーや電気工事などさまざまな業界を経験したのち、30才になった2007年、社長と二人でソフトウェア開発会社を設立。
エンジニア兼マネージャーとしてプロジェクト管理などを担当したが、事業縮小に伴い、7年間勤めた会社を退職。次は、自分自身の判断でできる仕事がしたいと起業を考えていた矢先に、妻の「田舎で暮らしたい」という要望を聞いたことがきっかけで、農業分野で情報収集を開始。
「新・農業人フェア」に参加していた山形県大江町の新規就農受入組織「OSIN(おしん)の会」と出会い、3ヵ月後には移住を決めた。阿部さんは、二人のスモモ農家の師匠の元で、1年ずつ研修を終えたのち、引退する農家から、スモモとラ・フランスの農園を30a借りて独立。
栽培品目を少しずつ増やしながら、後輩の就農者と共同で「水菓子屋乃介」を立ち上げ、共同販売をスタート。現在は、OSINの会のメンバーの一員として事務局を担当し、移住者や新規就農者の相談に乗るなど、将来の大江町を支える人材育成に力を入れている。
■農業を職業にした理由
東京でIT系企業を立ち上げ、中間管理職として活躍するうちに、「自己責任で完結できる仕事がしたい」と起業を志すようになった。
脱サラ後は和歌山県の温泉民宿を買い取って経営することなどを考えていた時に、妻から「新しく仕事するのなら田舎で暮らしたい」と聞く。そこで全国の自治体や農業法人が集まる「新・農業人フェア」に参加したところ、どこよりも熱心に勧誘してきたのが山形県大江町の「OSINの会」だった。
祖父母が山形出身ということもあって興味を持ち、現地を訪問。先に移住して農業を始めた人たちから体験談を聞いたり、畑を見学したりとアットホームな雰囲気で歓待してくれた人々に魅力を感じて、3カ月後には移住していた。
研修期間中は2人の受入農家について、1年目は農家として生きるための体づくりを中心に、2年目はスモモやラ・フランス、さくらんぼの栽培技術を学んで独立。
OSINの会の斡旋で、引退する高齢農家から、成木化したスモモとラ・フランスの畑を30a分借りて農業を始めたが、同時に軌道に乗るまでの収入を確保するために、ブロッコリーなどの露地野菜と水稲にも挑戦して、農閑期がないよう、複数品目を栽培するようにしている。
大江町は、NHKドラマ「おしん」のロケ地になったことで知られる最上川流域の田園地帯だが、農家の高齢化が進むなか、後継者の育成やスモモの産地拡大などを目指して、2013年に就農研修生の受入組織が発足。
関東や東北など県外からの移住者を受け入れ、ブランド品種の果樹の栽培が学べるほか、2年間の研修期間中は、住宅費や光熱費など生活面での手厚いサポートが受けられる。独立後も農地の斡旋や契約のほか、作業所や農機具の共同利用といった支援体制が充実している。
■農業の魅力とは
大江町には「サンルージュ」を育種した渡辺誠一さんをはじめ、ブランド品種を生み出したスモモ農家がたくさんいます。
私も彼らのもとで研修を受けたので、生育スピードや出荷状況がわかるスモモからスタートしました。研修期間中は、早く独り立ちしなければと焦っていましたが、学んだ知識や技術を経営に活かせるようになるには2年間ではとても足りません。
でも独立時も、OSINの会に所属していた農家から、すでに成木したスモモとラ・フランスの畑を斡旋してもらったので、農地の確保には困りませんでしたし、その後も引退する高齢農家から少しずつ借り受けて、今では生産規模が就農時の10倍以上の4.1ヘクタールに拡大しました。
独立してからも、師匠が巡回に来てくれますし、何か困り事があれば、すぐに相談できるので安心です。
それでも、果樹は害虫対策が難しいので、自分なりに満足できるようになったのは、就農から4年が過ぎた2020年でした。5年目からはサクランボ、2021年からは桃の出荷も始めています。
私の作る果物は見た目も味も師匠にはまだまだ遠く及びません。農業は気候や害虫の影響を受けるので、毎年毎年が勉強ですが、不測の事態に備えて対策しておくことでリスク管理も可能です。前職では部下の管理に苦労しましたが、人間より果樹の方がよっぽど素直だと思います(笑)。
お客さんに喜んでもらうことも嬉しいのですが、私は栽培管理が結果に結びついた時にやりがいを感じます。そういう意味で、農業は自分が行ったことが、収穫や売上などの結果に数字として現れるところが魅力です。
最近では10年日記というアプリがあるので、生育段階や収穫量、売上などの記録を年ごとに比較し、自分が足りなかった部分と成長した部分を可視化することが、モチベーションにつながっています。
■今後の展望
現在は後輩の移住就農者の女性と一緒に「水菓子屋乃介」という屋号で、果樹の共同販売にも挑戦しています。
OSINの会は会員同士で助け合うアットホームな環境が魅力で、設立から10年間に20人の農家が独立、移住者も60人に増えました。
市場などの取引先にとっては、若い農家がいる産地の方が将来性があるので優遇されることから、産地として生き残っていくためにも、これからももっと若手を増やしていかなければなりません。
県外からの移住者の僕らが今、こうして農業ができているのも、受入農家である師匠たちがよそ者が地域社会に溶け込めるよう、公私にわたってさまざまなフォローをしてくれたおかげです。
それは栽培技術を教えてくれることだけではなく、例えば、親睦会でのお酒の飲み方とか、ソフトボール大会に誘っていただいた折に触れて、町の状況を教えてくれたり、僕のことを町の人に紹介してくれたりして、地域社会に受け入れてもらうよう働きかけてくれました。
今度は僕らが先輩農家として移住者を導いていかなければならないと思っています。
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