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東洋史専攻の「東洋」って?

これ、もしかしたら各大学でも取り扱いが違うかもしれないんですよね。各大学の流れがあったり、教授陣の出自などによっても微妙に違うかもしれません。史学科と歴史学科は何が違うのか?


この「東洋」という言い方は他の言葉と並べたら解りますよね。「西洋」と「日本史」。とはいえ、日本は東洋の一部だろうし、西洋って一体どこまでを指すのかも解りにくい。

「中国史」だと中国から見た「東洋」「西洋」はまた違う場合があります。私が卒論でテーマにした鄭和という人物(明)の時代では明から見た下側の海洋を東西に分けるんですよね。確か現在のマレーシアかインドネシアあたりの海峡から東が東洋、アフリカ方面が西洋だったような気がします。


私が在籍していた時代、東洋は基本的に「中国」がメインで講義等が展開され、一部の人が朝鮮やモンゴルや東南アジアなどに興味を持っていました。

これは歴史学科は史料等で学問を進める為、どうしても史料が豊富な地域をメインにするんですよね。口伝などで歴史を語り継いできた地域はどうしても対象になり難い。別の学問分野に入ってしまう感じです。

この辺に歴史学科の限界があるな、と思っていました。史料絶対主義だと限られた範囲でしか学問は成立せず、重箱の隅を突くような形になりやすい。しかも、多くの地域を切り捨てる形になるから、実学的にも扱い難い。

これは西洋でも同じですし、日本史でさえ、どうしても史料があるところに集まらざるを得ない。


最初のルール設定が「こう」だから、そうなっていくと考えられるんですよね。みんなの興味関心によって決められるわけではない状態。今は解りませんが、当時はそうだったんですよね。

歴史的な立場でもポジションや友好度、交流度なんて一切なくて、とにかく史料があるかないか。だからこそ、自分が卒論に選んだ鄭和はあちこちの地域の記録を残した貴重な存在となるのですが・・・


★★★

今の時代でも言語化されている地域や分野は意識に上りやすいと思います。人々の関心があるからその地域の情報が集まると言えますが、逆に情報が集まっているから人の関心が集まるようになって、気付かぬうちに・・・

というサイクルが出来上がっている場合もあります。グローバルを考えるなら、先ずはそういった偏重のようなものがあることを予想し、意図的に興味を再構築する必要もあると思うんですよね。

それと「専門」の中でもこうした偏りがあるとすれば専門を横断して学んでいかないと不足すると思うんですよね。ましてやどんどん細分化し、狭いところを掘ることで研究成果を上げている場合、他のことは見えない。

もちろん、そういった方々が研究を進めて頂いているおかげでパズルのピースが多く集まっていくのですが、総合的に絵を完成させていくためには全体のイメージを捉える必要がありますよね。


歴史学は非常に重要な学問だと思います。きちっと世界を捉えていくためにもどの地域も網羅し、全体の中から一部を選んでいけるようにしていく必要もあるでしょう。「歴史的な流れ」から偏りが発生し、そのまま進んでいくと「日本はサムライが歩いている国」なんてことにもなりかねないんですよね・・・

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神屋伸行/加古川優考塾/走遊Lab代表
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