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【衝撃】ADHDの薬を試したら、世界が、変わった

 ストラテラを飲んだ効果を記述していこうと思う。

 僕は診断済みADHDである。正確にはASD+ADHDである。以前から、ストラテラという薬がADHDに効果が大きいのは知っていた。もしくは、同様にコンサータが効果が高いと知っており、試したのだが、体に合わず精神的な不調に陥った事がある。それで、ストラテラは長い間試したことがなかった。つまり、ADHDという診断はもらいながら、長い間ADHDの薬なしで生活していた事になる。そして、僕はそれで問題なかった。今回処方して貰った理由は「最強になるため」だ。


僕は頑張っていたADHDである

 前提として、僕はADHDの中でもかなりドーパミン制御を頑張っていた方だ。実際のADHDの方について、全く具体的に知っている訳ではない。ただ、推測するに、「YouTube見ていたら2時間経っていた」とか、もしくはそれどころではないADHDの人は多くいるように見受けられる。そう思った理由は、ADHD公言者のX投稿などを見ての推測だ。実際、ADHDとドーパミン漬けにするSNSとの相性(の悪さ/良さ)についての言及をよく見る。その内容とは、ADHD特性がSNSやYouTubeなどの閲覧を「止まらなくさせる」というものだ。

 それにしては、僕は比較的ドーパミン漬けでない方だった。具体的には、スマホのスクリーンタイムで平均5時間ほどに抑えていた。これでも「多い」と思う方はいるかもしれないが、ADHDで記事を見てくれている人は、かなり凄いと思って頂けるのではないか。

 なぜ、そこまでドーパミン漬けを防げていたかというと、一つは読書習慣である。実際には、習慣といえるほどに強固ではないのだが、毎日、読書を目的意識を持って行っていた。根底には、スマホをいじる時間をなるべく減らして、読書時間を増やした方がいいという考えを持っていた事も大きい。もう一つは、これは僅かだが、自己啓発系の「ドーパミンデトックス」への賛同的見解を持っていた事だ。無論、一日5時間もスマホを使っているようでは、ドーパミンデトックスなど出来ていない。出来てはいないのだが、これもなるべく減らそうという意思には大きな影響を及ぼした。

 そんな訳で、僕は情動の制御に関しては普通のADHDの人よりかなり頑張っていた。スマホも、Xを開いて、時間を忘れることはよくあったが、「ヤバい、時間を忘れていた」と思ったら、なるべくやめようと努力していた。

 そして、それが比較的成功していたので、ADHDの大変さは常にあったが、そのまま生活は出来ていた。薬がなくても生活は出来たということだ。しかし、唯一のこの苦痛、衝動性や不注意なども取り除いたら、どんなに理想的な生活になるだろうと思い至った。僕は三ヶ月ぶりに精神科に赴き、ストラテラの処方を希望した。ストラテラは、脳に作用して、ノルアドレナリンとドパミンを増やし、ADHDの症状を改善する薬である。

読書が変わった

 医者は難なく処方してくれた。「今まで飲んでなかったんだ」とまで言われた。家に帰った僕は、処方されたストラテラを早速、今日の14時に飲んでみた。そして、真っ先に読書に取りかかった。結果は圧倒的だった。

 まず、僕の読書の際の苦痛は、常に「やめましょうよ」とささやかれることだった。ささやかれる、というか、自分でそう思っているだけなのだが、読書をしていると「今、読書をやめる」という選択肢が常に目の前に提示される。恐らく、これは読書が比較的苦痛を伴う作業だという事に起因している。もしくは、集中するまでに時間がかかる。最初の5ページくらいは全く軌道に乗ってこず、イライラする。軌道に乗ってきても、常に脳内が暴れ回っており、考え事をして、文章を読み飛ばしてしまう。しかし、だから読書を諦めるという選択肢は全くなかった。こんな中でも、僕は、多いときには月15冊ほど読んでいた。

 それで、14時から読み始めたのだが、話が違った。まず、1ページ目から難なく集中出来る。それでいて、集中というのがどういうものなのか初めて理解した。今までは、本の内容が面白く、読みながら母親に本について話しかけると、途端に集中力が切れて、乗ってくるまで大変イライラしたが、今は集中が一切途切れない。そして、本を読むスピードも圧倒的に速くなっていた。「本を読むのを、やめよう」という選択肢は一切提示されない。僕はそのまま、2時間かけて200ページの本を一気に読み切った。

音の聞こえが違う

 それで、僕は少し休憩時間を取ることにした。さすがに2時間も集中して本を読むのは、脳が健常者になっているとはいえ、健常者の脳にも負担だろうと考えた。それで、いつものように家で歌を歌い始めたのだが、それが違った。音が尋常でないぐらいはっきり聞こえる。何から何まで感覚が違う。それは大変美しかった。

 この効果を深く実感するために、音楽を聴いてみた。最初に聴いた曲はjohn / TOOBOEの『春嵐』だった。聴いてみて、正直そこまで変化はないように思えて、賛美歌を垂れ流しながらこの記事を書き始めた。しかし、その後驚く事になる。この賛美歌(『Dear Lord and Father of Mankind』)は最後に音量が大きくなり、盛り上がるパートがある。そこで衝撃を受けた。あまりにもいつも聴く曲とは違っていた。結局のところ、『春嵐』を聴いて大して盛り上がらなかったのは、音量の問題だと結論付けた。

