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適応障害のこと5 庭のある映画の話
植えられた植物たちや、そこにやってくる生き物たちが創り出す小宇宙ともいえる、庭が好きだ。だから、このnoteも庭のことを綴るつもりでいた。今日は久しぶりに庭のことを書く。ただ、自宅ではなく人の庭の話だ。
適応障害になってから、複雑なストーリーを追わないといけなかったり、派手なアクションがあったり、人々が逃げ惑うパニック映画は苦手になった。そもそもストーリーを追う気力がないし、パニック映画はそもそもパニックになる。そこで、少し前から、庭が舞台になっている映画を探すようになった。庭の出てくる映画の多くは、(よい意味で)ストーリーが単純で疲れず、アクションや派手な動きはほぼなく、出てくる人はみな優しく良い人で、もちろん庭が美しい。ひどく疲れたり、抑うつ感がどうにもこびりついてしまうときは、緑が生い茂る庭や、そこでの人間模様を眺めていると、多少心と体が落ち着きを取り戻すのである。
以前読んだ、精神科医のスー・スチュアート・スミスによる『庭造りの神髄』(築地書館)に、庭(づくり)には人を癒す効果があるとして、その事例がいくつか示されているが、庭が舞台の映画も、張り詰めて硬くなった心を柔らかくする効果があるように思う。
いろいろある中でも、好きなのは以下の2本である。
『人生フルーツ』(2017年) 建築家の津端「修一」さん、英子(ひでこ)さんご夫婦のドキュメンタリーで、ナレーションは「樹木希林さん」。
『モリのいる場所』(2018年) 画家の熊谷守一さん、秀子(ひでこ)さんという実在のご夫婦の暮らしをモデルにした映画で、妻役が「樹木希林さん」。監督が沖田「修一」さん。
どちらも、若干変わり者のクリエイターの夫と、長年連れ添った妻との老夫婦が、自宅の庭造りをしながら送る伸びやかな生活を、起伏のほとんどないほのぼのとしたタッチで描いている。そうした共通点があるうえに、同じ俳優さんが関わっていて、さらに、2本の映画に関わる人物の名前まで似ているのでごっちゃになってしまう。
さて、不学で熊谷守一さんという名前は存じなかったが、絵はいろいろなところで見たことがあった。改めてみると、本当に優しい線や色や絵だった。晩年はほとんどの時間を庭で過ごしたそうで、絵のモチーフも庭にやってくる生き物たちだった。
週末に車で向かったのは、この画家の美術館だった。そこには、野外に原寸大の庭が再現されていた。築山のように盛り上げられた地盤に複数の木が植わり、一方で庭の隅には大きな穴が掘られ、階段で下ってゆくと底に小さな池がある。さほど大きくない庭であるが、この立体感があるため、狭さを感じない。その一方で、庭として重要な要素である囲繞感(いじょうかん)がある。囲繞というのは、庭に対して使う場合、周囲をぐるりと木などで囲まれているというほどの意味だ。人間の脳は、まわりを囲まれていると、安心感を抱くようにできている。だから大変癒にされる。階段を下りて行った池の底に行き、飼われている小さな魚を眺めていると、もうその場で固まってしまいたくなったほどだ。
庭には実に多様な機能がある。子どもが遊ぶ。道路や隣家など外部とのバッファ。美しい景観を楽しむ。広ければ散策する。バーべキューなどのレクリエーション。草花を植え、生き物を飼う。しかし、まだある。疲れてしまった心身をいやす場というところが、もっと強調されてよいと思うし、その機能を最大化するように設計することが得意な造園家がいてもよいのではないか、と思う。