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作品を作る上での話 (朝の電車 頭の中に流れたラジオ)

作品の評価について、ぼーっと朝の電車で考えていた 取り留めもない思考をここに残しておく

予備校に通っていた頃、作品の評価がそのまま受験の合否につながっていた頃の話
良い作品は予備校の先生、大学の教授が決めるものだった
生徒同士でこの作品は良いだの、問題の意図がわかってないだの、言い合うことはあったものの、最終的に評価を決めるのは先生だった
私たち生徒の評価は、あくまで一意見の範疇
作品の、それを作った個人の人生を揺るがすものでは無かった

大学に入ってそれは著しく変化した
作品を提出する場が大きくなった
生徒の意見が一意見ではなく、作品の評価となった
生徒の感性は研ぎ澄まされていき、個人の作品に与える影響が大きくなる

作品が完成する
多くの人間から評価が下される
静かな、でも大きな波のうねりのように、それは個人の人格に、その後の作品に影響を与えていく

絶対と呼ばれるものはこの世にないと私は思っている
だが時に私たちは一個人の評価を、絶対だと思ってしまう
それは悪いことでは無い しかしそればかりにとらわれて、本当に作りたかったものが見えなくなった時が恐ろしい
絶対と呼ばれるものは存在しないが、必要だ
ではどんなものが 絶対 であれば良いのか
それは私自身である
私自身が、絶対であるかどうか
作品がどれだけ酷くたって良い めちゃくちゃな評価を投げつけられても良い
それを受け止めて、また作品を作れるかどうか 自分の好きな物、作りたかったもの、こだわりを見失わないか
変化は当たり前だ だがその変化は、自分でそうする、と決めたものでなくてはならない
他人によって、自分の意思のないまま、起こったのもではなんの意味もないのだ

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