夏に辛い鍋を食べるということは、距離をはかるということ
違和感。異物。浮いた存在。この類の言葉を僕は大切にしている。一般的にはネガティブな意味で使われることが多いと思うのだが、自分との正確な距離を掴むことができれば、それは悪い感覚ではないと考えている。
「鍋を食べよう」。友人から連絡があった。連日35度を超えるような暑さで、食欲が落ちている僕には驚きの提案だ。「普通、この季節はそうめんとか蕎麦を食べないかな」僕が返信する。「君の普通は聞いていない。俺は辛い鍋が食べたい。しかも君と」。嬉しい言葉だ。夏には辛い鍋を食べるべきだ。
鍋を食べた瞬間、その考えは間違いであったと確信した。そもそも僕は辛いものが苦手だし、夏バテの体だと暑いものをうまく消化できない。辛さをX軸、料理の温度をY軸で考えた場合、友人は右上の象限、そして僕は左下の象限にいる。この距離こそが違和感の正体だと思う。
鍋は失敗だった。ただ距離をはかれて僕らの友情はより深まったと思う。