chatGPTとロゴデザインのトレンドについて雑談する
仕事をサボっていると色んなことが頭に浮かぶ。
仕事がクソ暇だからAIと雑談をする
仕事には繁忙期と閑散期があって、特に新入社員の閑散期ほど惨めな時間はない。
振られた業務はこなしているから後ろめたいことはない。でも手持ち無沙汰なのでそわそわして落ち着かない。時間を潰すにも誇張された見出しと誤字まみれのネットニュースにはうんざりしている。他の方法で無意義に時間を浪費したかった。
chatGPTはすごい。質問の意図を概ね汲んでくれるし、関連した知識を引用してくれるから検索の手間が省ける。デザイン業務は曖昧な表現や多様な捉え方を歓迎する必要性に追われ、そんな状況では必ずしも正解が存在するとは限らない。これはchatGPTに抽象的な回答を求める上では相性が良いように感じる。赤色にどんな印象を受けますか、という具合の質問に答えるのを彼は得意としている気がする。
ここ最近やった公社のシンボルマーク制作のことを思い出した。chatGPTとロゴデザインについて与太話を繰り広げていると、落ち着かなさもいくらかは慰められる。話し相手がいるのは豊かなことだ。
ロゴデザインのトレンドの変遷をchatGPTに尋ねたら、こんな模範解答をくれた。概ね正しいと感じた。というより正しそうに言うのが上手い。
ミッドセンチュリーって建築やインテリア方面の言葉だった気がする。ロゴデザインのくだりで出てきて馴染みがないのは自分の勉強不足のせいかもしれない。
彼に全幅の信頼を寄せるのは危険だ。
Less is more なあれこれ
ミニマリズムやフラットデザインには誰もが関心を寄せている。
シンプルさを追求し要素を削いでいく。スマホ世代には特にその変化は体験的に直撃した。最近奇妙な挙動の投資家がアルファベットに変えてしまった青い鳥も、昔は瞳やトサカがついていた。Instagramのロゴはカメラのイラストそのものだったが、今はRのかかった正方形と2つの丸で認知されている。
フラットデザインもよく浸透し、現代の日常として溶け込んでいる。要素を削ぐ過程で立体感や凹凸、質感、スキューモーフィックさは目の敵にされ、ポスターカラーで塗りたくったような、あるいは果てしなく薄い色紙を貼り合わせたような風景が構築された。webサイトをなんでもいいから検索するたびにその姿が目に入る。厳密な分類ではフラットデザインにもセミフラットだの2.0だのあるらしいけど、今は省略する。
当然ではあるが、これらが目指しているのは「シンプルにすること」ではない。それ自体は手段であって、シンプルさの引き起こす出来事が目的にあたる。どんな表現活動も突き詰めれば強調に分類できるが、伝えるべきもっとも大切なことを強調したければ、それ以外を減らせばいい。
この考え方は最新のトレンドでありながら歴史に裏打ちされた説得力を持っている。ウン十年も前にミース・ファン・デル・ローエが発した”Less is more”という言葉は、ミニマリスト御用達の哲学というくらいによく定着している。つまり普遍的な真理の一つなのだ。
では現在のデザイントレンドが”Less is more そのものか”と言われたら、そういうことでもないと私は思う。シンプルさを追求する理由が、ローエにとっては(数ある中から乱暴に挙げるなら)豊かさの強調のためであったのに対し、デザイントレンドの場合はその機能を必要としたためだ。
前者は豊かさを発見するためにシンプルにしている。静寂に囲まれた枯山水で鹿威しの甲高い音がよく響き、都会の雑踏では感じ得ない風流を感じる。後者の考えは少し違う。鹿を追い払う道具の周りに音を遮るものを置くべきではない。そんな些細なズレはあるような気がする。まあ機能性を豊かさだと定義するならローエの思想に包括されるけど。
chatGPTにも聞いてみよう。近年のロゴデザインがシンプルさに舵を切っているのはどうして?
こうして利点を並べてもらうと流行りにも納得するけど、裏返せば欠点にもなる。私の素晴らしい友人chatGPTはどんなことにも答えてくれる。
ここで注目したくなったのは「認識性の低下」と「類似性の問題」。ブランドのアイデンティティを確立するというロゴの使命に著しく影響する。しかしトレンドはそうではない。欠点を踏まえてなお利点が勝るのか。2つの欠点を起点に前々から考えていた仮説を整理しよう。
シンプルなデザインが抱える欠点
まずこの2つの欠点は不可避な障壁ではない。乗り越えることそのものがブランドの証明でもある。誰も彼もが好んで引用するappleのロゴマークを、私もそのご多分に漏れず引用して話を進めよう。
appleのロゴは初期においてはイラストそのもので、リンゴの木の下に座るニュートンが描かれていた。トレンドに従った何度かの変更を経て、今の見慣れたリンゴのシルエットが定着している。もちろん、初期にはあった社名は省略されている。
ここで私たちはすでに「認識性の低下」という障壁を越えていることに気づく。シルエットを見ただけでappleという社名は共有されている。それどころか、企業概要や製品にも思い浮かべることができる。1つの図形が含有し得る情報量を明らかに逸脱している!
