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2回目の”壺中人事塾”を終えて考えたこと(6,931字)

2024年8月1日。最後のグループコーチングのセッションを終えて、5月から参加していた壺中人事塾の7期が終わりを迎えた。

自身にとっては、1年前に4期生として参加して以来、2回目の入塾。たった3か月と言えるかもしれないが、個人的には濃密な3か月間であった。それは、壺中人事塾での学びが濃かったというよりも、壺中人事塾を利用して、自身の日常の解像度が上がった結果だと今はそう感じている。いや、壺中人事塾を通して、そう捉えることができるようになったと言った方が正しいかもしれない。

濃密だと感じたからこそ、この期間に起きた出来事について、書ける範囲で記録に残しておきたい。それが今回の内容になる。一つのアウトプットのかたち。行動。あれもこれも書くとあまりにも長くなりそうなので、自身に起こった変化について書いていくことにされたい。

〇動機

“動機の言語化か......余り好きじゃないしな しかし案外...いや やはりというべきか 自分を掴むカギはそこにあるか”

今回入塾にあったっては、当初それほどの意気込みがあったわけではなかった。ツイッター等で募集に関するお知らせが度々目に入ることはあったが、その時点では、申し込む気はなかった。ただ、何度目かの“枠数残りわずか”と言うお知らせが目に入った際に、「申し込もう」と思いたち、ある種、衝動的に申し込んでいた。これ以上に理由はないと言っても良い。今振り返ると、その行為はある種当然のように行われたといっても良い。それがわかる。

一年前に入塾してから、その後も何かしら関わりは持つようにしていた「壺中人事塾」という存在。そこに改めて1年ぶりに参加してみるのも良いかもしれないと思うようになったのは、自身の中で何かしらの変化を求めていたからだと思う。前回、壺中人事塾を通じて、自身の中で“変化”があり、行動を変えた。そこから1年間、その行動から得られたものが今の自分を形成する大切なものになっている。

申し込んだときには、それほど、深く考えていたわけではなかったのだけれど、今となればそんな言葉が頭に思い浮かぶ。

〇そのときの状況(心境)

4月に部内の組織変更があって、人事という枠組みは変わらずとも、自身の業務とともに働くメンバーが変わった。その変化にうまく乗り切れていなかったというか、明らかにこれまでとは違う状況に自分自身困惑していた。ただ、そのような態度を周囲に見せるわけにもいかず、当時は勝手に一人で疲弊していた

自身のキャリアを振り返ると、それこそ紆余曲折はあるにせよ、環境変化に対しては、比較的順調に乗り越えてきた自負があったので、今回も何とかなるだろうと思っていた矢先、全くうまくいかない状況に対して、どうして良いかわからなかった。自分自身それを認めたくなかったという側面も多分にあった。何しろプライドは高いのだ。

2年前に出向から本社に戻ってきてから約2年間にわたり、部下のメンバーに微増減はあったものの8名程度のメンバーと組織を率いてきた。そこでは、自身のプレイヤーの比率を極限まで下げて、組織づくりと個々のメンバーの成長に向き合ってきた。組織としてのパフォーマンスも個人のパフォーマンスも、そして、チームのプレゼンスもこの2年間で着実に成長させることができたと自負していた。つまり、居心地が良い状態になっていた。メンバーのことが好きだったし、チームのことが好きだった。

それが4月にガラッと変わった。これまで自分が所管していたチームは、他のチームと一緒になることになり離れ離れに。私は新しい人事機能を立上げるためのチームリーダーにアサインされた。メンバーはこれまでとは違い私のほかに1名のみ。そこでの役割はチームを率いるというよりも、プレイヤーとしての成果発揮が求められるポジションになった。

この変化にうまく対応できずにいた。おまけにチームメンバーとのやり取りがうまくできず、チームとしても全然機能していなかった。何か既存の業務があるわけではない。これから新しく作っていく役割だったので、締め切りに追われるとか、そういう類の業務でもない。周囲が忙しく年度初めの業務と引継ぎに逼迫している中、特に目の前にわかりやすい業務がない状況がひどく辛かった。何かをして気を紛らわせたかったが、そういうわけにもいかなかった。そんな状況が4月。こうみると、何かにすがるように飛び込んだのかもしれない。

