
世の中は長い目で見るほど努力が報われるようになっている気がする
こんにちは。
先日都内で結構長く付き合っている友人と会いまして、久しぶりにゆっくり話したりぶらぶらと街を散策して遊んだのですが、
その子が仕事のことで相当悩んでいて、フリーランスという働き方に興味があるということで色々聞かれたときに、思ったことがあります。
端的に言えば、
「やっぱり世の中って長い目で見ると報われない努力は無いし、
そもそも努力や失敗を恐れず行動できる習慣を身に着けてきてよかったな」
ということです。
逆に言うと、残酷ですが
「努力をせぬまま中年にならなくてよかった…」
とも切実に思ったりしました。
いやね、世の中の働いている人はみんな頑張っていますし、
多かれ少なかれみんなが努力をして生きているんですが、
その中でもやっぱり”頑張れる量”とか”自分の力で這い上がった距離”とかが
多少存在するのかもしれないな…、
そして中年になるまでにもがくほど頑張ってきて結果よかったな…
と会話の中で思ったりしました。
友人のことは好きですし、多分これからもたまに遊んだり誕生日を祝ったりという関係で続いていくと思うのですが、
正直「働く」ということについてはあまり生き方に共感できなくなるな…と思った一日でした。
そのときの会話から感じた、いくつかの事柄について書かせていただきます。
最短距離を他力本願で狙う人は多分成功しない
特に気になったのが、「私最短距離で達成したいって考えちゃうんだよね」というところです。
この”最短距離”って、多分これを目指すのはどちらかというと愚かな考えの人なのではないかな…と思ってしまうんです。
しかも、「他人にすべてを教えてもらって最短距離を目指す」というのは、
はっきり言って絶対成功しない考え方&姿勢だと思います。
そんなうまい話が合ったら絶対人に教えないのよ…!という話だし、
逆にうまい話をちらつかせるのは大抵ビジネスチャンスになる時です。
しかも、「働く」とか「人生」ってそもそも全員が共有する解ってないので、
自分が納得する人生の実現のためにはとにかく自分で動いてみるしかないと思うのですが、
最短距離を目指すために情報収集にばかり時間をかけているのがまず残念だな…と思いました。
あと、「最短距離を目指したい」って、その裏には「無駄な努力や時間をかけずに楽をして成功したい」という本音があると思っていて、
でも社会に出てからつかめる成功って、大抵が色々な試行錯誤や努力、そしてそこから得た経験をどんどん次に生かしていってこそ実現するものだと実感しているので、
ちょっと申し訳ないですが30代になってそういう考え方(「最短距離=ラク」)を持っていること自体が大丈夫かな…?と感じました。
一番残念なのは、大人になってもまわりと自分を比べてしまうこと
更に、その友人は東京23区内に自宅があって、都内に学生時代からの友人がたくさんいるのですが、
その友人たちが仕事or結婚を経て現在セレブな生活をしている方が多いらしく、
その人たちと自分を比べて焦ったり現在の環境に不満を感じてしまうそうです。
実は私も、大学入学と共に上京して、そのまま東京で就職したのち数年間は自分より恵まれた境遇にいる人たちを羨んでいました。
実家暮らしで生活の面倒を親が見てくれて、
社会人になってからは新卒の少ない収入でカツカツの生活で一人暮らしをすることもなく、
給料のほとんどがお小遣いという人もいましたし、
何より田舎と違って色々な情報や生き方のモデルに触れられる環境で育ってきたこと自体がとても羨ましいなと思っていました。
最初から就職後のこともイメージしやすいですし、
私のように地方から単身上京していちからすべてを切り開かなくてよいというのはスタートの段階では明らかな差だったと思います。
また、これは女性特有というか、色々賛否両論があると思うのですが、
若い時から「旦那さん選び」に全エネルギーを注いで、楽しい結婚生活&裕福な暮らしを実現する人というのもいて、
私の友人の友人にはそういう子たちも多いらしく、自分もそうなりたかったとのことでした。
う~ん、確かに配偶者の稼ぎで自分だけの稼ぎでは実現できない暮らし向きをしているとか、
そもそも働かなくてよいとか、生活の足し程度に気楽に働けるのってすごいなと思いますが…。
私は全然結婚を目指してこなかったので、
今はある程度自分の好きなことを仕事にして、自分の稼ぎで満足して暮らしていて、
自分が目指してきた人生は実現しているので、他の人のことも尊重できるしある意味でどうでもいいんですよね。