卵が先か鶏が先か。企業が歴史を構築し周知することでロゴにもその情報が付加される。ロゴは付加された情報を踏み台にしてさらに洗練される。いつからか出会った日のことは確かではないが、すでに私たちはappleのことを知っていた。ブランドロゴは消費者に宿るコンテクストを大いに引用して成り立っているということだ。
これはappleに限らず当たり前に行われていることだ。中でも私のお気に入りの例はmercariのロゴ。スタートアップ時から既にフラットデザインで、モチーフ(箱と抽象化されたの内容物)がよくわかる十分に説明のなされたものだった。それも今は六角形と丸、そして頭文字のmだけ。現時点だけを見て事業内容を類推するには「認識性の低下」の壁に阻まれるが、浸透したコンテクストがあればこの問題はクリアされる。まだ出来立てのロゴが私たちに教えてくれていた。ブランド戦略だと思っている。
前述したSNSのロゴも同じ路線を辿っていることがわかる。片方はアルファベットになっちゃったけど。
つまり、現状のトレンドを100%活用するには、コンテクストの浸透は必要不可欠な協力者なのだということ。chatGPTも同じことを言っている。彼は大抵YESマンなところが対話相手として心地よい。
しかしここにも限界は訪れる。いずれ私たちの内部で氾濫したコンテクストが無数の衝突現象を引き起こす。「類似性の問題」は常に存在していたが、現在のトレンドを短調に煮詰めていくだけなら、問題の顕在化は加速していく。無数の路線が一つの駅に向かって繋げられている。そういう具合の渋滞が待っているわけだ。
ずっと思っていたことだけど、東京オリンピックのロゴ騒動では最初の案が好きだった。過去大会のオマージュはコンテクストを活用していると感じられたのに。
それはそれとして、証明はされなかったが盗作疑惑やデザイナー自身に対する嫌疑もあって最終的には不採用になった。抽象的な図形をシンプルさの潮流に従い組み合わせたことで(証明されなかったプラガリズム疑惑は無視する)、スポーツ大会のロゴがどこぞの劇場のロゴと衝突してしまった。
この「類似性の問題」もコンテクストの浸透によって解決される。極論だけど、もしある図形に付加された情報が全人類に周知されているならば、後発のデザイナーはそれを避けざるを得ない。避けられなかったにせよ、その情報が付き纏う覚悟が必要だ。例え図形が果てしなく単純だったとしても。私たちは赤い丸を見れば頭の片隅で極東の国を思い浮かべている。
解決されるといっても、先んじてコンテクストを獲得したデザインが有利というだけのことだけど。
認識の境界と情報の征服
さて、やったもの勝ちでもそのシンプルさにだって限度はある気がする。たった1本の線でロゴデザインを成立させることは可能だろうか?
NIKEのロゴ、通称「Swoosh」は極めて単純な曲線で構成されたブランドアイコンとしてよく知られている。
NIKEが今後果てしなくその商業活動を成功させ続け、私たちの内側に忘れることの不可能なコンテクストを根付かせると仮定する。さて、いつかNIKEのロゴを1本の線に変えることはできるだろうか。
いつも肯定してくれるchatGPTをもってしてもその見解は慎重なものだった。これはあまりに突拍子もない仮説だったようだ。普遍的な1本の線とNIKEを隔てるもの、ここをひとまず「認識の境界」と名付けてみる。
ひとたび「認識の境界」を超えてしまえば、ロゴデザインは単なる図形でしかなくなる。頑なに守っていたはずの固有名詞は容易く失われてしまう。
そこまでしてシンプルにする理由はなんだろうか。chatGPTが前述したいくつかの利点を獲得するにしても、昨今のロゴはとことんシンプル路線ではないか。いずれコンテクストの浸透を味方につけるにしても、スタートアップ段階から要素を削ぐことに執着しているようにすら思える。
そうしているうちにロゴデザインが難解で解釈の難しい存在になってしまわないだろうか。一目見ただけでは何を表しているのかさっぱりわからない単純な図形で溢れかえってしまう。もちろんそれは洗練の結果だ。でも「認識の境界」を目指したチキンレースに私は置いてけぼりにされる。
シンプルにすること、それはつまり抽象化、普遍化、一般化。そんな行為だとも言える。コンテクストの浸透とともに成し遂げられれば、ロゴは誰にとっても共通し、どこにでもあって、いつでも感じられる。離れ難く、忘れ得ない。思考を占拠する征服活動の到達点だ。「認識の境界」に立った暁にはそんな景色が広がっているのだろうか。
これも極論でしかないが、シンプルなだけのデザインの行き先はみんな同じ終点駅になるのではないか。デザインが多様性を損なわないために必要なことは、どこまで「認識の境界」に近づけるかという挑戦ではない。付随する活動や提供する体験あってこそブランドになる。トレンドの勢いを借りるだけではダメだ。ロゴマークはいつだって親しみや愛着の中で育まれていくことを、私は忘れずにいたい。「Less is more」が「Less is bore」に変わるのは見たくない。
イギリスの古いロゴに「バス・ペールエール」がある。赤い正三角形に商品名が添えられただけのそれは、とある社員が大晦日を特許庁の階段で過ごした末に登録された。ビール業界におけるブランド認知度の高い例として知られており、ビール愛好者やデザイン愛好者にとっても記憶に残るロゴデザインの一つとなった。世界最古の商標であり、商標番号「1」として現在も残り続けている。