「休む」ことはキャリア”アップ”でも”ダウン”でも”ブレイク”でもなく、そのものがキャリアなんじゃないか
「成長」が大好きだった。
自分にとっても、周りにとっても
「わかりやすい目標」をかかげて、
そこに向かって一直線。
良いも悪いも、何かしらの「評価」がもらえ、
それでまた修正し、先に向かう。
「休む」なんてもってのほか、
「休んだら」おいていかれる。
「休んだら」成長できない。
だから長期の育休は不安だったし、
ふだんの連休は「成長」に使ってきた。
使わなければならないと思ってきたし、
そんな自分が心地よかった。
自分で書いていて、とってもキュウクツだ。
でも全部、かつてのわたしのことだ。
「キャリアブレイク」は突然に
いい言葉が生まれたなと思った。
キャリアブレイク研究所さんの
「キャリアブレイク」というもの。
一時的な離職・休職を肯定的に捉える
「キャリアブレイク」を文化にする
その言葉を知るか知らないかの
タイミングだったと思うが、
前述のモーレツビジネスパーソン、
成長大好き人間の私に
キャリアブレイクは突然、訪れた。
この話はいつか別の機会にと思っているが、
このように口に出せるようになるまで、
結構な時間がかかった。
キャリア「アップ」とキャリア「ダウン」
わたしが過去やっていたことは、
文字通り「キャリアアップ」だったと思う。
誰に頼まれたわけでもないし、
自分が好きでやっていた、
「キャリア」を「アップ」させる選択と行動。
自分で「アップ」上だと思っている方向へ、
より高い山を見つけては登り、
また見つけては登る。
「休む」ことは「ダウン」を意味した。
なぜなら、
その間に「アップ」する人がいるから、
相対的に自分は「ダウン」してしまうのが
怖かった。
自分のキャリアは歩いていなかったのだ
と思う。
自分の山を登っているようで、
「この山に登るとよさそうだ」
「あっちの山を目指すと周りにいいと
思われる」
そういう山を見つけては
その時々に必要なギアを身に着け、
完全装備して登山に臨んでいたのだろう。
軽装ではキケンな山登りだけど、
装備がおもすぎては身動きがとれない。
結構な重量物を背負って登り、
その荷を降ろすことなく
山々を渡り歩いてきた。
登山家なら山頂に旗をたてて、
満面の笑みで写真がとれたかもしれない。
ぎこちなかったかもしれないけれど。
それは本当に「ブレイク」なのか?
そもそもキャリアに上も下もない。
頭ではわかっていたけど、
知覚しているだけだった。
知っているだけで、わかっていなかった。
あえていうならば、
右か左か、だと今はわかる。
右の選択肢を選んだ人がいる
左の選択肢を選んだ人がいる
右横の選択肢を選んだわたしがいる
左横の選択肢を選んだわたしがいる
ただ、それだけなんじゃないか。
「キャリアブレイク」は
「休み」を肯定的に捉える文化の発信で
本当にいい言葉だなと思っている。
あわせて、
その「休んだ」ということ自体もキャリア
なんじゃないか、
という気がするのだ。
キャリアブレイクとは言うけれど、
それもそもそも「休んだ」という選択なだけで、「キャリアを休んだ」というわけではない。
「休んだ」こともキャリアの一部になるんじゃないか、と猛烈に思わざるを得ない。
自分の「キャリアブレイク」を通して、それは本当に思う。
「休むヒント。」で感じるキャリア
自分のキャリアブレイクのことを書いてしまったが、今回一番言いたかったのはこの本のことだ。
いろいろな方が「休み」について書いている。
その中でも、
作家の藤代泉さんの「離れる時間」。
ご出産後の体調不良からの「休む」ことでの
心境を綴ったもの。
そして、
古賀及子さんの「自分の時間を休む」。
仕事と家庭と自分の時間と、の両立。
あえて「自分の時間」を休むことに決めたこと。
他にも、ときに熱く、ときに静かに
「休む」とは「キャリア」とは?を
語りかけてくるこの本に
今出会った意味は必ずありそうだ。
そこには、
かつてのわたしが躍起になっていた
キャリアップだ、成長だ、
やれ、遅れちゃうだ、焦りだ・・
そんないろんなものだって、
その時はそれが必要だった、最善だったと
肯定される気がしたのだ。
まとめ
今日は、キャリア、キャリア言い過ぎた。
キャリアコンサルタントだからって、
多すぎた。
キャリアってここまで20回ほど書いている。
小さい頃から運動が苦手中の苦手で、
走るのもものすごく遅いが、
つい短距離走のような生き方をしてしまう。
「休むヒント。」を読みながらひとやすみ。
人生は長距離走、マラソンなんだから、
山登りだって、山小屋で休憩するんだから、
旅を楽しもうと思う。