Takuya NakaJou

北海道出身東京在住の32歳 猫を飼っていて カフェでコーヒーを淹れてます◎

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意識と無意識

今、足にひんやりとした風が当たっている。 横を見れば猫がご飯を食べている。 背中がむず痒くなった。 鼻水が出る。 猫がこっちに近づいてきた。 外では笑い声が聞こえている。 喉が渇いたので水を飲んだ。 ゴクゴクと耳の奥から音が聞こえる。 喉に水が通った。 息を吸った、同じくらい吐いた。 近くに置いておいたパンを食べる。 ちょっと硬めで中には胡桃が入っている。 歯応えがあって噛めば噛むほどに味が出て美味しい。 鼻水が出たので、鼻をかんだ。 ゴミをゴミ箱に捨てた。 そのゴミに猫が反

    • 情報過多

      この状態が長く続いてしまうと、雲の上にいるような状態で日々を過ごしているような感覚になってしまう。 地に足がついていないというか、なんというか。 なんとなく時間が過ぎていくような感じなので、無駄が多くなる。 なんとなく携帯を見て時間が過ぎていくだとか、ただ布団で寝っ転がっていたらもうこんな時間になってしまった、とか。 悪いことではないのだが、良いことでもないのは確か。 結局、いろんなものやことに対して考えることが多くなり過ぎているので、新たに考えることができなくなっ

      • 思惑

        バランス感覚だけを頼りになんとかこの社会を潜り抜けてきた。 その感覚が本当に正しいのかどうかを模索していきながら。 それは自分の思惑通りにいかないことばかり。 だからといって「自分の思い通りにいかない社会なんてクソ喰らえだ!」なんて風には思ったことはない。 それは一種の諦観なのか。 ただ勝手に諦めているだけなのか、呆れているのか。 なぜ、思惑通りに進んで欲しいと思ってしまうのだろう? 僕にはそういう欲がない。 全ての物事は自然に、適当に動いていく。 でもやは

        • シンプルさの中にある複雑さ

          逆も然り 複雑に捉えていたものが実は蓋を開けてみたら、ものすごくシンプルなものたちで構成されていたなんてこともしばしば。 あらゆる方向から飛んでくる無数の情報が、実は根の部分で一つに繋がっていたりする。 シンプルでスマート化されているものはあらゆる無駄を削ぎ落とした結果、今そこに燦然と佇んでいるもの。 だからこそ、シンプルさの中にある複雑な仕様に目を向けないといけないのかもしれない。 頭を使うから、なるべく「要はこういうことでしょ?」と簡潔にまとめてしまいたくなる。

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        意識と無意識

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        • 生きる
          4本
        • ✖︎
          6本
        • 11本
        • 自分のこと
          5本
        • 階級・金
          9本
        • 幸せ
          1本

        記事

          ときめく

          どんなときにぼくはときめき、ワクワクするのだろうか? そしてそれを今後の生きる道標にすることができるのか。 実はそんなことしっかり考えたことはない。 この瞬間に出会った何かと、自分との化学反応によって、新たな何かが誕生するということに気づいてから、とりあえず今はこの瞬間をコツコツ生きていくしかないと思い、生きたから。 でも少し違和感・・・ その化学反応というのは、受け身の状態じゃ起こらないのではないか?と考え始めたのだ。 一度考え出すと、止まらなくなる性分なゆえ、

          どこまでも続く白と黒の世界

          僕には夢も希望もない いつからだろう? そう考えて過去の自分を思い出してみた。 小学6年生の僕は、野球少年団に入っていた。 なんとなく、やってみたら?と言われたからやっていた印象。 でもいやいややっているという感じでもない。 やってみたらそれはそれで楽しかったので、なんとなく続けていた。 あるときのこと。 小学校の卒業式の時に、自分の将来の夢を習字で書くということがあった。 当時の自分と同じくらいの大きさの紙に。 みんな「なにがいいかな〜」とか言いながら書

          どこまでも続く白と黒の世界

          輪廻転生

          僕たちは死んだら天国か地獄に行く そして、良い行いをした人は来世ではより良い人生を歩むことができるから今世を少しでもよく生きましょうね 少しどこか違和感を覚える 綺麗事というか・・・ 今この「私」というものが80年とかそんな長い年月、本当にずっと私の人生なのだろうか? いつもどこかで、「私」というものは輪廻転生をくりかえして「今、この形」を保っているのかもしれないというふうに思っている あるときから人が変わったみたいに性格が正反対になったとか、つい昨日まで些細な人間

          デリカシー

          デリカシーがないということは配慮、気配りができないという意味だ。 きっとみんな同じようなことを感じているんだろう。 「あの人デリカシーがないな・・・」と言ったその人は、別の誰かに「デリカシーがない人」というレッテルを貼られていたり・・・ 結局、他人の方に目を向け過ぎてしまうとそんな途方も無い謎の不満点や問題点にばかり着目してしまい、今この瞬間の尊き時間に気づけずにその一日を終わらせてしまう。 普通に生きているとそんな他人の言動が気になってしまい、フラストレーションを溜め込

