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視覚ツールを取り上げないで #6

こんにちは。にわのです。
放課後等デイサービスという、障がいがある子たちの居場所づくりを仕事にしてきました。

子どもと関わる中で、「通じた」体験が最も重要ではないか(そうに違いない!)と考え、「子ども本人」「関わる大人」「支援者とご家族」「自閉症スペクトラム児」と視点を変えながら「通じた」瞬間は誰と誰の関わりにとっても大切な価値があるよね、と書いてきました。

今回は、発語が少し見られるようになったからといって、大人判断で視覚ツール使用をやめないで!なぜなら通じた体験を阻害してしまうから!という話です。


視覚ツールとは?

放課後デイ含む発達支援の現場では、「わかりやすくする」ための工夫として、視覚ツールが多用されます。

予定の流れを視覚化したり、

絵や写真のカードを誰かとやり取りすることで、言葉に代えて「理解」や「要求」を促すために使用したり。

自閉症スペクトラムの子たちは、独特の感覚世界や認識スタイルを持っていると言われています。言葉の認識においても「聞く」よりも「読む」方がわかりやすい「イメージする」よりも「見てわかる」方が得意、ということが圧倒的に多く、情報やコミュニケーション手段を「見える化」することが大切です。

わかりやすくない環境、先の見通しが持てない状況では不安が高まり、イライラしたり行動が不安定になってしまう、というのは障がいの有無に関わらず人間の特性ですよね。その子を取り巻く環境を「わかりやすい」状態にしよう、そのために視覚ツールを積極的に使っていこう、というのは発達支援の基本姿勢です。

自転車の補助輪イメージが持つ危うさ

ところが、「教育」の世界になると違う認識を持つ先生も少なくないようです。
支援学校に通っている子でも、発語が少しでも見られると「言葉が見られるようになってきたので、絵カードを減らして言葉を使う機会を増やしましょう」「もう中学生なので道具に頼るのはやめていきましょう」といった提案をされました、というご家族からの相談を最近でも聞くことがあります。

おそらく視覚ツールに対して、「自転車の補助輪」のようなイメージを持たれているのではないでしょうか。
補助輪なしで乗れるようになることが『本来』目指すべき姿である。習得の過程として一時的に補助輪をつけることが必要かもしれないが、いつまでも頼っていては『本来』の乗り方が身につかない。始めは多少転んでしまうかもしれないけど、努力して乗り越えれば本人の成長と新しい世界が待っている。。。

・・・ちょっと待って!と言いたい!
そんな先生ばかりでないことはわかっているし、全体的な学校批判をする気も全くないのですが、もし少しでも「そうかも」と思っている方がいたとしたら、ちょっと待って、違いますよ、と全力で言いたいのです。
理由は3つあります。


「言葉のやり取り」が唯一絶対のコミュニケーションスタイルではない

言葉で他者とやり取りできるようになった方がもちろん生きていく上で便利です。発語が見られないわが子に、いつか「お母さん」「お父さん」と呼んでもらえる日が来て欲しい、と願うご家族の気持ちは痛切です。
それでも、「言葉でのコミュニケーションを強制すること」は本人にとって苦痛となる場合があることを忘れないでいてほしい、と思います。

人と関わることって楽しい
もっとわかってほしい・わかってあげたい

こうした気持ちを育むことがまず第一で、「人と関わる」手段は、身振りや絵や接触など、言葉以外にもたくさんあります。
言葉はあくまで人と関わるための道具の1つ。最上位の目標は「言葉を話せるようになること」ではなく、「思いの交換ができるようになること」ではないでしょうか。その子にとって取りやすい手段が言葉以外であるなら、まずは本人に合う手段でたっぷり人と関わることを優先させてあげてほしいです。


生活全体の不安定さにつながるリスク

自閉症スペクトラムの子たちの中には、自分独特の方法で言葉を習得するタイプの子がいます。「特定の状況でこのフレーズを言えば良いことがある」といった限定的な習得にとどまっており、何種類かの発語が見られた場合でも、定型発達児のように「もうすぐ言葉の爆発期が来るサイン」という訳では必ずしもありません。

「発語にバリエーションが出てきたから」という理由だけで視覚ツールを取り上げてしまうと、それまで頼っていた表現や理解の手段がなくなり、生活全体が不安定になってしまうリスクがあります。

特に、「中学生になったので」という場合。先生の免許も代わるので「将来を見据えて小学生の頃とは接し方を変えていきますよ」という気合いは理解できるのですが、年齢で区切るのはあくまで大人側の都合です。本人の発達が年齢相応であるなら良いのですが、発達のペースが違うから「障がい」があるとされている訳で。環境や対応を変えるなら理由は「進級進学を機に」といった大人や社会の都合ではなく、本人が見せるサイン、本人の行動が示す兆候、であるべきだと思います。
また、思春期はホルモンバランスの変化もあり、ただでさえ不安定になりやすい時期ですよね。本人にとって新しい取り組みをしたり、環境を変えるのは、生活全体が安定している時期を見計らうことが大切で、中学進学直後というタイミングは特にリスクが大きいように思います。


視覚ツールの併用は、言葉の発達を阻害しない

視覚ツールの使用を「自転車の補助輪」的に捉えては行けない理由、3つ目は「いつまでも補助輪に頼っていては、補助輪なしで乗れるようにならない」という発想が、この場合誤っているということです。
その子にあった視覚的コミュニケーションツールの使用は、「通じた」瞬間=コミュニケーションの成功体験増という形で「人への関心」を高め、発語の可能性を高めることが学術的にも証明されています。

言語代替コミュニケーションとして最も広く普及しているツールにPECS(絵カード交換式コミュニケーションシステム)がありますが、PECSの公式サイトでもこのように紹介されています。

PECSを使うことで発語の可能性が高まり、場合によってはPECSの利用者が発語でコミュニケーションをとるようになることが研究で証明されています。

PECSについてあまり知られていない5つのことについて pecs-japan.com


以上、本人が「自分からあまり興味を示さなくなった」以外の理由で視覚ツールを取り上げてしまうことはやめて欲しい、という話でした。

ではでは。


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