自己を手放しに愛す
私は一人で生きていきたいと考えている
それは他者との繋がりを無くす、という意味ではなく精神的な自立を示す
私は他者から与えられる物に自己肯定感等を託してしまっている
それは家庭環境とか、色んな理由があるんだろうけど、私は他者という媒体無しに、自分を手放しに愛せない
他者が私の話を聞いてくれて、私のことで笑顔になってくれて、言葉を伝えてくれて、はじめて自分を肯定できる
それじゃあそんな優しい他者と触れ合えない時、私はどうなるのか
大いに病むのです
私は必要がないのだと、そもそもなんで生きてるんだと、てか生きるのダルいな、と病むのです
それでササッと死ねたら楽だけど、死ぬ勇気もないから苦しみながら生きるしかない
呻き声を押し殺して、静かに生暖かい涙を流し、それが口元に伝う夜はしょっぱい味がする
去年から私はこの味を幾度となく味わってきて、もうそれだけでお腹いっぱいになってしまった
今頃私の胃には小さな湖みたいな海ができて、そこがいつからか私の居場所となった
去年はほとんど時間を1人で過ごしていたように思う
人間関係がほとんど断たれてしまって、というか自ら絶ってしまって、一日中天井とにらめっこをしていた
その時間は酷く孤独だったけど、同時に落ちついてもいた
期待する他者はいなくて、あるのは空っぽな自分だけ
自分とだけ会話をすれば良いので、何だか孤独感よりも心地良さが、印象として残っている
だからなんとなく悪い思い出にはなっていない
去年は自分を肯定出来ていただろうか?
多分そんなことはなくて、去年の方がもっと辛くて死にたくて、生きる意味なんて何も無かったように思う
そんな私を生活に繋ぎ止めていたのが、創作活動で、狂ったようにそのことだけ考えていた
現実を見るのは苦しかったから、空想ばかりしてアイデアを貯めていた
時々それを引っ張り出しては消化する 去年の作品は死が入り交じった空想物語が多かった
それくらい現実を見ることを拒否していた
時間が進むことが、自分を自分だけで肯定できないことが辛い
早く死にたいが、多分それは本当の解決策では無い 私はただ、誰に言われずとも自分を愛していたい 自分の幸せを最優先に考え、そして人を疑うことなく愛していたい
そのためにまずはたっぷり休もうと思う(休むことが本当に苦手なので、これはかなり難しい課題)
私は今きっと躁鬱の、鬱に入りかけていて苦しいのだ 少し動きすぎてしまった
悲しいが、これは時間が経たないと解決しないと知っているので、ただぼんやりとその時が過ぎるのを待つ
また死のうとしたりするかもしれない しないかもしれない 分からない
でも多分私はなんだかんだ死なない なんだかんだやり過ごして、そうやって18年間生きてきた なので今回も大丈夫だと思いたいが、他者に迷惑はかけたくないな、と思う
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