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比べるのはいつでも過去の自分でありたい
おはようございます。
またまた、久々になってしまいました。
”梅雨”という概念がない北海道以外、日本のすべての地域で梅雨入りしましたがいかがお過ごしでしょうか。
暑いのか、寒いのかよくわからないし、カラダはべたつくし
なんだか本当いろいろとにスッキリしない季節到来です。
私は早朝覚醒したり、なぞのくしゃみが続いていたり
やはりスッキリしません。きっと季節の変わり目だから。
こんなときほど、カラダを温めてゆっくり過ごしたいものです。
今日は仕事にまつわる話題から。
私は4月くらいからダブルワークをしています。雑貨屋さんとカフェ。
カフェのシフトはもう、ほぼ入れていません。
私がいっぱいいっぱいでシフトを出せていないのが大きいです。
そもそもカフェで働くとき、雇用契約とかあったわけではないし、
人数的にも作らなければいけない就業規則とかもないのでそんなに期待していないので大丈夫です。ゆるりと無理なくやりたいです。
雑貨屋さん、楽しいですね。
いや、声とか光?照明?とか、音とかほんとに刺激が多くて疲れます。
でも、かわいいぬいぐるみにいつでも会いに、触りにいけるのは幸せです。
ただ、やはり私みたいな感覚過敏とか、不安になりやすいタイプの人ってどうしても、水と油みたいな人間関係が発生してしまうものなんだなぁ、と思いました。
誰だから、どこだから、どの人だから
とかではなく、どこに行っても1人はいるようなタイプの人。
性質的に本当に合わないんだろうなぁ、と思っています。
たとえ親子でも本当に無理関係なのだと感じています。
今回もこの人間関係に当てはまることがあり
1人で悶々とし、距離をとり、関りは最低限。
それで相手が不快になり、意地になるという悪循環。
家でも道を歩いていても毎日泣いていました。
職場では、どんなに愛想がないとか、感じ悪いとか思われてもいいから、自分ができることを淡々とやって時間になったら帰る。
そんな日々を送っていながら、ふと気が付いたのです。
10年前、いや、ほんの数年前まで、同じようなことがあると、
なんで?どうしてこうしないの?
そんな風に思っていた私が、そう思わなくなった、他人に期待しなくなった
それだけでもだいぶ成長したのではないか、と。
そして、今回は
本当に気にかけてくれた人がいて、連絡くれた人がいて
はじめて、いま自分が辛いんだということを言えた。
でも、以前の私はそうやって差し伸べられてきた手さえ受け取れずに強がっていたんだ。
どこかの誰かにとって、何もかもできていない私であっても
誰かに、どんな否定的な言葉をかけられて落ち込んで、泣いても
自分だけは、”成長したね”って言ってあげられるようになりたい。
どんなときも、比べるのは過去の自分でありたい。
そう、強く強く思うのです。
そうすることが、ほかの人にも優しくできるコツなのかな、と。
余談ですが、こうして言葉にしてみたら、
先日読んだ本の一節がふと浮かんできました。
あ、あの本のこの言葉は、こういう意味なのかもしれない。
こうして何かと何かが自分の中で繋がったとき
自分と世界が繋がれた感覚がして楽しくなるのです。
また、近いうちに更新します。