〇はじまり

そんな状況で始まった壺中人事塾。初めて会う方々とのセッションは、いろんな人の考えに触れることができて純粋に楽しかった。モヤモヤしているときに、外の世界に触れることで別の世界があるという当たり前のことに気づく。また、自分自身の考えを発言するということの難しさと、ついつい自分の考えではなく、思ってもいないのにそれっぽいことを言ってしまう自分の癖に気づくことになる。

気を抜くと着飾ったそれっぽい自分を場に出しそうになる。ただ、今回はそれなりに悩んでいたし、その悩んでいる自分自身を場に出そうと覚悟していた。それでこそ、どこかにいけるのだと、そう信じていた。それでも、急にそんなことはできないのである。

流されそうになっていた。ただ、ここで物語のスイッチが押される。

壺中人事塾には、グループコーチングのセッションがあるのだが、その最初の回にて、同じ参加者からの私に向けられた問いが刺さった。

「○○さんって、人事で何がしたいんですか?」

どんな言い方だったのかは忘れたが、上記のような意味の質問をもらい、面食らった。ばれている。このセッションの最初に今後の自身の目標を紹介し交換し合うのだが、その時に自分が場に出したものは、まさにそれっぽいものだった。嘘じゃない。嘘じゃないけれど、本気でそれを達成したいとも思っていない。あくまで役割としての目標であり、私という人間のうちから出てくる目標ではなかった。それを見透かされていた。

ただ、この質問のお陰で目が覚めた。そう、私の本当の目標は、「自分がやりたいことは何か?」という問いだったのである。そんな自分を認めることができて、この3か月が動き出した。

これまで約10年、人事という職業に携わってきた。だからこそ、自分は人事が好きだと思っていたし、これからも“人事をやっていく”と思い込んでいた。その方が楽なのだ。そういうことにしておいた方が、あれこれ不要なことを考えなくて済むし、誰かに何かを聞かれても、まさにそれっぽく回答することができる。でも、たぶん本当はずっと気が付いていた。なぜ人事が好きなのか、なぜこれからも人事をやっていこうと思っているのか。それに対する答えが、これまでそれなりに長くやってきたから、という言葉でしか表現できないことを

そして、いよいよこの問いと向き合う時が来た。状況は、上述のとおり、あまりよくない。だからこそ、これからを考えるには持ってこいのタイミングだと思った。とはいえ、答えが明日空から降ってくるわけではないし、明日までに考えろと言われて、明日までに提出できるようなものではない。これから時間をかけて、意識していく。そのスイッチを押した、という、そういうことである。

〇前半戦

3か月のうちの前半戦は、自身にとって、特につらい期間だった。業務では、新しい職務にいまいちフィットできない期間が続き、たった一人のメンバーとの関係性も良くなかった。詳細は割愛するが、その彼に対して、自分がどのように接したら良いのかわからなくなってしまっていた。これまでは上司としてメンバーに接するという当たり前のことができていたのに、彼に対してはどうもそれができなかった。それは私目線では、その彼が“怒る=キレる”人に見えていた、というその点が主な要因だったと思う。苦手だった。

4月以降、何度か彼からその怒りをぶつけられたことがあって、その度に彼に対して距離を置くようになってしまった。一度、腹を割って話さないといけないとわかりつつも、それができずにいた。恐怖。まさに自分は彼に対してビビっていた。

グループコーチングのセッションでは、そのあたりも割と正直に伝えていた。ひょんなことから、このセッションがファシリテーターの方と自分との1on1的な時間になることが多く(これは完全に偶然なのだが)、そのお陰で、自分のことを相手に話す、という時間を多く持てた。普段は、誰にでもあまり自分の話をしない(と思っている)。だからこそ、この時間は私にとって貴重だった。

