仮初の安全と声色の呪縛_20(最終話)
(前話はこちらから_20/20)
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年明け、祖母は天国に旅立ってしまった。最後の方は、眠る時間も長くなり、食事は全く摂れない状態だった。おそらく苦しみなどはなく、本当に静かに眠るように逝ってしまった。家族や親族はもちろん、自分の名前すらも忘れ、全ての記憶を病気に奪われ、空っぽになってしまった。僕個人の考えではあるが、祖母の思慮深さと知識がなければ、年明けまで持つこともなかったと思う。最後まで僕の大好きな祖母でいてくれた。大晦日やお正月が大好きな祖母だったので、何も体験はさせてあげられなかったけど、その2日間を現世で過ごせたのは、祖母を想う多くの人からの最後のプレゼントだったのかもしれない。
葬儀は祖母らしく、笑顔が溢れていた。もちろんその分、涙も多かったが…。遺影を見ながら祖母の思い出を語る大人たちは、とても楽しそうで、話終わる直前になると言葉を詰まらせていた。祖母は本当に多くの人たちを幸せにしていたことが分かる時間だった。
式には隆太や淳、太田も来てくれた。実はこの3人が揃うのは、この場が初めてのことだった。改めて僕は太田の紹介をして、太田は例の変な話し方で自分のことを隆太と淳に話していた。夏期講習での僕の偏見しか情報が入っていなかった隆太と淳は、最初こそ警戒をして太田の話を聞いていたが、僕がとても良い友人だと思っていることを伝えてからは、警戒を解いて仲良くなっていた。
「おばあさん、残念だったな」
隆太が僕の肩をぽんぽんと叩きながら言う。淳は僕に魚の刺繍が施されたハンカチを渡してくれた。僕は魚屋の息子から魚のハンカチを渡されて思わず笑ってしまった。
「なっ、笑ってくれただろ」
隆太はドヤ顔で淳を見ていた。淳も嬉しそうに僕のことを見ている。
「横浜駅でたまたま見つけたんだよ。こんな場だけど、慶太のおばあさんはいつもチャーミングだったから、慶太を笑わせても怒らないと思ってな」
「それはとても良い考えだ。私も慶太を笑わせる道具を持ってくればよかった」
隆太の発言に太田が反応する。祖母も良い友達を持ったわねと言ってくれそうな瞬間だった。
「みんな、今日は来てくれてありがとう。おばあちゃんも喜んでくれていると思うよ」
僕は3人に深々とお礼をした。
この後の1年はあっという間だった。高校3年生の三者面談は、高校2年生のそれとは大分違ったと思う。父や母ともちゃんと話をして志望校も僕なりの考えを持って選ぶことができていた。吉岡先生も安堵の表情を浮かべていた。多分、僕だけが志望校が定まっておらず、やきもきしていたのだと思う。隆太も淳も上手くいったようで、三者面談翌日の無言の登校は起こらなかった。唯一文句を言っていたのは太田くらいだ。
「慶太はもっと良い大学に行けると思う」
予備校で会うたびにそればかり言っていた。
でも、僕は意見を変える気はなかった。声色の呪縛を持つ僕だから、心理学を学ぼうと考えたのだ。人の声色に縛られるのではなく、その声色になる人の心理を探求してみたくなったのだ。祖母と同じこの能力を自分なりに解釈してみたい。
不思議なことが一つあった。祖母から渡されたおもちゃのような鍵が、本当におもちゃの鍵になってしまったのだ。要は祖母の家の扉はその鍵では開かなくなったのだ。母が持っている祖母の家の鍵と僕が持っている鍵は全く形状が違った。そんなことある訳がないと思い、実際に鍵を入れようとしたのだが、鍵穴にすら入らなかった。
「それは不思議だね。でもあんな不思議なことを体験したから、鍵が入らないことはむしろ自然なことのように感じてしまう。おばあ様が慶太に伝えたいことがあったから開いたと考えるのが良いかもしれないね」
太田に相談したら、そんな回答をもらった。確かにそれはあるかもしれない。
「おばあ様の病気で失っていく記憶が一時的にあの家に戻ったのかもね」
もう扉が開かないから、誰も正解は確認できない。そんな時は自分で折り合いをつけるしかない。
こんな体験をして、僕らは大学生になり、20歳になった。
同窓会は本当にただの飲み会だった。当然だけど男しかいないし、話す内容なんて女性関連の下世話なものしかない。少しまともな話があるとすれば、大学の授業の話やアルバイトの話をすることだが、結局はその授業にいるかわいい女の子の話になり、同じシフトに新しく入ったきれいな女の子の話になるのだ。全ての話が女性に繋がる2時間半。男子校に通っていた僕らだからできる芸当だと誰かが叫び、しまいにはその場にいる全員がその謎の能力を誇り始める有様だった。何も生まない変わりに、誰も傷つかない同窓会はそうして終わった。
隆太と淳と二次会で飲んでいると綾が合流した。
「久しぶり。慶太と愉快な仲間たち」
隆太と淳が明らかに納得していない顔をしている。
「違うから、隆太と愉快な仲間たちだから」
「いや、それも違う。淳と愉快な仲間たちだから」
「全部違うでしょ。隆太と淳、慶太でしょ」
「やっぱり慶太が一番まともなことを言うから、私の発言が正しいな」
無限ループしそうな会話だったので、全員が綾の発言を無視した。
「綾は何を飲むの」
「生ビールと決まっている」
僕は頷き、追加の注文を行った。
「久しぶりの再会に、乾杯」
いつも通り隆太が音頭をとる。
僕たちは少しずつではあるが、大人になっている。こうしてお酒を飲むようになり、これからは誰のためでもなく、自分のために働くことにもなるだろう。
結局、自分の居場所は、自分の意志で決めるしかないから。