 僕は、Eveの『お気に召すまま』を聴き始めた。記事を書くのは一旦やめて休憩していた。音は明らかに違った。しばらく休憩を取った後、音楽を再開したところで「これからもずっとよろしくね」という歌詞が聞こえてきた。僕は、ストラテラがこれからも僕と共にいてくれる事を思い浮かべ、壮大な心持ちになった。思えば、この特性で今まで僕はどれだけ苦労してきたか。読書一つとっても、僕はどれだけ頑張って読み進めていたか。本当に健常者になってしまった。ずっとこれが続いてくれるのか?期待してはいけない。ただ、期待したかった。

感情が小さくなった

 僕の家庭内の問題は、母親との関係だった。母親に対して、僕は頻繁にキレていた。それで、僕が悪者のように扱われていた。今日、その構造が初めて分かった。僕は、母親に露悪的な事を言われる度、イライラがコントロールできずキレていたのだ。今日、母親に極めて侮辱的なことを2回も言われた。しかし、それが全く響かなかった。若干の「イラッ」も、豆を噛みつぶすようにすぐに沈下させる事が出来た。健常者はこんなにも簡単に情動のコントロールが出来ているのかと驚いた。

 また、「不安」などの感情もとても小さくなった。実際、不安は今まで通り浮かんでくるのだけど、その情動がとても小さい。簡単に制御できる。不安に押しつぶされるなど有り得ない。

記事の執筆にも効果が…?

 そして、言うまでもなく、今日書いているこの記事にも影響が出ている。まず、この記事を書き始めたのは18:30頃である。そこから、19時15分までで実に2000文字を書き上げた。とはいえ、元々、僕の執筆スピードは速い。なので、この速度で書き上げられた事はそこまで問題ではない。

 今までの僕の文章は、ADHDの思考のまとまりのなさが大きく反映された記事だった。つまり、論理的な飛躍があったり、話が飛んだりしていた。また、文章を書くとき、頭をひねって何かを「思い出す」必要があった。ストラテラを飲んで、それが全くなくなった。いつもの記事と読み比べて頂ければ分かるだろう。如何に一貫性のある記事を私が苦手としており、この記事が特異的であるか。文章は極めて構造的になり、読みやすさは向上した。僕は執筆においてもADHD特性が悪い方に影響していたのだと知った。

【総評】健常者はズルすぎる?僕たちは本当によく頑張っている!

 ストラテラを使っての正直な感想、それは健常者はズルすぎる!というものだった。なぜなら、ADHD由来の苦痛が生活の全範囲に及んでいたことを、この薬を飲んで理解したからだ。本を読む際にも、健常者はここまで簡単に読み進める事が出来たのか、とか、音楽もこんなにはっきり聞こえていたのか、とか、全体的に今までの人生はなんだったんだと思えてきた。ここまで自分を制御する事が簡単ならば、そりゃ「すぐキレる人」などを軽蔑するんだろうな、と思った。だって情動が小さく、コントロールがこんなに簡単なんだから。

 ただ、ひとつ懸念点がある。それは、前提にも書いたとおり、僕が衝動制御をかなり頑張っていたADHDだということだ。つまり、今の僕のこの完全なコントロール感、圧倒的な集中力などは、人によっては再現が出来ない可能性がある。例えば、この日は、追加で200ページ残りほどの本も読み切った。合計4時間くらい読書をしていた事になる。これが、皆が再現出来るかというと、難しいかもしれない。

 また、改めて今の社会は健常者優位だな、と思った。例えば、ADHD相手に露悪的なことを言って、ブチ切れられたとして、それをADHD側に全責任を押しつける社会には極めて問題がある。むしろ、こちらの脳のシステム的には、コントロールできないほどの情動を喚起させる事を平然と行う健常者側に極めて問題があると言える。「普通ならキレない」から舐めた態度を平然と取る人は多いのだろうが、そういう人へのカウンターとして、ADHD的な存在は必須だと思った。

 ここまで、健常者脳に対して肯定的な事しか書いていないので、一点だけ健常者脳のデメリットも言って終わりしたい。それは、「快」感情も小さくなったということだ。例えば、食事を食べるとき、以前は「うまあああ~~~」と言うぐらいには喜びもだえていた。それぐらい快感が大きかった。ただ、ストラテラを飲んで初めての夕食を食べて、快感が明らかに小さくなっているのを感じた。健常者はご飯を食べる時、わざわざうまいうまい言わない人が多いのは知っていたが、実際この程度の快感しか味わえていないなら当然だと思った。

 それにしても、僕たちはよく頑張っていたんだな、ということがよく分かった。脳のシステムを変えるだけで、ここまで日常が楽になった事で、今までの大変さを強く実感した。あの、記憶が浮かんでこない苦痛、すぐに物が消える苦痛、それ以外のあらゆる衝動的な行動の苦痛…。こんなものを抱えて生きてきた僕たちは、間違いなく誰よりも頑張っていた。「発達障害は努力不足」とかいう言説。あれを言っているのは全員馬鹿だ。

 ストラテラを飲まずにADHDの暮らしを行うのもそこまで悪くなかった。しかし、飲んでみると、ここまで理想的な生活が送れるなら、ずっと飲み続けたいと思えた。今後も定期的に生活の変化を報告していきたいと思う。それでは、この記事が皆さんの障害理解に役に立つように祈って、筆を置こう。



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