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適応障害とわたし@2020/5/29

やばやばのやば。
最近、気温が高くて普通の羽毛布団だと暑いし寝苦しいから、薄手で涼しい羽毛布団に替えた。
やっぱり夜中に目は覚めてしまうけど、寝つきの悪さはすこし和らいだ。

だからちょっと油断してた。朝に目が覚めても寝心地が最高だから惰眠をむさぼりまくる。
そして週の終わりの金曜日。
見事に布団の誘惑に負けて寝坊してしまった。
時刻は7:50。あと1時間もしないうちに朝のzoom会議が始まる。それまでに朝のストレッチとプロテインを飲む、ブレイクタイムを済ませなければならない。

ただ、焦っても昨日のように心を取り乱して自我を見失ってしまいかねない。だから今朝は、ちょこっと朝のストレッチの回数を減らした。いつもは腹筋と腕立て伏せ70回のところを50回くらいにした。まったく運動しないよりはマシだろう。
いつも朝食はプロテインとサプリメントだけだけど、今日は久しぶりにハイカカオチョコも食べた。週の終わりの金曜日だからこそ、体に喝を入れないと。

仕事が始まるまで、あと20分弱。
歯磨きして着替えた後、窓辺に座りこんでハーブティーを飲みながら日光浴を楽しむ。体中のセロトニンをあふれるくらいまで増やさないと!
窓辺に座りこんでると、行儀は悪いけど猫の気分になれるから最高。生まれ変われるなら、絶対に人間以外がいい。特に猫。本能のおもむくまま、自分の気持ちに正直に生きられるから。人間は猫のように上手くいかないからね。

8:50にPCに電源を入れて、zoom会議に参加する。すると、今朝は関係者のみでの会議とのことで即刻ミーティングから追い出された。はよ言えや。
でも、なぁんだ!朝っぱらから焦る必要なんてなかったんだ!やったぁ!今日はのんびり仕事ができる!
週の終わりの金曜日。残されたエネルギーは、明日のYouTubeラジオに回したい。
だから今日は6割、いや4.5割のエネルギーで仕事することにした。今の作業は完全にわたしのペースで進められる。完全にgoing my wayだ。
さっそくおやつ置き場からビスケットとハイカカオチョコをPCの横に用意し、ハーブティーを淹れる。昨日買ったセレッシャルのラベンダーハーブティー。芳醇で香り高いティーバッグに、思わずほぉっ…とため息まじりの声が出た。

イヤホンを耳に突っ込んでSpotifyからお気に入りのプレイリストを再生。さぁ、仕事開始。
今日はレビューしてもらった資料の手直し。でも指摘が一言で済まされてて、意味を噛み砕くのに時間を取られる。質問しようにもレビューしてもらった先輩社員、今日休みだし。
いいや!今日は修正できるところだけ修正して、資料作りを再開させよう。

で、1時間半くらい経過したころ。
ちょっと休憩がてらTwitterを開いた。すると、タイムラインにうつ病や適応障害、休職中の悩みや不安のつぶやきが目に入った。
それらを見て、いても経ってもいられなくて、思わずリプを送りまくってしまった。だって放っておけないんだもん。まるで過去の自分のようだったから。
別に同情とかじゃない。その人から見返りを求めてるわけでもない。ただ純粋に、その人に自分で自分の命を可愛がってほしいから。

人間とは、オギャーッと生まれた瞬間から死に向かって進んでいく生き物。これは誰しも平等に与えられた使命であって、当然ながら逃れることは許されない。そして、自らの手で命を絶つことも許されない。「楽になりたい」と思って自分の命に手をかけて亡くなった人は、絶対に死後の世界で楽にはなれない。
なぜか?それはわたしにも分からない。だけど、何故だかそんな気がする。

世の中はお金や地位、名誉の先に自分の幸せがあると思ってる人がたくさんいる。そして、自分の幸せのために平気で他人の心を踏みにじったり、罵倒したり、果ては人格を否定する。言葉で罵ったって徳が積めるわけでもないのに、なぜ人は平気で人を傷つけるんだろう?

仕事が終わった後、この前買った植松さんの本が届いた。

“思うは招く”
植松さんのお母さんが「思う」という行為が、状態を「招く」と中学生の植松さんに教えた言葉。
わたしは植松さんと出会ってから、この言葉が大好きになった。

“思うは招く”という言葉は、言霊と同じだ。
自分の心の中で夢を言語化して、周囲に「こうなりたいなぁ」って言いふらせば、本当に夢が叶っちゃう。
わたしもずーっとラジオが大好きで、死ぬまでに絶対に自分のラジオをやる!ってnoteの日記やTwitterでつぶやきまくってたら、明日YouTubeで生配信できるようになった。おたよりも寄せてもらえた。

今、休職中で毎日泣いてばかりいたわたしと同じように苦しんでる人に自分を甘やかす力を与えてあげたい。「何もできなかった」と悲しみながら眠りにつかないようにしてあげたい。「今日もたくさん眠れたな」とか「今日はいっぱい泣けてよかったな」と思えるようになってほしい。
少しでもわたしのラジオが、そのきっかけ作りになってほしい。
それならば、わたしのやるべきことは決まってる。明日のYouTubeラジオで、みんなの苦しみや悲しみをやさしく受け止めてあげること。否定なんか絶対しないし、決してリスナーを突き放したりなんかしない。一言で表すなら、言葉のフリーハグをしてあげること。

誰だって悩みや不安はある。
でもこのご時世、なかなかネガティブな言葉を解放させてくれない。Twitterにつぶやいたところで、怒りや苦しみは解放されない。だから人はどんどん不安や悩みを募らせて、いつしか本当の自分が分からなくなってしまうんだ。

わたしは、そういう人たちに必要とされる存在になりたい。めいっぱい甘やかして、褒めて、抱きしめてあげたい。
「ラジオでフリーハグをしてあげる」というのは、ちょっとヘンテコなワードかもしれないけど重要なコンセプトになる。

よし。明日のYouTubeラジオ、やさしさMAXかつ素の自分で挑むぞ。

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