〈書評〉1900年代のアメリカと黒人│『ブラック・ボーイ ある幼少期の記録(上)(下)/リチャード・ライト』
追記:2024/11/23
僕が16歳の時に書いた記事です
面白かったので再公開します
1.雑記+導入
日本の公教育の理想形と、本当の理想との乖離を感じたのは、この書籍の書評を幾つか探しながら、社会の構造論を吟味していた時に起因する
ブラック・ボーイ―ある幼少期の記録〈上〉 (岩波文庫) https://www.amazon.co.jp/dp/400323281X/ref=cm_sw_r_cp_apa_i_VajbEbPWNPC2Z
ISBN-13: 978-4003232811 ISBN-10: 400323281X
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本作はリチャード・ライト氏の自伝的小説で、タイトルの通り、黒人少年の艱難辛苦の生き様が描かれる
南アメリカの各地を転々とし、暴力が生活と密接している環境において、社会そのものを千思万考する、極めて優れた作品なのだが
インターネットにて、書評を探した所、もっとも導き出すべきでない答えが平然と転がっている事に辟易してしまった
つまり、「今の環境が恵まれている事に感謝」する、といった''感想''に対してである
これこそが公教育の汚点なのだ、と反芻した
確かに日本の環境はここで描かれている苛烈なものと比べれば、見劣りするし、恵まれている様にも受け取れるだろう
だが、ただでさえ衰退途上、貧困と人口減で、これから産まれてくる子供は、過酷な環境に立たされる事は、誰の目にも明白なのだ
次の世代にも、私達は平然と「今の日本は恵まれている」と宣えるのか?
言えるとして、その次の世代は?
そもそも、''恵まれている環境''を本能に植え付けたのが日本の構造としての失敗では無いのか
他の発展途上国の現状を教育として見せ、ただ感想として日本の優位点を挙げる事は、何の意味があったのだろう
国内での貧困層、酷い労働環境、守られない人権、法整備の甘さに目を向けさせる過程として、日本も逆戻りする可能性がある事を示す例とするのであれば
「恵まれている」と完結させては駄目だった
結論付けさせては駄目だったのだ
戦時中に比べれば、とても平和になったから、更に良い環境にして、次世代に繋ぐ為の具体的な案が必要だと、念入りに教育しておけば
馬鹿面下げて、「国や環境に文句を言うな」とほざく、180度間違った結論を真理と誤認した、臭い爺共とエンカウントする期待値も減っただろう
不要なのだ、「恵まれている」という結論は
前よりは良いが、その環境で苦しんでいる人間は変わらず居て、彼らが救われない限り、まだ発展途上なのだという結論を、蔓延させられなかった大失敗である
この真理を、この書籍を読んでいて、まだ気が付かないのか?
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