不登校について思うこと
不登校について私が正直に思うことを記事にしました。
この記事は、「不登校でも良い」とか「学校に行かなくても良い」とか無責任な綺麗事を言う為に書いたものではありません。
また、この記事に書かれた内容は、あくまで個人的意見であり、特定の政党や組織、団体を賞賛するものではありません。
不登校に関連して、最近よく耳にする言葉がある。
それは「不登校は悪いことではないのだから、学校に行く必要はない」という言説である。
この言葉に対して、私が正直に感じる事は、「なんて無責任で他人事な言葉なのだろう」という事だ。
なぜ、私が、このように感じるのか。理由は至ってシンプルである。
日本で生きる以上、学校に行かない選択をするということは即ち「死」を意味する。
現実として、日本は資本主義国家である。おそらく日本は、これからも資本主義国家であり続けるだろう。資本主義の原則は競争社会である。日本で生きていく限り、個人は能力で選別される。一番分かりやすいのが学歴だ。
より良い学歴を持つ者は、より条件の良い仕事や環境を手に入れられるし、そうでない者は、より条件の悪い仕事しか出来ないし、より劣悪な環境でしか生きられないのだ。
即ち、学校に行かず学歴を放棄するということは、今後何十年という残りの人生を放棄することに等しいのだ。
ただ、勉強したくないのなら無理に勉強する必要はないと私は思っている。
どういう人生を送りたいかを決めるのは、あくまで個人の自由だからだ。
不登校に関連して、最近よく耳にする言葉が、もうひとつある。
それは、「学校に行けない不登校児は通信制高校に行けば良い」という言説である。
この言葉に対して、私が正直に感じる事は、「学校で安全に勉強出来る事の有難さすら理解出来ない人間に何かを学んだり勉強したりする資格はない」という事だ。
学校で安全に勉強出来る事の有難さすら理解出来ない不登校児は、通信制高校にも行くべきではない。
きっと、何も学ばないだろうからだ。
日本の社会システムが合わないのなら、とっとと日本から出て行けば良い。
日本は、「学校で安全に勉強出来る事の有難さすら理解出来ない人間」を必要とはしていない。
「日本で安全に勉強が出来る事」は世界的に見ても贅沢な事である。なぜなら、世界には、学校で学ぶことはおろか、日々の飲み水すら手に入れられずに餓死で命を落とす子供達が年間何万人もいるからだ。
学校で安全に勉強出来る事の有難さすら理解出来ない不登校児がいたら、一度アフリカなど貧困国に移住させた方が良い。
そうすれば、学校で安全に勉強出来る事の有難さを少しは噛みしめる事が出来る筈だ。
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