ジョゼフィンお嬢さんのお話 ~4. 最後の夏、最後の秋
(1) Slow Good-bye
ワタクシは年度末で仕事を辞めていたので、ジョゼフィンお嬢さんとお別れするまでの6ヵ月と半月の期間は、お嬢さんがワタクシにくれたSlow Good-byeのための時間だったのかもしれない。
何かと猫離れしたすばらしいお嬢さんだったから、そのくらいのことはわかっていたのではないかという気がする。ただ、せっかくのお嬢さんからの贈りものを、ワタクシはどれだけ大切にできていただろう。
それまでより大切な時間を過ごすことができていた。それは間違いない。
何より、時間がある。そして自粛生活。その上体調不良。つまり在宅生活が基本だった。猫との時間、ジョゼフィンお嬢さんとの時間は無限に思えた。
ワタクシが寝室に向かうと、ジョゼフィンお嬢さんはあとからやってきた。「もう寝る時間なのよっ」と、ワタクシを促すこともあった。
朝、目覚めたワタクシが最初に見るものは、お嬢さんの寝顔だった。お嬢さんは、お寝坊さんだった。
(2) ひなたぼっこ
ジョゼフィンお嬢さんは、陽だまりでひなたぼっこするのが大好きだった。螺旋階段の途中はお嬢さんの特等席で、いつも踏んづけないように気を付けながら階段を昇り降りしていた。
レッドの毛がキラキラ光って金色に見えた。神様のお使い猫は、ニコライ宮殿の金の猫でもあった。
そして、2Fの階段の手すりの横にできる陽だまり。晴れた日は、ここには一年を通して陽だまりができる。ここはお嬢さんの場所だった。身体を撫でるとぽかぽかで、オールシーズン抜けやすかった金色の毛がふわふわと舞った。
お嬢さんの最期の場所はここだったのだ。ここを選んだかのように、あの夜、ここで倒れた。
(3) ベランダの夏
ニコライ宮殿には、半屋外のベランダがある。空気は完全に外だが、スモークガラスで外界とは遮断してある。ニコライブルクは寒冷地。毎年、5月から10月半ばくらいまでの晴れた日のみの期間限定で、猫たちの人気スポットになる。
暖かくなったら、ワタクシは毎年ベランダの大掃除をして、猫たちのお休み処を作る。猫たち全員のためだけれど、圧倒的にベランダ好きなジョゼフィンお嬢さんのためだった。
もちろん、ベランダはひなたぼっこ好きなお嬢さんの最大のお気に入り場所。とはいえ、最低でも気温が20℃を越えなければ、ベランダへのドアを開放できない。でも、春先の晴れた日がやってくると、お嬢さんはドアの前でベランダ開放をせがんだ。
「ジョジョ~、まだ寒いんだよ」
毎春、ワタクシは彼女にそう言っていた。そして、「もう少し待ってね、もう少しね」と繰り返し、晴れた暖かい週末が来たら、満を持して開放していた。
最後の夏は、お嬢さんとワタクシは何度もいっしょにひなたぼっこした。そのときは、最後の夏になるなどと思いもしなかったけれど。週末を待たずとも、天気がよければいっしょにベランダに出られたのはうれしかった。外出できないことなど全く気にならず、ステイホームがしあわせだった。
(4) 静かなカウントダウン
ジョゼフィンお嬢さんは、あまり病院にかからないコだった。しかし、こうして記録を付けてみると、おそらくだんだんとどこかが悪くなっていったのだろうと推測できる。それを単なる加齢としか考えていなかったワタクシは、油断していた。
5月、病院でいつもの目薬をもらってきた。ときどき、アレルギーで目を腫らすコだった。点眼がダイキライだったなあ、お嬢さん。でも、薬を差されるってわかっていても、逃げないいいコだった。
7月末、よく食べるコなのに突然食欲がなくなり、慌てて病院へ連れて行った。病気らしきものは見つからず、一安心した。補液点滴して胃腸薬を5日分処方してもらい、元気になってくれた。このとき、体重は5.9kgだった。太り気味だったが、前年10月の健康診断のときと同じで、これも一安心の材料だった。
8月、暑い夏。エアコンがない寝室で、お嬢さんは室温が28℃あっても一緒に寝てくれた。
そんな暑さのせいだったのか、食べるの大好きお嬢さんが、ごはんを残す日が出てきた。残すのは2gとか3gとか少量だったので、あまり気にしなかった。何より、ジョゼフィンお嬢さんは元気だった。いつもと変わらず、元気に見えた。
8月24日、夏のうちにということで、全員シャンプーした。
お嬢さんはシャンプーがダイキライ。暴れはしないがギリギリまでじっと耐え、限界を超えると開口呼吸と涙目で訴えた。順番を待っている間にストレスで泣きそうな顔になるので、いつもトップバッターだった。他のコたちはリンスもするけれど、お嬢さんはできるだけ手早くシャンプーだけ。
いつもシャンプーがんばったよね。この日もがんばったね。
そして、最後のシャンプーになった。
8月27日、ジョゼフィンお嬢さんは13歳を迎えた。最後の誕生日だった。ワタクシはインスタグラムのポストにこんなことを書いた。
翌年もその翌年も元気でいることに、何の疑問も抱いていなかった。ジョゼフィンお嬢さんがいなくなるなんて、想像すらしていなかった。
(6) そして、最後の秋
9月、暑さが続いた。おかげで、ベランダで過ごす時間が長くなった。ジョゼフィンお嬢さんと、ゆっくりと進む時間を共有した。
日は少しずつ短くなってきていた。夕方近くになると風が冷たくなった。でも、ベランダ好きのお嬢さんはなかなか部屋の中に戻りたがらなかった。
10月5日、ジョゼフィンお嬢さんは年に一度の健康診断を受けた。お嬢さんは、病院でもいつもとてもいいコで、採血もレントゲン撮影もあっという間に終わる。故主席侍医殿からは「うちの病院で最も検査に協力的な猫」という称号を戴いていた。
つまり、注意深い観察は必要だが、これまでの1年と同じように過ごしてよい、ということだった。
ただ、体重が5.5kgで、7月末から2か月少々で0.4kg減っていた。故主席侍医殿は「病変がないこと」「夏場に食欲が落ちたこと」、そして「そもそも太り気味だったこと」から、「今後はこの体重を維持するようにしましょう」とおっしゃった。総合的には、「年齢を考えれば健康状態は合格」との診立てだった。大病はなく、ワタクシは単純にうれしかった。
しかし2日後の10月7日、ジョゼフィンお嬢さんは朝から嘔吐し、全くごはんを食べなかった。様子を見ていたが、午後になってもちゅーるさえ食べないので、ダーリンが午後の診察に連れていった。
健診を受けたばかりだったので、何かが見つかることもなく。念のためにビタミン剤の点滴を受けた。投薬もなし。
帰宅後、少し食べるようになり、食欲は少しずつ回復した。11日にはごはんの催促をするようになった。ここでまた、ワタクシは大きく安心してしまった。
10月11日のインスタグラムのポストには、こんなことを書いている。
10月13日には、完全復活していたように見えた。
お別れまであと2日しかなかったのに。