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【Footballの話】FIFAワールドカップQATAR大会雑感(その2 監督編)

 4年に一度のフットボールの祭典!
(その1 歴史編)では、「日本代表が強豪に勝つにはの答えは出たが、ベスト8に行くにはの答えは出ていない」と書きました。


答え合わせ?

強豪に勝つには

 日本を格下として見下してくれることが条件だと考えます。そこに油断が生まれるから、徹底的に弱者の戦いをしてその油断を突く。
 今回、日本を見下したドイツとスペインに勝ち、逆に日本が見下した(少なくとも、勝点3を取りに行った)コスタリカに負けたのは、偶然ではないと思います。

ベスト8に行くには

 本記事稿公開時点ではラウンド16のクロアチア戦の結果が出てませんが、仮に負けても前回より近づいたとは言えるでしょう。
 ポッド1とポッド2に勝ってグループリーグを首位通過した時点で、新しい景色を見ていることは確実です。

 筆者が考えるのは、必要とする条件が全て揃った監督に出会うこと。歴代の日本代表の監督の選び方を考察して、その条件を探ってみたいと思います。

幻の代表監督3人

 ワールドカップ本大会で采配を見たかった日本代表監督を、個人的に3人選んでみました。その前後の過程を見ると、代表監督に必要な条件が出てきます。

3位 パウロ・ロベルト・ファルカン

 「ドーハの悲劇」のハンス・オフトは、日本代表をアジアの強豪レベルに押し上げてくれました。
 しかし、オランダ人オフトは選手としてワールドカップに出場した経験がありませんでした。
 つまり、このころのテーマは「世界を知る監督」です。世界との距離感が分からないと、逆算して強化することができないということです。

 ワールドカップに出場した経験のある監督を。その基準で選ばれたのが、ブラジル代表の主力選手だったファルカンでした。

 しかし、選手としては一流だったファルカンですが、日本代表監督としては成績不振のため1年弱で解任されてしまいます。
 経験豊富な監督であれば、前任者のチームから少しづつベテランを外し、代わりに自分好みの若手選手を加えて、入れ替えていくものです。
 しかし彼は一気に選手を入れ替えてしまい、結果を残せませんでした。

 彼が選んだ選手には、例えばサイドバック岩本輝雄いわもと てるおやアタッカー前園真聖まえぞの まさきよなど、個性のある若手が多かったと記憶しています。

2位 ハビエル・アギーレ

 ファルカンが目指したのは最先端のプレッシングでした。彼のあと、それを日本向けに応用していた日本人の加茂周かも しゅう、そして加茂ジャパンのコーチだった岡田武史おかだ たけしとつないで、1998フランス大会を終えます。

 つまり、世界標準の戦術がテーマとなっていて、世界を知っている監督であることは相変わらず未解決のままでした。

 そこで、監督としてワールドカップ本大会の経験がある外国人ということで、フランス人フィリップ・トルシエが選ばれました。
 トルシエ・ジャパンは2002日韓大会で初めてベスト16に進み、いまだに歴代最強だったと考える人も多いと思います。

 しかし、オフト、トルシエというヨーロッパ人監督たちはチームの規律にうるさくて、協会(JFA)も選手たちもやりにくさを感じていたようです。
 川口能活かわぐち よしかつ中村俊輔なかむら しゅんすけ中田英寿なかた ひでとし、そして小野伸二おの しんじら黄金世代が円熟期を迎える2006ドイツ大会では、のびのびとプレーして個の力を生かすブラジル型が合う。
 と、当時のJFAが考えて、親日家であったジーコを監督に選びます。

 つまりこの時代のテーマは、「世界も日本も知っていること」だったことになります。

 ただし問題は、いくら個人技が優れていても戦術の劣るチームが勝てる時代ではもはやなくなっていたということです。
 結果論ではありますが、ブラジルは2002年日韓大会以降は優勝から遠ざかっていました。
 そしてJFAもそのことに気づき、その後はずっと、戦術に優れたヨーロッパ人監督を呼ぶことになりました。

 2014ブラジル大会ではイタリア人アルベルト・ザッケローニが、日本に合う戦術を徹底的に磨きます。
 この大会では、「戦術のあるチームは確かに強い」が、「応用力のないチームは勝てない」ことを学びます。

 その教訓から、2018ロシア大会に向けては「戦術も応用力もある」ハビエル・アギーレヴァイッド・ハリルホジッチが選ばれたわけです。

 アギーレはメキシコ人ですが、スペインリーグで結果を出していました。ボスニア人ハリルホジッチはフランスで選手でも監督でも活躍。二人とも代表監督歴もあります。
 しかし、結果的には二人とも途中で解任されました。筆者は「日本という国を知らなかった」のだと考えます。

 二人の戦術の共通点は、トップ下を置かない4-3-3または4-1-4-1と呼ばれるシステムです。
 そして当時のスター選手である香川真司かがわ しんじが最も輝くのは、トップ下のポジションでした。

 これは勝手な想像ですが、「香川真司が背番号10を付けて、どうしてもトップ下で試合に出てもらいたい」人たちがいたのではないか。
 つまりスポンサーや広告代理店の暗躍で二人は解任されたと、筆者は信じています。それが「日本という国」だからです。

 そのため、テーマは再び「日本を知る監督」になりました。

1位 イヴィツァ・オシム

 ここまで順を追って読んでこられた方は、途中が抜けていることに気づかれたでしょう。
 ジーコのあと、2010南アフリカ大会を目指す監督はボスニア人のイヴィツァ・オシムでした。

 正直なところ、「本大会で采配を見たかった監督」という括りでは、オシム氏が断トツの1位です。

 彼こそ、日本代表監督が必要とする全ての条件を持った、つまり「戦術も応用力もあり、世界も日本も知っている」監督でした。

 しかし神様のいたずらで、「健康」だけが足りませんでした。

現在地

 それから10年余り。森保一もりやす はじめ監督はどうなのか。

 まず健康は問題なく、日本のことはもちろんよく知っています。
 世界を知っているかは微妙ですが、少なくとも前回大会はコーチとしてベンチにいました。東京五輪監督を兼任して経験を積んだこともプラスに働くでしょう。

 戦術は、4年間かけて練り続けました。
 強豪相手には1トップに快速フォワードを置いて鬼プレスをかけ、左右どちらかのサイドにボールを展開させて奪う。中央に出たボールは遠藤が回収する。奪ったら素早くカウンター。
 格下相手には、好調な選手にボールを集めれば何とかなる。それは、大迫、南野、伊東純也と変わっていきました。今は鎌田なのでしょう。

 応用力はどうか。アジア予選の間は選手交代も遅く、交代枠を使いきらない試合もあり、それが彼のウィークポイントのように見えました。
 しかし、本大会での見事な采配で評価がガラッと変わっています。

さて、この監督のもとで日本代表はどこまで到達できるでしょうか。

(その3 新時代)に続く

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町田 憲昭(歴史研究家/アナログゲーム評論家)
貴重なお時間を使ってお読みいただき、ありがとうございました。有意義な時間と感じて頂けたら嬉しいです。また別の記事を用意してお待ちしたいと思います。