仮初の安全と声色の呪縛_14
(前話はこちらから)
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祖母のいない祖母の家に来た。病室でもらった鍵を持って。最近こそ一人で来ることも多くなっていたが、基本は家族と祖母に会いに行くことが多いので不思議な感覚だ。
祖母から渡された鍵は、家の大きさに似合わず小さくておもちゃのようだった。本当に開くか不安になりながら鍵を回すと、まるで僕を歓迎してくれているかのようにスムーズに回り、扉は開いた。
家は、人が住まなくなると傷むと聞いたことがある。祖母の家も様子が変わってしまったように感じる。手入れの行き届いていた庭は、秩序を失いただの野生となってしまっており、家の中は空気の流れが悪く湿気がこもっているように感じた。今の僕ができそうなことは、家の中の空気を循環させることくらいだったので、各方角の窓を開けていった。季節はすっかり秋で、少し肌寒い風が家の中にある淀んだ空気を薄めてくれる。
僕は縁側に座り、庭の写真を撮影した。祖母が大切にしている庭なので何とか整備したいのだが、僕にはその方法がまったく分からなかったので、誰かに相談をするためにこの状況を残しておく必要があると考えたのだ。
縁側にただ座っていると寒かったので、僕は台所に行ってお湯を沸かすことにした。祖母といえば縁側でお茶を飲んでいるイメージがあったので、祖母の代わりに僕がお茶を飲めば、家に意識があるかは分からないが安心するような気がした。
食器棚には薄らと埃が溜まり始めていたが、お皿や茶碗、コップやお箸は丁寧に収納されていた。亡くなってしまった祖父の食器類は一番上に置いているのが何とも祖母らしい。今でも一番大切なのは、祖父なんだろう。その下には母の世代、そしてその下には孫の世代の食器が並んでいる。小学生の修学旅行で祖父と祖母にあげたお箸も大事に保管されていた。従兄弟たちもお土産でお箸を買っているようで同じようなものがたくさんあって、思わず笑ってしまった。
「同じような箸がたくさんあるの」
この家には僕しかいないはずなのだが、少女の声が聞こえた。僕は、恐る恐るあたりを見回してみるが声の主を確認することはできなかった。怖いのは間違いないが、祖母の家に悪いものはいないと信じてお茶っ葉を探すことにする。多分、食器棚の下にあったような気がする。
「そう。そこにあるよ」
呪いとか幽霊の類である可能性はあるけど、食器棚の下にはお茶っ葉があったので声の主に悪意はないと信じることにした。
お茶を飲みながら、縁側で庭を眺める。落ち着かない時はここで深呼吸をすればよい。大きく息を吸って、ゆっくり時間をかけて吐く。冷たい空気が僕の体に満ちていき、温かいお茶がそれをほぐしてくれる。頭がスッキリした。僕は開けた窓を閉めってしっかり戸締りをした。祖母の家を離れる時に再度縁側を眺めると少女がいたような気がするが、今日はもうそのことを考えたくなかったので予備校に向かうことにした。
「確かに少し荒れているな。それとともに大切にされているのも分かる庭だ。早坂のおばあ様は自然や植物を大切にできる尊敬に値する方だ」
予備校での太田は、独特な話し方になる。詳しくは聞けていないが、信頼できる人より信頼できない人の方がこの教室には多いということだだろう。防衛本能が働き本来の自分を隠そうとしている。
病院で早坂の母親の姿を見た時、何となく太田の家はしっかりしている家のような気がして、庭とかもありそうだと思ったので、太田に祖母の家の庭の写真を見せてみたのだ。太田に写真を見せると、難しい数学の問題に遭遇した時のように目を輝かせたのだ。
「この写真だけでそこまで判断できるものなのかな?」
僕は、太田に疑いの目を向けた。祖母が大切に庭の手入れをしていたのはもちろん知っているが、その手入れのスキルについてはほぼ何も理解できないため簡単に判断できるのが不思議だった。
「説明するのは難しいな。強いて言うなら…、散髪を思い出すと良いかもしれない。髪を切った瞬間をベストの状態に設定して髪を切る人は、実はほとんどいない。切った後の伸び方を想像して、長く良い状態を保とうとするのが重要になるんだよ。その考えのもとでおばあ様の庭を見るとバランスの良い期間が長かったことが分かる。例えばこの部分とこの部分のバランスは保てているけど、ここに花が枯れてしまったスペースがある。多分、季節が変わってしまったからだろう。ここの調整を行えば秋から冬にかけての景観は良い状態をまた保てるようになると思う」
太田は写真を指差しながら、具体的な対策を話してくれた。数学もできて庭の知識もあるのか。不思議と嫉妬は生まれず、尊敬の眼差しで太田を見つめてしまう。
「なんだ?何か顔についているか」
「いや、数学もできて庭についても一定の知識があってすごいなと思ってさ」
僕がニコニコしていると、太田は恥ずかしそうにしていた。
「ところで、ここの縁側に少女の影のようなものが見えるのだが気のせいか」
僕は、ドキッとしながら携帯の写真を見るが少女の影は見えなかった。
「いや、見えないけど。でも祖母の家に行った時に少女の声が聞こえたような気がするんだ。悪い印象はなかったけど、怖かったから特にそれ以上、その声の主を探そうとしなかったけど」
信じてもらえないと思ったが、何となく太田には伝えても大丈夫な気がしたので、伝えてみた。
「そんなことがあったのか…。早坂どうだろう。私は少女の影が見えて、早坂は少女の声が聞こえている。これは調査するべきだと思うのだが」
「そうだね。少しというか、かなり気になるので調査したい。太田もきてくれるか」
「もちろん。そのつもりで提案をしたのだ」
太田と僕は頷き、調査をするスケジュールを合わせることにした。意外と二人のスケジュールは合わず11月の3週目の模試の後に祖母の家に行くことになった。