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私が「外国人の子どもたちへの日本語指導」をライフワークにするきっかけをくれた4人の児童のこと

私は現在愛知県で外国人の児童生徒に向けた学習支援のNPOを運営しています。

そのきっかけについて綴ったnoteはこちら。

これまで小学校教師、NPOの運営をつうじてたくさんの子どもたちと接してきましたが、今日はNPOを立ち上げるきっかけであり、現在も日本語学習に利用している「音の出る漢字カード」を開発するきっかけにもなった4人の子どもたちについて書きたいと思います。
 


「国際」という担当

 
「来年度はどの部署を希望されますか?」

「うーん、去年と同じくこの中学校の理科の担当をお願いします。」

中学校で長いこと教鞭をとられていた退職間近のT先生は、おそらく人事面接のときにはこう言っていたことだろう。

ところが、、、

4月
「新しく○○中学校からみえたT先生です。国際を担当していただきます。」

愛知県の公立小学校で「国際」といえば、それは外国人児童向け日本語教育の担当という意味である。

T先生は長らく中学校で理科を教えてこられ、退職間近になって初めて小学校に赴任されることになった。まして外国につながる子どもたちを教えるのはまったくの初めて。

当時わたしの住んでいた地区では、小学校から中学校、中学校から小学校への転勤は珍しいものではなかったので、しだいに外国人が増えていき日本語指導担当の教員の数が足りなくなってくると、T先生のようなケースが増えてきた。(外国人が増えていった背景は以前のnoteで触れています)

そして、徐々にベテランの先生だけでなく教師経験の少ない若手の先生が配属されることも増えていくようになった。

(ちなみにT先生は初めての経験にもかかわらず優しく粘り強く、児童に向き合ってくださいました)

「相手の立場で考えろ」と言うけれど


外国人の子どもたちは、ふだんは他の子どもたちと同様に、普通学級のクラスに所属している。国際教室では、日本語(国語)や社会科を中心に、補講のようなかたちで学習の支援を代わりにやることになる。

クラスの担任は、日本語指導の担当にいろいろな要望を持ちかける。多いのは以下のようなものだ。

宿題をやってきません、本人に言い聞かせてください、親に言ってください。」

「国語の本の音読の宿題をやってきません。」

「漢字の宿題をやってきません。」

「遠足に行ったので、その作文を書かせたいのですが、全く書きません。」

 
30年も小学校で教師をしている私の心の声は、こんな感じ。(心の中ではなく、実際に言葉に発していたものが多いけれど)

「宿題? この子は日本に来てまだ1年です。その宿題は難しすぎます。減らしてください。」
 
「親はこの子たち以上に日本の学校のことを知りません。そして、親は宿題を手伝うことはできません。」

「音読?  日本語が理解できない親の前で音読させても意味がありません。先生が聞いてあげてください。」
 
「漢字の宿題? この子はやっと1年生の漢字を覚えはじめたばかりです。こちらのドリルをその子の宿題にしてください。」
 
「作文? 聞きますが、たとえばあなたはポルトガル語でこの子に要求するような作文を書けますか?外国語で作文を書けというの?」

↑さすがにこれを言ったらトラブルになるので、実際には「わかりました。国際教室で書かせますね。」と言って、その子に簡単な日本語でインタビューし、平易な日本語の文にしてそれを写させる私。

小学校の国語の教科書を何度も何度も教えた経験があってようやくできることで、経験のない先生たちには本当にむずかしいと思う。 

「相手の立場になって考えろ」とはよく言うけれど、本当に言うは易く行うは難しだと思う。国際教室だと特に身にしみます。
 

2年生の漢字と、4人の子どもたち


冒頭のつづき。元理科のT先生に加え、国語が専門だけど国際担当は初めてという2名が配属された国際教室では、前年からご担当されている元家庭科のB先生を含めた3名での運営が始まった。国際教室は(その年々の状況にもよるけれど)前年の方針に沿って運営されることが多い。前年からいらっしゃるB先生のやり方が踏襲されて国際教室はスタートした。

B先生は、漢字のプリントをたくさん印刷し、1年生から順にどんどん書かせていくというやり方を採用していた。前任者から続けていたとのことで、おそらく同様のやり方が何年か続いているのかもしれない。

そして、進むにつれどの子も2年生の漢字でつまずいてしまうことに気づく。

日本で生まれて日常会話がわかる子もいれば、外国生まれでほとんど日本語がわからない子もいる。一人ひとり状況も特性も違うけれど、とにかく同じパターンで漢字の練習をさせる。

半年も経つうちに「このやり方でいいのかな?5年生なのに2年生の漢字を何度も何度も書いている。何度書いても定着していない。他のやり方はないのだろうか?」と私は考えるようになった。

「もう、本当にこの子たちはちっとも漢字を覚えない。」と嘆くB先生。

「子どもに原因があるのか?それとも教材が合っていないのか?」とぼんやり考える私。

T先生はB先生を助けようと、一生懸命漢字のプリントを作り続ける。それを渡された子どもたち「仕方ないから、一応やるか」という感じでプリントに向かう。どうせ書いても覚えられないけど、といった重苦しい雰囲気。今にして思えば、T先生に理科の実験をこの子たちの目の前でやってもらった方がよかったかもしれないと思う。百聞は一見にしかずなのだから、、、。

2年目、日本語がまったく分からない10人の新一年生が私たちの教室にやって来ることが判明した。

小学校の現場では、学校というもの自体を知らない小学校1年生が入学してくる4月は毎日が嵐のようなのです。日本人だけだったとしても。

1年生の担任は、別々の幼稚園や保育園からやって来た子どもの特性を理解し、45分間という長いあいだ、椅子に座って授業を受けることができる小学生にしなければならない。

