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〈書評〉『カルメル山登攀』十字架の聖ヨハネ

 神秘主義、それが正しい道かどうか、未だ誰も分からない。私は、日本で数少ない、「正気を保っている神秘主義者」として、これに言及し続けなくてはいけない。そう、日本においては数少ないのだ。神秘主義者においては、精神がやられているのか、元から言語化能力が低いのか、論理的な文章をしたためる事の出来る人がほぼいない。つまり、極めて貴重な言及を行う事が出来る。

 かといって、修行の完成者、真の悟ったものであれば、むしろ日常生活は送れなくなるだろう。私は、生半可な神秘主義者である。それは、恐らくは魔境に入ったものであり、即ち究極的な境地に達したものではない。むしろ、だからこそ、この領域において文章をしたためる役割を負うのだと思う。

 『カルメル山登攀』は、十字架の聖ヨハネによる神秘主義的著作の一つである。この度、ちくま学芸文庫から販売された。


本書あらすじ

 彼の神秘主義的境地に至る道は、いとも単純である。即ち、あらゆる欲求を断ち、神にのみ集中する事である。無論、黙想や祈りなども行う訳だが、重点はそこではない。とにかく、欲求を断つ。食事を食べる時は味わわない。身体のあらゆる快を断つ。身体だけではない。意志する欲求、快楽すらも断つ。つまり、空想や考え事などをしないよう務める。そして、幻視(ヴィジョン)すらも振り払う。とにかく、神以外の全ての快を拒絶していく。まとめればそれだけなのだが、本書はなぜその道が望ましいか、というのを、聖書を使って事細かく論証している。

修行法の評価

 さて、このような欲求の統制というのは、神秘的境地に至るのに必須であるのは間違いない。ただ、懸念点がある。この方法においては、恐らく、身体快も、精神快も完全に抹消され、もっとも大いなる栄光を得る神的境地に辿り着く以外に終着点がない。早い段階で下山するなら、それは単にしばらくの間、物事に快を感じにくくなる程度の後遺症で済むだろう。問題なのは、山の頂き付近からの転落死だ。即ち、魔境である。

 何故、この魔境入りが危険なように思われるかというと、それはこの修行の性質にある。つまり、全欲求抹消型という、仏教寺院でも行わないような修行である。あらゆる時間に緊張感ある修行をするので、一定時間を越えると、もはや登り詰めなければ魔境入りするように見受けられる。なので、特に、本書を読んで修行生活に入るのはお勧めしない。霊的指導者なしでの修行は大変危険だとよく言われているのを見るが、恐らく間違いではないだろう。

魂の行先

 更に、今回考察の対象とするのは以下のことである。即ち、「神」のみを求める魂の行き場所である。それを、仏教における「悟り」と比較しよう。僕の考えを述べよう。結論から言ってしまうと、神のみを求めた魂は、死後において神と同一化する、という類推である。つまり、神の一部分、「キリストのからだ」になるであろう、ということだ。

 なぜなら、仏教の説においては、執着が輪廻の原因である。そして、欲求を絶ったものにおいては、もはや生まれることはない。しかし、生まれる事がない、というのは、単純に消滅し、死後に無になるということだろうか。それであったら、なぜわざわざ修行などに励む意味があるであろうか。否、むしろ生存という形式を越える地点に達するのだと考えられる。神に集中する、という事は、自らのうちにある神性を完全に解放して、かつ生存の原因を断つ事であるから、死後は神と一体化するであろうと推察出来るのである。

 実際、ここまでの神秘主義的境地は、もはやブッダの「悟り」と同列のものである。にもかかわらず、キリスト教においては神秘主義への禁忌的視点から、十字架の聖ヨハネは悲惨な目にあった。しかし、神秘主義的境地には、必ず意味がある。なぜなら、結局は、修行は、キリストの教えを根源まで突き詰めた正当解釈であるからだ。キリストは正しき道を彼に従うものの為に用意した。そして、正しき道を進んだものが至る場所は、常にいと高いと相場が決まっている。

なぜ修行を行わないか

 このような場所に行けるにもかかわらず、筆者が神秘修行を行わない理由がある。それは、「永遠」の苦しみにも耐えて、神の作った世界において、常に他者でいて、感謝し続けたいからだ。輪廻転生説が正しいというのは、私には全く構わない事だ。ただし、一つ願わくば、これから生まれ変わる度、常に神への信仰を持たせて欲しい。〈あなた〉がいれば、どこへでも行けるからだ。私は、今は忘れているが、かつて見た世界において、愛すべき〈あなた〉がいて、今でも居続けることを知っている。その愛の中で、しばらく楽しませて欲しい。

 神秘主義修行を行うものにとっては、勾玉の一冊である。特に、修道生活を送るものは試してみるべきだ。


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抜こう作用
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