こんな初夢を見てよかった
めずらしく初夢を覚えていた。そして、その内容が一生忘れないであろうものだったので、ここに書き留めておこうと思ったのは1月2日のこと。
早く書こう書こうと思っていても、なかなか環境が許してくれない。1月中には書きたいと思っていた。だって、初夢の話だから。
ふだんの夢は、比較的に覚えている方だと思っている。noteにも昔の夢の話を書いたことがある。
でも、今まで初夢をきちんと覚えていたことがない。もしかしたら、初夢を見ていないのかもしれない。それすら覚えていない。
だけど、今年の初夢は忘れない。
ニコライくんが雲の上のようなところに佇んでいたら、どこからともなく、ジョゼフィンお嬢さんが現れた。
お嬢さんはニコライくんに何か話しかけ、二人は連れ立って歩き始めた。ジョゼフィンお嬢さんは、ニコライくんをどこかに連れて行きたいようだった。
やがて、遠くに宮殿のような建物が見えてきた。それはパルテノン神殿のような雰囲気だった。ワタクシが見ている夢だから、ワタクシが全てを作り出している。浅薄な知識によると「宮殿=パルテノン」らしい。パルテノンは神殿なのだが。
二人は、明らかにその宮殿を目指していた。
到着すると、そこでは宴が催されており、たくさんの猫さんが集っていた。ワタクシが知っている猫さんばかりで、みなさん、地上の飼い主さんとは既にお別れした方ばかりだった。
お名前を挙げると挙げきれないが、ワタクシがネット上でお付き合いさせて戴いている猫友さんたちの、かつての家族猫さんたちだ。
ニコライくんは、そこでみなさんに歓迎されていた。不安そうだったニコライくんも、何だか少し安心したようだった。たくさんの猫さんにご挨拶を戴き、ジョゼフィンちゃんに促されて、ニコライくんも挨拶し会話に加わっていた。
少しすると、宮殿内がざわめき始めた。VIPが現れたようであった。
みなの視線の向く方へ目を遣ると、高貴な雰囲気を纏うロシアンブルーが現れた。それは、お若くして身罷られた東のニコライ皇帝陛下だった。ブログをきちんと更新していた頃に、同じくニコライという名を持つロシアンブルーと暮らしている方とお知り合いになったのだ。北のニコライ皇帝陛下と言う別名を持つニコライくんは、とうとう東のニコライ陛下とお会いできた。
というところで、ワタクシの夢は終わった。
お察しくださるだろう。ニコライくんは亡くなってしまった。昨年の12月3日のことだ。
noteにはニコライくんの闘病について書いて来なかったが、慢性膵炎と腎不全を患い、三年近く闘病した。
ワタクシは、彼の死について後悔はない。ジョゼフィンお嬢さんの突然死でボロボロになったワタクシは、当時、既に闘病中だったニコライくんのことで後悔したくなかった。だから、通院も自宅ケアも、できること、してあげたいことを全てしてあげられた。もちろん、自己満足も含まれるが。
実は、この三年弱の間にお別れを覚悟したことが二度あった。しかし、二度とも彼は奇跡の大復活をし、充分ワタクシを、ダーリンをよろこばせてくれたのだ。
最初に死にそうになったのは、2020年の年末だった。10月にジョゼフィンお嬢さんが突然死していたので、面倒見のよかったお嬢さんが甘えん坊のニコライくんを連れて行ってしまうのではないかと思ったくらいだ。
でも、ニコライくんはそこからほぼ二年生きてくれた。だから、最後の二年間はおまけ。神様がくれたご褒美期間。ワタクシは、そう思ってお世話を続けてきた。それが二年も続いた。こんなに長い間お世話をさせてもらえたことは、ニコライくんにも神様にも、感謝以外の何物でもないのだ。
ただ、さびしい。15年半もいっしょに過ごした大切な家族なのだから。
後悔はないがたださびしくてさびしくて、クリスマスも年越しもめそめそしながら暮らして一ヵ月、この初夢を見た。
なんだか、とても安心した。
ニコライくんは、あちらで大好きなジョゼフィンお嬢さんに会えて、敬愛すべき東のニコライ陛下にお会いできて、そしてたくさんの友達に会えたようだ。なかなか楽しんでいるようではないか。
この、まるでニコライくんとジョゼフィンちゃんがワタクシを安心させるために見させてくれたような夢のおかげで、精神的にも日常を取り戻しつつある。
さびしいことはさびしい。でも、気持ちの向く方向が変わった。
ありがとうニコライくん。15年半、楽しかったよ。とっても楽しかったよ。
ありがとうジョゼフィンちゃん。ニコライくんを迎えに来てくれて。
そして、すごいぞ自分! こんな初夢を見て。
ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ロマノフ皇帝陛下。
2022年12月3日崩御。
15歳6ヵ月22日の一生でした。
興味を持ってくださりありがとうございます。猫と人類の共栄共存を願って生きております。サポート戴けたら、猫たちの福利厚生とワタクシの切磋琢磨のために使わせて戴きます。