給食のナフキンや連絡帳くらいしか持ち物がなかった幼稚園・保育園から、教科学習に必要な持ち物を日替わりで学校まで持ってこさせる。これだけでも一大イベントである。

1年生の4月の時点では(日本人であっても)子どもたちは自分で連絡帳を書くことができないから、1週間に1度、親向けに時間割と持ち物を書いた手紙が子どもたちに渡される。ところが、国際学級の子どもたちの親御さんたちはこの日本語の手紙を読むことができない。というわけで、日本語が話せない10人の新1年生のために、スペイン語・ポルトガル語・フィリピン語・中国語の手紙を毎週配布する1年がはじまった。

(ちなみに、わが町ではスペイン語・ポルトガル語の通訳さんは1週間ごとに来校しますが、フィリピン語と中国語の通訳さんは1ヶ月に1回ぐらいしか来ない)

この手紙を作るだけでも大変なのに、毎日の生活はもっと大変。学校生活というもの自体を知らない日本語の通じない子どもたちに、日本の小学校での過ごし方を教えるという日々は本当にてんやわんやで、今でもこの頃の細かいことは記憶が拒否していて思い出せません。

思い出せないことは多いけど、どうしても忘れられない4人の子どもたちがいる。私のNPOで使っている「音の出る漢字カード」をつくるきっかけになった子どもたちだからだ。

スペイン語が母語のFちゃんはとても利発な女の子。私がほんの少しだけスペイン語を話すことができるのを知り、私に対しては、ゆっくりスペイン語で話しかけてくる。

でも、「ごめんね。先生、その単語わからないんだ。」内心謝る私。

Fちゃんは時々学校を休む。そこで、家庭訪問に行くと「あなたは誰ですか。」と鍵のかかった玄関の内側から確認するFちゃん。「国際の先生だよ。」と言うと、鍵を開けてくれる。中には、3歳の弟。6歳の子どもが3歳の子どもの子守りをしながら留守番をしている。奥から聞こえるディズニー映画のスペイン語版。この子はスペイン語が上手なはずだと気づく。

Mちゃん。Mちゃんはトイレが近い。ある日、またトイレに間に合わなかった。保健室で下着を借りることになった。でも、Mちゃんはかたくなに着替えようとしない。若い担任の先生はすっかり困り顔。私は「ああ、新品の下着を買ってもらうことができないのか。きっと母親に怒られてしまうんだ。」と気づく。

6歳の子に3歳の子を任せて働きに行かなければならないFちゃんの親、子ども用の下着を買うのを渋るくらい生活に困っているMちゃんの親。彼女たちは小一にして、すでに家族の大変さを背負っている。

フィリピン語が得意なEちゃんは勉強が大好き。でも通訳さんは月に一度しか来ない。私たちは全くフィリピン語がわからない。お互い困っているうちにとうとうEちゃんにチックの症状が出始めた。「私がフィリピン語を勉強するしかない。」と決意しフィリピン語と日本語の本を探すもののさっぱり見つからない(当時はインターネット普及以前)。本当に困り果ててしまい「フィリピンに行って教材を探してこようか」とすら思う。

中国人のRちゃん、1学期は同じクラスにいる日本語が少しできるもう一人の1年生と仲良しで、その子が通訳していた。しかし2学期になってこの2人の距離は少しづつ遠くなっていった。日本語が少しできる子も2学期の勉強を理解するために自分のことで精一杯で、友達に教える余裕はなくなっていたみたいだ。

漢字に親しんでいる私たちは中国人の大人とは漢字の筆談でやり取りできるが、小学校一年生の中国人の子どもは漢字が読めない。唯一、音声の中国語のみ理解できるのだ。

この子たちと接することで、私は、外国にルーツを持つ子どもにとって母語はとても重要なものだと感じることができた。知識としてはおそらくそうだろうとは思っていたけど、実感として理解できた。

ひらがなを、漢字を学ぶのに苦労しているのは文字を学ぶのが苦しいのではなくて、なじみのない日本語で語りかけられて、先生は何を言っているのだろうと思っている間に、授業についていけなくなってしまったのではないのだろうか?

もしRちゃんが口語でも中国語の語彙をたくさん持っているなら、新しい日本語を学ぶとき、きっと助けになるのではないか。

それぞれの子どもが持っているリソースは全部活かそう。イラストからその言葉の意味が分かる、母語からその言葉の意味が分かる、日本語の文はすらすら読めないが、音声化してあれば、理解できる。いろいろな刺激を与え、ある漢字はこういう意味なんだとできるだけ早く深く分かってほしい。そうすれば、教科書を読むときのつらさが減り、クラスの友達と同じペースで勉強ができるのではないか。

そんなことを思いながら、私は「音の出る漢字カード」のアイデアを着想したのでした。NPOをつくるずっと前のことです。

私は(以前の記事に書きましたが)クラスで一番困っている子どもに寄り添うという思いとあわせて、自分が受け持った子どもたちには自分の思いを表現できるように支えるというテーマを自分に課していました。

そのテーマは、この4人との出会いで「音の出る漢字カード」として具体化したように思います。

カードの詳細はこちらです↓

国際教室は毎日がドラマのようなエピソードばかりでした。そして感染症の世界的大流行から数年経った現在、社会情勢の変化とともに、子どもたちの現状はより厳しさを増しています。

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