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私はどうして博士課程に進学したのか?どうして研究者になったのか?

はじめに

私は、博士号を取得した理系の研究者です。
普段は日本の大学で、助教としてはたらいています。

高校生のころの私は、未来の自分が大学の先生になって研究しているだなんて全く想像していませんでした。

なお、この記事でいう博士課程とは、大学院の2年間の「博士前期課程(修士課程)」と3年間の「博士後期課程(博士課程)」に分ける場合の後者の3年間の課程を指します。

2年間の「博士前期課程(修士課程)」を修了すると修士号が得られ、その後さらに3年間の「博士後期課程(博士課程)」を修了し学位審査に合格すると博士号が得られます。

一般的に、日本では「院卒」というと2年間の修士課程を修了した人をいいます。

そもそも、私は高校生の頃は「博士号」「大学院博士課程」というものを全く知りませんでした。

大学の先生にも大学に入学するまで会ったことはありませんでしたし、どのようになるのか想像もできませんでした。

これは、私の地元が大学のない地域であること、知り合いに博士課程に進学した人が一人もいなかったことが原因です。

そして研究に興味があるわけでもありませんでした。

この記事では、私がなぜ博士課程に進学したのか?なぜ大学の助教になったのか?を振り返りたいと思います。

この記事を読んで、研究者、大学教員という存在を身近に感じ取ってもらえると幸いです

また、博士課程への進学を迷っている人に「自分も進学して大丈夫だ」と思ってもらいたいです。



研究室配属前はどういう学生だったのか?

私は地方の出身で、研究室配属前はまさか研究者になるとは微塵も考えていませんでした。

また一般教養の学生実験の授業も特別おもしろいとは思いませんでした。

学生実験のために用意されているものは結果が完璧にわかっている理想的な実験なので、勉強にはなりますが、やっていることは作業ですし、レポートの負担もしんどかったです

ただ、研究室配属されるとどうせ卒業研究をしなければならないので、
自分にとって「研究」が苦痛を感じるものだったらどうしようと不安に感じていました。

大学の授業は比較的真面目に受けていたと思います。
単位を落としたことはないです。

ただ高校生からの延長で、テストで点をとるための勉強をしていました。
未来で研究者になるとわかっていれば、もう少し頑張って本質を理解するための勉強をしたのになぁと思うことは沢山あります。

大学の専門教育科目だけでなく、あのときなんでもっと英語に興味をもてなかったのなぁとも思います

どうして博士課程に進学したのか?

その後、私は研究室に配属されます。
研究室生活は新しいことだらけで疲れるときもありますが、総合して楽しかったです。
新しい部活に入ったような気持ちでした。

また、研究は特別好きだとは思いませんでしたが、
実験すればするほど「もっとこうしたらうまくいくのでは?」と自然と考えるようになり、気になることが増えていきました。


私が博士課程進学を考えた始めたきっかけは明白です。
指導教員の先生に「あなたは絶対に博士課程に進学したほうがいい」と言われたことです。

初めて先生にこのように声をかけられたときは本当に驚きました。
研究室に配属されてから半年後くらいのことでしたし、半年しか研究してないのに研究のセンスがあるとか、絶対に進学した方がいい人材だとかわかるわけないだろうと思いました。

ただ、大学教員になった今は、研究室に配属されて半年後でも、そのように学生に声をかける判断ができる理由はわかります
優秀な学生さんは明らかに研究に対する姿勢が違うからです

よく覚えていませんが、私は出る杭が打たれるのを気にしているだけで、本来、意見というか思いを述べるのが好きな性質なので、私は実験を沢山して、小さなミーティングや指導教員との会話のなかで、学部生ながら意見をよく述べていたのだと思います
(挙手はそんなにしてないと思います)


私は修士課程まで進学することは自分の中で決めていたのですが、博士課程というのは縁遠いもので全く自分の選択肢にありませんでした
何より20歳程度の自分にとって、大学院修士の2年+博士課程の3年という大学院生活はとても長いものに感じたからです

当時の私にとって、博士課程に進学するメリットとデメリットは以下のようなものでした

メリット
(1)資格として「博士号」がとれる
(2)研究費で留学させてもらえそう
(3)学会出張などで海外に行けそう
(4)人と違うことができるわくわく
(5)私が博士課程の3年間はどうやら所属研究室の研究費が潤っているらしい