そのファシリテーターの方は、私の悩みを丁寧に聞いてくれて、毎回、自己理解が深まるような問いやアドバイスを提供してくださった。その方のソースである「愛するということ」に興味を持ち理解が深まったし、それをもっと知りたいと思うようになっていった。さらには、自分の感情に正直になること、認めることを体感したのだ。

結果として、そのメンバーの彼とは、腹を割って話す機会があり、向き合うことができた。完全にというわけではないが、私自身涙を流しながら、彼に自身の現状を伝えることができたし、儀式的にこれまで自分で勝手に背負ってきたものを降ろすことができたと思う。プライドのようなものを守ろうとしていたが、涙を流すという行為をもって、それも一緒に流れていったように感じた。

この一連の中でも、自分自身の弱さの正体が、やりたいこと(欲望)の不在だと気付いた。やりたいことが不明確であいまいだからこそ、目先の恐怖に屈してしまう。恐怖に打ち勝つだけのWILLがあれば、それを成すための行動を第一優先で考えられるはずだ。ということで、この出来事も最初の問いに繋がる気づきを得る大切な事象として刻むことができた。

〇後半戦

今回は可能な限り、他の塾生の方と交流する時間を多く持とうと心がけていた。前回参加した際は、いわゆる通常回のみの参加だったが、今回は番外編というか、通常回が終わった後の居残り会のようなものにも極力参加して、人の話を聞くこと、そして、自分の言葉で自分の思っていることを、そのままその場に出すことをやってみようと思ったのだ。いや、そんな高尚なことは考えていなかったかもしれないが、このゆるい対話が非常に刺激的だった。今回の自身のテーマにもつながるのだが、みんなそれぞれもがいている。そして、そこに正直に対峙しようとしている。そのような姿勢を見て、自分を顧みる。

「人生を掛けていま成し遂げたいこと」を持っている人、「それを人に伝えること」ができる人、「それに向けて行動している」人の存在がまぶしすぎた。純粋にかっこ良いと思ったし、自分自身もまさにあのようになりたいと思ったのだ。それでも、まだまだ自分が成し遂げたいことがわからずにいた。焦りという感情ではないが、どこかそのような方々と自分を比べて、不安の感情を持っていたようにも思う。

そんな時に、日経新聞で「社会教育士」なるものの存在を知る。
社会教育士について:文部科学省 (mext.go.jp)

いろんな観点から、地域や社会の課題解決を支える役割らしい。なぜかこの社会教育士が気になった。特に資格を取ったからといって、何かが生まれるわけではないだろう。ただ、調べれば調べるほどに気になった。わざわざ行政の担当に連絡までしてみたが、どうやら今期の申し込みは既に難しいらしい。これも何かのタイミングなのだろう。ただ、何かのきっかけになることは間違いない。そう思っていた。

なぜ人事が好きなのだろうか。よく考えると別に人事が好きなわけではないかもしれない。そんなことを考え始めていた。これまでのキャリアで培ってきた知見や経験を生かして、人の役に立つことがしたい。その対象は別に企業(又は、今の会社)でなくても良いかもしれない。もっと広い、地域や学校、社会という広いフィールドで役に立つことができるのかもしれない。そんな気づきを得た一連の出来事だった。

そういえば、昔から掲げている自分の幸せの定義のようなものを思い出した。「人が人に必要とされる社会をつくる」。これは、前職を退職して、今の会社に就職するまでの期間で考えた自分なりの幸せの在り方だった。これを話すと長くなるので、詳しくは書かないが、他ならぬ自身が、人に必要とされることでここまで頑張ることができてきたとこれまでの人生で体感していた。これが私の20代の成果の一つ。何かこの定義に戻ってきたような気がする。そんなことを考え始めた。

ファシリテーターの方との出会い。愛するということ。自分が人事として培ってきたもの。それは「人が人に必要とされる社会をつくる」ということに集約できるのではないか。そんなことを考え始めた。そんなことを考えているうちに、いよいよこの人事塾も終わりを迎えようとしていた。

