「仕事ができないのは、何が問題?」へっぽこ編集者、森博嗣先生に教わる【3】
根底から間違っている私
「仕事ができない」と一口にいっても、いろいろな「できない」がありますね。どうも編集Yです。ちなみに私は基本全部できないです(断言)。電話もメールも苦手だし、書類も間違えるし、締切も守れないです! 威張って言うことではないです。関係各所の皆さますみません。とはいえ、人には凸凹があって当然。苦手なことも得意なこともあれば良いと思うんです。でも私の場合、本を作るのも別にうまくないっていう……。
そんな次第で、森先生に「仕事ができない私は何を学ぶと良いですか」と聞いたら「何を学ぶかではなくやりたいことを見つけなければ」と、根底から間違っていると諭された第3回、お楽しみください。
というか、自分のファンだと原稿を依頼してきた編集者が、「仕事できないんですけど」とか言い始めて、森先生困っただろうな……(遠い目)。
『アンチ整理術』第6章「本書の編集者との問答」より(第3回)
仕事ができないのは、何が問題?
編集者Y(以下、Y)「『一万時間勉強すると、その道のプロになれる』『二千冊の本を読めば、その分野の専門家になれる』などとよくいわれています。どう思われますか?」
森博嗣(以下、森)「文系の専門家はそうなのですか? よく知りませんが。理系の専門家は、だいぶ事情が違うと思いますよ」
Y「けっこう長い時間だし、膨大な冊数だと思いますが、それぐらいやれば、ものになるはずなのだから、みんなやるべき、なのでしょうか?」
森「そこまでしなくても、ものになるのでは? おそらく数の問題ではなく、悩むくらいなら、まずやれ、という話を、そういうレトリックでいっているのだと思います。どうしたら小説家になれるか、それは小説を書くしかない。上手く書けませんと悩むのは、二十作くらい書いてからにしなさい、とどこかの作家が書いていますが、それも同じでしょう」
Y「『仕事ができない』という場合、本人の才能・資質だけの問題だと思いますか?」
森「それもありますが、大きいのは相性でしょうね。本人の資質と、その職種の相性、あるいは、人間関係も含めた仕事環境との相性。上司との相性も、大きいのでは?」
Y「人間関係で揉もめて辞めるというのは、たしかによくある話です。たとえばブラック企業にいるとか、社内調整が上手くできないとか、話し方が下手だとか、そういう理由もあったりするんでしょうか? 広い意味では、それらも本人の資質ですが」
森「合う合わない、と明確に分かれているわけではなく、もっとファジィですよね。漠然と捉えているものを、あえて言葉にしてしまうと、合わない、となってしまうだけです。そもそも人間が非常に不確定で、変化の激しい装置ですから、機械のように適材適所というわけにもいきません。スペックがわからないからです。自分でもわからない。スペックを知るためには、仕事をさせてみるしかないし、時間が必要でしょう。あと、この頃の若者は、自分の力を出し切っていない、みたいな幻想を持っていますよね。力を出し切ることが勝負に勝つ方法だ、と教えられているみたいですが、僕は、力を出し切るという意味がわかりません。力を出し切らないで仕事をした方が健全だと思います。そんなに一所懸命になる必要はないし、それくらい力を抜いた状態こそが、その人の性能だと思います。機械は、みんなそうですよ。最大出力で使ったりしません」
自分に合った仕事?
Y「それは、ありますね。余裕を持て、ということですね。うーん、でも、頑張りたいのに頑張れない、と思うことが多いのですが……」
森「べつに頑張る必要はありません。頑張っても疲れるだけでしょう?」
Y「いろいろな理由があって、思い切りできないような気がします。『仕事ができない』という場合、どのように問題を解決すれば良いと思いますか?」
森「それは場合によりますね。その人物の能力が活かせる仕事をさせる、というのが雇う側の論理です。また本人にとっては、自分がやりたい職場を望むでしょうね。だいたい、両者は一致していません。本人が正しく自分を評価できているかどうかは、非常に怪しい。大学で就職の相談を受け、沢山の学生たちを見てきて、そう思いました。本人の希望は、必ずしも本人の適所ではない、ということです。この場合、問題を解決すること以前に、何が問題なのか、と考えてしまいますね。でも、そうですね、世の中ほとんど、適材適所に収まっていないのではないでしょうか。いうなれば、散らかっている状態です。整理・整頓するのが一番難しい対象は、人間なのです」
Y「先生の小説でも、西之園さんは暗算のスピードが速く、どんどん数を代入していけるので、ロジックを知らなくても答に辿(たど)り着ける。それが本当の頭の良さだ、みたいなことを、犀川先生が話すシーンがあったかと思います。凄く印象的だったのですが、それができない普通の人は、どうしたら良いと思いますか?」
森「さあ……、それは犀川先生にきいてみないとわかりませんね。たぶん、彼は、論理というものは、頭が悪くてもできるように編み出された手法だ、といいたかったのではないでしょうか?」
勉強法を確立したい?
Y「私は暗記はできる方なので、学生時代は端から覚えていたのですが、数字が覚えられなくて、数学のテストは駄目でした。今大人になって思うのは、私は沢山のことを暗記したり記憶したりしていて、とにかくエピソードは、いっぱい持っているのに、それらの役立たせ方がわからないということです」
森「インプットをしてばかりで、アウトプットをしていない、ということかも。食べてばかりで運動していないようなものです。本来は、役立たせたい対象がさきにあって、そのために知識を得るのですが、学校の教育というのは、その逆になっているわけです。ですから、そうやって学んだものをどう活かすのか、と考えてしまう。そうではなく、まずやりたいことがさきにあって、それに必要なことを学ぶ、というのが正しい順番です。これからは、そうなっていくと思いますよ。知識を活かそう、という発想自体が不自然だということです」
Y「頭が良い人は、自分なりの勉強法を確立していて、それを現実に活かしている気がするのですが、そうでしょうか?」
森「さあ、僕は頭が良くないので、わかりません。でも、そんな気はしませんね。勉強法を確立できるのは、試験対策としてだけです。どんな試験かだいたい決まっているからできたことです。一般の場面では、勉強法なんて確立できないと思いますよ」
Y「そうだとしたら、凡人は、何から手をつければ良いでしょうか?」
森「それも、順番が違います。まず、やりたいことを見つけましょう。それが決まれば、自然に勉強ができます。知りたくてしかたがなくなるはずです」
(『アンチ整理術』第6章「本書の編集者との問答」より)
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