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友だち100人できなくていい

この3日間で、計6人の友人に会うという多忙ぶりだった。6人といえば、私の狭い交友関係のほとんどとなる。
普段、LINEに何の連絡もない日なんてざらにあるような生活をしているものだから、こうも立て続けに人と会うとなかなか疲れるものであった。
昨日は帰宅していつの間にか寝てしまっていた。

この6人は、出会ったコミュニティがばらばらな人もいれば、一緒の人もいる。
1日目に会った人は前職の同僚。2日目の最初に会ったのは現職の同僚、2人目は大学時代の友人、最後にあったのは前職の同僚2人。本日会ったのは、最初の会社での同僚であった。
こうした友人たちに対面するとき、いつからの友人なのかをあまり意識しないものだから、この人はあのグループのことを知っているのか否かというのを忘れがちである。
例えば、前職の同僚と話している時に、高校の時の友だちを知っているのかどうか一瞬忘れてしまうのだ。こう書くと間抜けに聞えるが、Aと話している時に、Xのことを知っているんだっけ?と混乱してしまうということだ。Aが前職の同僚という属性であることも、Xが高校の時の友人という属性であることも意識していないからだ。
話す直前に一瞬「?」となって、「あ、そうだこの子はXのこと知らないよな」と思い直して話をしだすしまつ。
これに加えて、この子とはどこまで何を話していたのかを思い出さないといけないので、頭はフル回転である。
因みに、この属性が私の中で消えてしまうのは、本当に友人になった時で、同僚として接している時や、大学時代の知人というフォルダに入ったままであれば、こうした属性は残っている。

私は非常に少ない友人たちのなかで混乱している状態なので、もっと友だちが多い人はどうしているのかと不思議に思ってしまう。
友人が多いということはそれだけ慕われているということだろうから、同じ話をくり返すようなことはしないだろうし、前の話題もよく覚えているはずだ。
私からすると驚異的な記憶力である。

ふと、ここで持てる友人のキャパシティというものが決まるのではないかなと思った。
私の記憶力において、相手と絆を保ち続けられるにはこのくらいの人数が限度なのかもしれない。
もちろん今が限界値なのでもう友人を作りませんと言っているわけではないのだが、たくさんの交遊関係をむすぶ人たちを見て、あんなふうにコミュ力高く友だちを作っていくことはできないなと、わずかばかりの劣等感を抱いていたのが収まった気がする。友だちを作った後、関係性を保ち、育てていくのが重要なのだから、今のなかなか友だちを作れない感じが丁度いいんだと納得したのである。

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