学習会の最後のテーマ「働く人」。そこで出会う“腹決め”という考え方。漠然と人事を続けていくのかな、と思っていたが、どこかで今後の自分のために腹決めしないといけない。でも、たぶん今のままじゃ腹決めできない。それは自分が一番よくわかっている。これまで同様、“そういうことにする“ことはできるだろう。でも、なんかそれは嫌だ。そう思っている。だからこそ、腹決めするために、もう少し経験を積もうと思った。経験を積める環境にいるのであれば、挑戦してみよう。居心地の良い場所にいたいけれど、不安だけど、でも、とりあえずやってみよう。そう思うようになっていた。

そう思った矢先、偶然が重なり、まさにその挑戦を決定づけるような出来事が起こる。これで自身の壺中人事塾7期が終わった。

〇これから

「○○さんって、人事で何がしたいんですか?」

この答えは、未だに自分の中にはない。ただ、人事という言葉の意味するところが自身の中で少し変わってきた。自分の言葉で自分の領域の定義を決める人がプロフェッショナルだという。坪谷さんは、「人を生かして事をなす。」ことだと説く。

今の私にとって人事とは何だろうか。正解やそれっぽいことを言うことはやめよう。

「役割を起点にして、人が人に必要とされる社会をつくる一連の取組」。これが今の自分の定義。“「経営する」とは、社会を建設し、人々を豊かにし、何よりも人々の社会参加を叶えるものである”。ドラッカーはこう述べている。

社会参加を叶えるとは、一人ひとりに役割があって、それによって、必要とされるということではないだろうか。同時に、誰かを必要とすること。これは“愛する”の概念にも通ずるところがある。企業に限らず、広く社会において、私はこのような価値を届けられる人になりたい。まだまだ抽象的だが、今は嘘ではなくそう思っている。だから、こうして文章に起こしてみたのである。

それができるようになる(腹決めする)ために、まだもう少し時間がある。40歳まで。何の根拠もないけど、40歳を一つの節目にしよう。あと4年ある。

これまでずっと引っかかっていた海外駐在。ずっとついて回ってきた海外駐在。機会はあったが、決心がつかなかったこの海外駐在に挑戦しよう。それが一つの答えだ。

行きたいと表明したところで、そのような機会が得られるわけではない。ただ、もういろいろと動き始めてしまったし、そのスイッチを他ならぬ自分自身が意志を持って押したのだ。また定義は変わるかもしれない。それでも良い。とにかく経験を積む猶予はまだある。その時に自分がどう思っているか。何を考えているか。周囲と比べるのではなく、自分自身が納得できるように、自分を裏切らないように。そのために、行動する

これまでの自分のキャリアを振り返ると、いろいろな節目があった。ベンチャーで何とかすることを学び、人事企画では労務から制度・組合まで広く人事の仕事に携わった。社外出向では、いろんな職業があること、そこで働く人の多様さと熱狂を学習した。

部下を持つようになってからは、部下育成、チームの関係性の質に対するアプローチということに興味を持ち、学習と実践を繰り返してきた。そこでは、ポジティブな感情、居場所づくりが人の成長に大きく寄与することを目の当たりにしてきた。

だからこそ、経験と内省と葛藤を繰り返し、他者との対話をもって、新しい洞察を得たい。新たな自己認知をもって、この世の中をみてみたい。今はそんなことを考えている。

最後にファシリテーターの方からいただいたフィードバック。

この3か月を通じて、自分は、「偶然を信じることができる」ようになった。それは「自分の可能性を信じるということ」に繋がっている。

これまで、クランボルツのことを知ったような風にして語っていたけれど、その理解の淵にようやく立てたような気がする。これまでの人生を振り帰ってもそうだ。

これからも、偶然を信じて、自分の可能性を信じよう。セレンディピティな出会いと交流を最大限に楽しめる自分でいよう。そんな決意をもって、3か月の旅を終えて、また新たな旅にでようとしている。また戻ってくるかもしれないけれど、その時はきっと違う姿で戻ってこれるはず。

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