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詩人の書斎

 書斎というものが世の中にはそうは存在しないと知ったのは、もう二十歳をとうに越えてからだった。


 昔から父は書斎にこもって原稿を書いたりレコードを聴いたりするのが常だったし、あまり立ち入ることが許されていない「大人」の場所なのだなと、小学生の私は認識していた。

 書斎の中で最も「禁足地」であったのは、曾祖父の書斎だった。角部屋でふたつの大きな窓があり、蝶の標本が並んでいた記憶がある。

 私にとって曾祖父、尾崎喜八は「蝶の標本」「朝の温度計の記録」「長野県富士見町での碑前祭」の人だった。


 子供の時分は散文詩の良さがあまり分からなかったし、えらく頑固で厳しい人だったと聞く。なのであまり作品に共感することもなく、私は育った。

 今は焼失した彼の書斎だが、いくつか忘れられない景色がある。

 書き物机の前に座ると見える、冷えた窓越しの北鎌倉の緑。怖かったベートーヴェンのデスマスク。昆虫採集の綿。今ならば何なのか分かるであろう、その遺品の数々。

 そうなのだ。すべてが、あの書斎のすべてが遺品なのだ。

 一度も喜八に会ったことがない私は、伝え聞いた人物像と古びた白黒写真と、今はもう無いあの書斎のすべてが、彼の存在そのものなのである。


 祖母と一緒に立ち入った時よりも、ひとりでこっそりとお邪魔した時の記憶のほうが鮮烈だ。
 愛好しているもの、研究しているもの、少しのかび臭さ、古めかしいもの。

 そして、もうここには居ない人の気配。


 主人不在の書斎で遺品に囲まれるというのは、なんとも不思議で希有な体験だった。

 私にはあの冷たい部屋こそが、触れられる「物質」としての尾崎喜八であり、人々の言葉の中に棲む、無形の「口承される」詩人の彼とはまた、少しちがうものだった。

 朗読のレコードやCDから聞こえる彼の声は硬い。
 整った標本や本棚は、几帳面な性格を思わせる。

 だが、あの書斎の机の上で、彼の言葉への誠実さが詩となって実った。 

 その果実が、まだ今も人々の心の奥に根を張っているのだと気付くと、彼はまだこの世に存在しているのだと感じるのだった。

 あの書斎はまだ、私の中に残っているのだ。

 冷えた窓越しの北鎌倉の緑。昆虫採集の綿。

 そして、ベートーヴェンのデスマスクと共に。


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