
機嫌よく仕事をする
もう期限は過ぎてしまったけれども、noteを開くたびに見ていて、なんとなくふわふわ考えていた「心に残る上司の言葉」というテーマ。せっかくなので、この企画に応募するわけではないけれども、このテーマで書こうと思う。
私が心に残っている上司の言葉は「機嫌よく仕事できてる?」。
実際は関西弁だったのでちょっとニュアンスが違うけれども、いつも人事考課のたびにこれを聞かれていた。
そして「機嫌よう仕事できとったら、俺はそれだけでええねん」と言われていた。
この上司には一番長くついていて、一番ウマが合った上司だった。
100%完璧な上司だったとは言わないし、私だってたまにはその上司に腹が立つことがあった。でも歴代の自分の上司の中で一番信頼していたし、一番成長させてもらったし、そして一番「機嫌よう仕事」していた。
何が一番良かったかというと、その”適当”具合だった。
誤解を恐れずに言うと、上司は普段、ほとんど仕事をしていなかった。
PCに向かって何やら真剣な顔をしているが、ひょいと覗けば全然関係ないネットサーフィンしている時すらあった。そしてほぼ必ず定時に帰る。
でもそれが「ずるい」と思うことはほとんどなかった。
なぜなら、その上司は最後の責任は必ず取ってくれるということが分かっていたからだ。
例えば私が失敗してユーザーに迷惑をかけることになってしまった時、見捨てることは決してなく、むしろ上司から謝罪なり、交渉なりをしてくれた。
この抑えるところはきちっと抑えるんだということが分かっていたからこそ、どんなに自分が忙しいなか上司がぷらぷらしていても、「責任を取る」という仕事の方が重いから、仕事のバランスとしては丁度いいかなと思っていた。
逆に、このぷらぷら具合もありがたく思っていた節もある。
暇ということは常にオープンなので、ちょっと困ったことや相談したいことがあればすぐに話しかけることができる。
上司がぷらぷらしているということは、私の仕事に積極的に干渉してこないということでもあるので、そういう意味で信頼してもらっているというのは自信にも繋がった。
しかもよく言われることだが、上司が定時に帰るということは、部下にとってありがたいことなのだ。
もちろん、上司がまったく仕事をしていなかったというわけではない。
部下に機嫌よく仕事してもらうために動くのが自分の仕事、ともよく言っていたが、まさにそんな感じだった。
例えば、定例会で思ったより進捗が出ていないと分かった時、理由を聞いて、すぐさまそのボトルネックを外してくれた。
また、仕事なのだからいつだってご機嫌でできるものばかりとは限らない。
嫌な仕事は当然あったし、特に私は上からの圧力で有益と思えない仕事をするのが納得がいかずなかなか動けない性質だった。
そうすると私をなだめて諭し、最終的には「まぁ部長がそこまで言うなら仕方ないか。部長に免じてやるか」と思わせる手腕があったのも確か。
そう考えると、本当に面倒な部下(私)を持って、実際のところは外から見てるほどぷらぷらしているわけではなかったのかもしれない。
人によってはバリバリ仕事をしているわけではないその姿勢が合わないと言う人もいた。
それはそれで理解できるが、私にとっての理想の上司は、まさにこの上司だった。
そして「機嫌よく仕事をする」というのが、どんなものなのかを学んだのもその上司を通してだった。
ただきりきりと働くのではなく、時には鷹揚に構え、嫌な仕事だって総合的には楽しくなるように、抜け道も探しつつ、でも抑えるところはきちんと抑え、最後は笑って終える仕事がいいな、というその塩梅を、数々の仕事から学んだ気がする。
そしていつか、自分がある程度のステータスになった時には、部下が機嫌よく仕事できるように環境を整えようと思っていたが、その機会を得ることなくサラリーマン生活を辞めてしまった。
機嫌よくした仕事は、どんなに大変だったとしても、その記憶はいつまでも褪せないものである。
仕事の内容が変わっても、機嫌よく仕事ができるように、今度は自分で環境を整えながら、時には自分の機嫌をとりつつ、また時には「機嫌よく仕事できているか?」と自問自答しながら進んでいきたいと思ったのだった。