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分からないことが分からないから、選択は始まった

 何かを選ぶ時は検討、すなわち情報が必要だ。
 「それでいいのか」。いつも寡黙な父がそう言ってきた。僕は当時15歳。思春期の真っ只中で将来を考えれば、受験を最優先にするべきことはなんとなく想像はついていたのだが、友達と今を楽しむ欲望に勝てない少年だった。
 「もう一度聞く。それでいいのか」。特に行きたい高校もなかったので、友達たちが言っていた学校名を伝えた時にそう言われた。これが人生で初めて選択というものを迫られた時だ。当時はまだSNSやインターネットも発達しておらず、頼れるのは学校や塾からもらう情報と先輩や友人との会話くらい。それでも父は僕に選択をさせようとしている。
 「もう少し考えてみろ」。そう言うと父は晩酌を始めて、野球のナイター中継に目を向けた。父の視線は僕から外れ、母と妹が心配そうに僕を見ている。その優しい視線が痛かった。
 この状況は孤独で辛いものだったが、コツコツと気になる学校のパンフレットを取り寄せて、学校の特徴や教育の方針、強調したい情報を確認するのはとても楽しかった。選択の基準がはっきりしてくる実感もあった。ただ、この基準は僕を大いに苦しめた。友達を裏切る。あるいは捨てるような感覚が僕の心にまとわりつくのだ。みんなが行きたいと言っている高校と僕が行きたい高校は違う。
 塞ぎ込んでいる僕に気がついた親友が、声をかけてくれた。素直に今の自分の状況を話した。父に選択を迫られていること。学校のパンフレットをたくさん見ていること。自分に基準ができていること。そして、みんなと違う考えに行き着いていることを。「なんだ。そんなことか。それで言うと俺もみんなと違う高校に行こうと思っているよ。ずっと一緒にいられるわけじゃないからね。たまには自分中心に考えてみたら」。たしかにそうだ。ずっと近所で一緒に育っているから、これからもずっと一緒だと思ったけど、そうではないことを親友が教えてくれた。背中を押されて嬉しかったが、少し悲しい気持ちにもなったことを思い出す。
 「この高校を目指すことに決めました」。父に報告をした。「そうか」。父は頷き、例の如く晩酌を始め、野球のナイター中継に目を向けた。僕も食事を進めようとすると「頑張れよ」。父はそう言ってくれた。分からないことが分からない状態から、自分なりに選択をしたことに父は満足してくれたのだろうか。
 歴史の教科書で元服は15歳だと学んだ記憶がある。受験に出題されていたり、儀式をやってもらえていたらもっと印象に残る言葉になっていたかもしれないが、あいにく元服については、成人になったことを示す儀式であることしか知らない。ただ、大人の階段を登り始めたという感覚は明確に覚えている。
 今もこの選択が正しかったのかは、分からない。正直辛いことが多い気もする。でも、楽しいこともそれなりにある。一つ言えることは、自分で選んでよかったということだ。 
 大人の階段も中腹くらいまできた。きっとこれからも多くの選択が僕を待っているだろう。でも、この経験がきっと僕を助けてくれるはずだ。

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