「未来のミライ」を絶賛したい話。
非常に今さらながら「未来のミライ」を観ました。
酷評されていたので、ちょっと敬遠していましたが、「なんだこれ細田守監督の怪作じゃん」というのが見終わった後の率直な感想。
伝えたいことやりたいこと描きたいこと全部込めました、ってそういうやつじゃないか、と。
台詞で言い過ぎな感はあったかなと思いつつも、細田守監督は昔から台詞で語らせることも多いという認識なので、そこまでの違和感も覚えなかったのです。
という訳で、個人的な総論としては、細田守監督版の「ホーホケキョとなりの山田くん」×「クリスマスキャロル」って感じで、凄く良かったのです。
現在過去未来の繋がり、SFとファンタジーの融合、面倒でも愛すべき家族の存在と大事な家、完璧ではなくダメな部分もあるけれどそれでも自分なりに頑張ろうと足掻く親、親は全てを見ていなくとも日々健やかに成長していく子ども、ケモナー。
不要なのケモナー要素だけじゃん。
家族という構成の中で「人」そのものに焦点を充てるよりも「家」に軸を置くことで、キャラクターではなく普遍的な現代の家族を等身大で描こうとしていた感じは、それこそ演出の妙だと思いました。
一般的な日本の家族があんな面白そうな家に住んでいないことは差し引いておくとして。
そのまさしく中心舞台である「家族の住む家」は、まさにその間取りが独特で、そのおかげで実は全く家から出ていないということを感じさせない動かせ方となっており、アニメというよりも舞台を観ているかのよう。
ここで暗転。そして、転換。再び暗転。元の位置からリスタート。そう思うと、アニメではなく演劇だったら、もっと評価が高かったのかも。
他にも、観ていて思ったのは男親の無力さを前面に押し出していて、「おおかみ子ども」の頃からそこは変わっていないな、と。ただ、その時にあまりにも母親の神聖を描き過ぎてスーパーウーマンを創ってしまった部分はそれなりに補正されていた感じがします。
しかし、この両親の悪いところだけ抽出したら、私のようなダメ夫が生まれるなぁ、と胸を痛めながら観ることになるなど。きっと細田守監督ご自身もこんな感じなのだろうと少し自分を慰めてみました。
一方、当然といえば当然の話として、私と細田守監督の違うところは、間違いなく、見る目と記憶力。子どものリアルな仕草や仕事メインな男性のダメ育児、母親の苦悩などが、デフォルメされつつ現実感を持って表現されていた。
そういうところ含めて全部、細田守監督が伝えたいことのごった煮感がまさに「未来のミライ」。
今までもこれからもきっと細田守監督の普遍的なテーマになるであろう「家族」(とケモナー)というものが、次回作でどのような作品に繋がるのか今後も期待したいところです。
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