忘れられないラーメンセット
ラーメンセットが好きである。
半チャーハン、餃子2個、シンプルなラーメン一人前。
地元のいわゆる「町の中華屋さん」で時々食べるセットだ。
「町の中華屋さん」と書いたが、最近は「町中華」という名称を使うらしい。そういえば「散歩の達人」のサイトで見た記憶がある。
町中華で最愛のお店というと、吉祥寺にある「みんみん」なのだが、それはまた別の機会に書くとして。
最も思い出深いラーメンセット、それはパリの日本人街で食べたものだった。
◆◆◆
2004年にベルリンからパリ、パリからベルリン、という旅行をした時のことである。
当時ベルリンに住んでいた叔母の家を家族で訪ね、私と祖母は叔母のところ、父と母は近くのホテルに泊まるという楽しい旅をした。
この旅で私は東京からひとりでベルリンへ向かい、現地で叔母と祖母と合流。そして三、四日ほどして、今度はベルリンからパリへとひとりで出発したのだった。
そんなひとりでのパリ旅行。たった三泊四日だというのに、朝5時台発の飛行機(早起きも飛行機も苦手)のせいで体調はガタガタだった。
ホテルに着いてもしばらく動けず、何時間か寝た。そして昼過ぎにようやく動けるようになり、ホテルの周辺を散策した。だが、このときすでに大問題が発生していたのだった。
ユーロがない。
正しく言うと財布の中のお札以外に、手持ちがない。
トランクの中身をひっくり返してあっちこっちと探したのだが、ない。
ベルリンで荷造りした時に、三カ所くらいに分散させてトランクに入れたのだが、どこにしまったかをすっかり忘れたのだ。
チェックアウトの時はカードで支払うとして、滞在中の交通費、美術館などの入館費、そして食費をどうすれば……と、しばし呆然とした。
だが、まあ、日本円の感覚で言うと一万五千円くらいはあった。
なのでカフェやレストランなどのお高いところに行かなければよいだけの話だ。
私は「地球の歩き方」と、パリでの最初の買い物である市内の地図帳を見て、近所のスーパーで水のボトル数本、パン屋でパンと惣菜などを買ってきて晩の食事にした。
もっともフランス語がほとんど話せない状態で行ったので、注文することにおののいてしまって、どっちにしろカフェになんて行けなかったのだけども。
◆◆◆
三泊四日の三日目、私はオペラ座の周辺にいた。
事前に調べておいたネットカフェに行き、MSN メッセンジャーにログインして、たまたまいた友人と短い会話をした。とにかく誰かと話したかったのだ。
そののち、四年くらい前から仏和辞典にメモしてあったジュンク堂パリ店へと向かった。
地下の漫画売り場の新刊台をチェックし、前の週に東京で見た新刊漫画が並んでいることに感動を覚え、そしてふと思い立って、レジにいる店員さんに聞いた。
「このあたりにラーメンを食べられるお店はありますか?」
むこうの通りにいっぱいありますよ、と言われて、店を出てみると、確かに中華というか日本食というか、そんな漢字が踊る看板が見えた。
予備知識なしでその中の一軒に入ってみると、狭い店内は人でいっぱいだった。八割ほどがアジア系の顔立ちをしていた。
あまり考えずにラーメンとチャーハンのセットを注文した。日本語だった。
食べ始めるとその、なんだ、マイルドに言うところの『私向きではない味』だったのだが、残すという考えは、まったく生まれなかった。
私はラーメンをすすりながら、
石川啄木の
「ふるさとの 訛なつかし 停車場の
人ごみの中に そを聴きにゆく」
を、思い出していた。
なんで三泊四日のパリ滞在に、半チャーハンのラーメンセットなんて食べているんだろうとも思った。
けれども。
この店にあったのは飛び交う日本語や、中華屋の雰囲気や、自分に染みついた食事だけではなかった。
たぶん私が受け取ったのは、外国に在ってなお光る、凝縮された文化のきらめきだ。
それは具体的にラーメンセットが至高とか美しいとかではなく、
町角にある中華屋の風景が、ぽんっと旅先の異国の町に現れたことに対する素直な驚き。
そしてラーメンセットが在るということへの、深い深い安心感だった。
日常と地続きの、異国に在るラーメンセット。
初めてのひとり旅で、すでに軽いホームシックでもあったのだと思う。
思うが、あのラーメンセットは特別な、決して忘れられない食事となったのだった。
今一度、また味わってみたいなあ。
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