こういうのは交友関係が多いほどあれこれと悩んでしまうことなのかもしれませんが、
正直こういったことも30代になってから他人と自分を比べるものでもないというか、
自分の生き方が定まらずふらふらしている感じがしてきっと本人も辛いのだろうな…と思います。
特に弱っているときや疲れているときには人と比べて落ち込んでしまうことは誰しもあることですが、
迷走はしない方が良いですし、
とりあえず「自分の力で今自分ができること」に手を付けたらよいのにな、と思う部分はありました。
人はスタートは環境によるけど、努力で自分なりの満足をつかみ取れる
私は人生のスタート地点である未成年までの期間は、割とはずれ環境で過ごしてきたと思っています。
経済的には恵まれていましたが、それも田舎基準ですし、
父親がモラハラ&暴力で夫婦仲が悪く、不登校になったりと苦しい10代を過ごして来ました。
そんな中でも、自分にできるMAXの努力をしてMARCHに滑り込み、
結局新卒では学歴をあまり生かすことのないブラック中小に入ってしまいましたが、
そこからも努力をして、今は何とか人生に満足できるような暮らしをしています。
そんな中で、大学時代からは特にまわりとの差を感じることが多く、
親の経済力や学生時代までの経歴、容姿など様々な基準で「世の中こんなに恵まれた人がいるんだなぁ…」と落ち込むこともありましたが、
自分なりに人生を切り開こう、自分を高めようと一見無駄な努力をたくさんしてきました。
その過程では、数万円程度のムダ金も発生しましたし、
変な人にも会いましたし、
ゆっくりしたり遊べる時間を犠牲にしてきた部分もあります。
なんだか時間やお金をかけて自分ってバカみたい、辛い…!と思ったことは山ほどありますが、
結果として、何よりも大きな成果は『努力と行動力が身についたこと』だったと思っています。
10代~20代にしてきたひとつひとつの努力は、その場では報われなかったことの方が多いです。
でも、その時の目標は達成できなくても、
新しい物事にどう取り組めばいいのか、未知の分野に踏み出す勇気、そして失敗から学ぶ経験を繰り返したことで、
自分なりに生きる力と働くスキルが身について、
自分がやりたい仕事に巡り合った時にチャンスをつかみ、それを育てることで独立することができました。
逆に、最初に恵まれた環境にいたとしても、そんな人も人生ではいろいろなことが起こるものなんだなと30代になってからは痛感します。
きっと40代、50代になったらもっと多様な出来事が起るんだと思います。
そういう人生の荒波に耐えられる心身を作るには、結局努力や試練を自分の力で乗り越えるしかないんだなと、
なんだか痛感した出来事(会話)でした。
なので、今もがくような努力をしている方や、これまでずっと色々努力してきたけどまだ報われていないという人は、
少なくとも『努力の投資量』は着実に積み上げてきていると思うので、
未来に希望を持ってほしいなと思います。
また、「どう努力をしていいかわからない」という方は、
まず「今この瞬間に自分ができることをする」ということをしてみてほしいです。
逆に、情報収集に時間をかけようとしたり、人に不安を話してばかりで時間を使ったり、”うまくやりたい”と思うのは避けてください。
やっぱり人は、自分が手と体と頭を動かして乗り越えてきた範囲でしか成長できないんだと思います。
そして、不器用でも恵まれない環境からのスタートでも、
長く生きるほど過去にした努力が反映されるのが人生であり、
努力した量が自信になったり、自分なりの人生の面白さを受け入れることにつながっていくと今は考えています。
まあ、悩まずに軽やかに努力できれば一番いいのですが、
泥臭い努力でもやらないよりはずーっとましで、
やっぱり若いうちは多少努力したほうがよかったんだな…と、
20代のプライベート時間を遊びに費やしてきた友人の話を聞いて思いました…。
まだ遅くない、私もまだまだここから頑張ろうと思います。
努力するのが当たり前になる習慣を身に着けてきたのだから、この財産を大切にしたいです。
また、友人も今はめっちゃ迷走しているみたいでしたが、
ここに書いたような本音中の本音は言えませんが、状況が良くなってまた明るく人生を楽しめるようになるといいなと思っています。
まだまだ人生半ばですし、生活も安定してきたし、
もっと心が震えるような経験を仕事を通して実現して、
世の中に自分の持てる力を還元するという気持ちで働いていきたいです。
読んでいただきありがとうございました。