          いつもうつむき加減で未来への期待がない

          そんな世界に僕たちは生きている? 見栄えとかそんなものばかりに意識が向いてしまって、結局一番重要なところを見逃してしまう、そんな世界。 わかりやすい評価のみで何かを見てはいけない。 そのようなもので人様を判断するなんて・・・ そんな愚かなことをするのは良くない。 不完全だからこそ人を評価したがる。 深く物事を考えるということをしなくなったが故に、失ったものが計り知れないくらいに多いのだ。 自分には誇れるものがない、なので何か誇らしげな目をしている人が憎くなるらし

          いつもうつむき加減で未来への期待がない

          他人の所為?

          何かにコミットしようとする時、人は他人の所為にしてその問題から逃げようとする。 それは、その問題に自分の力でコミットできるかが不安だから? もしかしたらうまくいかないことのために他人の所為という武器を使って、万が一の不測の事態に備える。 経験に乏しい年代の時にやりがちなこと。 それはあくまでその場しのぎの、いや凌げるかどうかも怪しい諸刃の剣。 それでもどうしてそれを使うかって? 経験が乏しいもんで他の術を知らないからだ。 んー、というよりもなんというか・・・

          他人の所為?

          それはまるで螺旋のように

          グルグル回っては、少しずつ上の方に上の方にと。 上がっていってる。 同じようなことの繰り返しのように見えて、実は一つずつ多少の変化があり、それは2周目、3周目と回る回数が増えるにつれて、見える景色が変わりうつろっていく。 いつも同じことの繰り返しで全然楽しくないと嘆いている人も、実はいつもと同じ時間を繰り返しているのではなく、多少の変化に気がつかないくらいに日々が忙しなくなっている。 些細な変化に気づく事ができれば、くだらなくてどうしようもない人生が途端に綺麗な景色に

          それはまるで螺旋のように

          期待されるということ

          それは時間が経てばいつか誰かから期待されるようになるのか?と言われたらそうじゃない。 ただなんとなく生きているだけならきっと誰からも何も思われずに時間が過ぎ去ってしまうだけです。 他の期待されている人たちというのは、何か特別な行動をとっているのだろうか? いえ、きっとそういう打算的な何かで動いているのではなく、単純に人のために!と動いていた結果が「期待」というものに繋がったんだと思います。 そこにせっかくここまで動いたんだから!みたいなやってやった感が出ると、途端に人

          期待されるということ

          なんか怒ってるね

          いつも何かに対してずっと怒ってる。 それは何に対してなのか? 多分自分でもわかっていない。 そしてその主張がどこに向かい、何を自分たちに与えてくれるのかも、実はわかっていないのだ。 全くもって理由がないところでいつも何かに対して怒っている。 それは大きく社会とか、他人とかに区分けしてそう言ったものに対して物申しているのだと思う。 しかし、だがそれが何になるのかというところ。 いやいや、そんな核心に迫るようなことを言ってはいけない。 答えがないという答えを引っ張

          なんか怒ってるね

          どうした?

          言いたいことも言えないこんな世の中に嫌気がさす? 言う必要があるのか? 必要があるならなぜ言わない? 言えないのか? それは社会が言わせてくれないのか? 口がついてるのにか? 一つ文句を言ったら次はまた一つ、何かと気になってしまうと思うんだ。 ずっと終わらない。 多分、どこかで言いたい事が言えなくてイライラしている自分と決別しないと終わらないんだと思う。 なんでだろう。 なんで人のあれこれがこんなに気になるんだろう? 自分にスポットライトが当たっていない

          バカみたいに

          あれもこれも一つの枠に捉えようとしてしまう愚かな人たち。 どうしてそんなに枠に囚われたいの? いや、囚われたいんじゃない。 捕らえておきたいんだきっと。 だって、そういう人たちって自分がもし、その枠の中に収められそうになったらものすごく拒否するんだ。 でも、他の人たちがもし、枠に捕えられていなかったら? 一人一人しっかりと見ていかないといけないので、めちゃくちゃしんどいんです。情報量がすごくなってしまうので。 ある程度どこかで、情報を圧縮しておかないと容量が足り

          バカみたいに

          盗み

          ものを盗むということはやってはいけませんと親から、あるいは世間から学ぶ。 実を言うと小学2年生の時に、一度だけ過ちを犯してしまった。 友達の家にあった大事なものを盗んでしまった。 あの時の罪悪感は今もどこかに残っている。 でも、すぐに親のもとにその友達の親から連絡が。 「もしかしたら間違えて持っていってないですかね・・?』 気を遣いながら、言葉を選びながら、そう言ってくれていたんだろうと今になって思う。 親から『お前、盗ったのか?』と言われて怖くなった僕は『知らな