デメリット
(1)金銭的な余裕がない
(2)学位取得時にアラサーになっている事実が途方もない。
(3)博士号を取得した後の人生が想像できない
(4)自分はそんなに頑張りたい人なんだっけ?という疑問
(5)人と違う道をわざわざ選んでマイノリティになる苦悩

最近、後輩たちと話していて気付いたのですが、このとき私は不思議と「研究成果がだせないかもしれない」「博士課程を耐え忍ぶ自信がない」とは全く過りませんでした。


最終的に、なんで博士課程進学したのか?という質問にはいつも簡潔には答えられません

ただ一番ネックだった金銭面について、指導教員に絶対になんとかなるから心配しなくてもいいと言われました(実際、そうでした)。

そして、そんなに卒業して会社働きたいのか?そんなに就職活動したいのか?と冷静に考えると、全く働きたくありませんでした。
また、企業で働くとても自分はどうせ研究職を選ぶのかなと思いました。

なので、一生残る「博士号」という資格をとりにいくのもいいかもと思いました

結婚もそんなに絶対したいんだっけ?というか修士卒か博士卒かでそんなにかわるのか?修士卒だと特別な出会いが増えるのか?と考えた結果、別にこの点は自分にとって重要ではないということになりました

また、同じ条件だとしても仮に90%の学生が博士課程に進学する環境であれば、自分は修士卒を選ぶだろうか?と考えたときに、絶対に博士進学するだろうなと思いました。

後、海外にもっと行ってみたいなと思いました
(当時はお金があまりなかったので、沢山は行けていませんでした)

というわけで、総合的に考えて博士進学を選んでみることにしました

決断した数か月後(当時修士課程のとき)に、「なんで進学するって言ってしまったんだろう」と軽く気が落ち込むことはありました。


しかし、実際PhD studentになってからは一切そのように思うことはありませんでした

博士課程に進学してよかったなと今でも思っています


どうして研究者になったのか?

博士課程に進学した自分の生活は、想像以上に快適でした。

早く終わってほしいと思っていた博士課程の3年は、一生終わってほしくない3年になりました。

研究によって日々充実感が得られますし、個人的にはライフワークバランスが整っていました。

研究がものすごくいやになることがあったら、迷わず学位取得後企業に就職しようと思っていましたが、博士課程の時代があまりにも快適だったので、「企業の研究者もいいけど、アカデミック(大学や研究機関)の研究者もいいよね」という気持ちで数年の時が経ちました。

そんなとき、また指導教員の先生に
「あなたは学位取得後はアカデミックでいいんじゃない?」
と言われました

また、「企業からアカデミックよりもアカデミックから企業への転職の方が簡単だよ」とも言われました

これをきっかけに研究者の道に進むことに決めました。
博士課程進学はとても悩みましたが、研究者の道に進むことはそこまで悩みませんでした。

きっと誰かに「あなたにアカデミックは絶対無理だ」と言われたら、決して大学教員にならなかったと思います。

指導教員の先生との出会いで自分の人生が大きく変わった自覚はあります。

逆に、この程度で変わるものなのだなぁ、と今振り返ると思います。


さいごに

私は自分で新しい道を切り拓いていけるような行動力が十分に備わった人間ではありません。
ただ、目の前に転がっているチャンスは拾うようにしてきました。

その結果、一つ一つの決断はふわふわでしたが、今も大学の研究者として働いています。

私は研究者になったことで、自分の世界が広がったと感じています。


私も博士課程進学に悩んだときに、沢山ネット検索をしたので、博士課程進学に対して否定的な意見ばかりであふれているのは知っています。

また、二十歳前後の頃は、博士課程の3年が途方もなく長いものに感じました。

しかし、いざ働き始めると、このまま数十年こういう感じで働くのかな?という日々が続きます。

この先の人生が何十年も続くと思うと、博士課程に進んで「博士号」という資格を手にするのもいいんじゃないでしょうか?

当たり前ではありますが、博士課程に進学しても、研究者になるだけではなく、企業で務める道もかなり開けています。
(ただ、このあたりは分野による差もあるかもしれません。)


こういう人でなければ博士課程に進学してはならない、というのはありません。
研究が特別大好きな特別な人が選ぶ、特別な道でもありません。

むしろ、色んな人が博士課程に進学するべきです。

一人の大学教員として、優秀な学生さんが当たり前に博士課程進学を選ぶようになればいいなと思っています。







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