読み放題対象「日本に自民党より右な政党が育たない本当の理由」
日本保守党が話題である。
なぜ?ってもちろん予想を上回るものすごい盛り上がりだからだ。
あの大阪ヨドバシ前の街宣における大混乱と中止は、「この人たちは、国を守るといいながら国民も守れないのか?」とむしろ「保守層」からも多くの「批判」が殺到して大炎上していた。しかし一方で、既存マスコミには頼らずSNSを中心としながら、この人気加熱ぶりは、やはり素直に驚嘆してしまう。
もちろんこれは、リベラル側の人々は例によって例のごとく、「直球の優生思想・排外主義にみんな熱狂しているのだ」「百田尚樹『日本国紀』は、ヒトラーの『我が闘争』と一緒だ!」「私達(正しい)左派の退潮とともに、質の悪いナショナリズム政党が台頭しはじめた」といったような雑なことをいいだしているのは相変わらずだ。
これは全然理解していないと言わざるを得ない。
そもそも今回の盛り上がりは「反リベラル」「反ポリコレ」とかではなく、「自民への不安・不信感」なのだ。これが全然理解されていない。不思議なことに割りと、右派側にも「こんなに人が集まるのは、つまり、それだけリベラルが嫌われてるからだ」という人もあるが、これも少なくとも「日本保守党」を語る言葉としてピントがズレている。
具体的な意味では「LGBT法成立以降の自民への失望感情」だ。その失望感情の持っていき場のなさが、ちょうどいい受け皿をさがして、「日本保守党」に向かっている。それは実は百田尚樹氏自身も一緒だ。
なにしろ百田氏は、「私が党を立ち上げたのは、自民執行部がLGBT理解増進法を国民のコンセンサスが取れていない形で、強引に出したためだ。反対する野党もほとんどなかった現実を見て、与党も野党もどうなっているのかという怒りがあった」と明確に語っている。右派として知られる彼であるが、まず思想性よりも「与党の政策に反対したい場合の(投票先がない)枠組みのなさ」に怒っているのが特徴的だ。
そしてこれは単なる彼個人の思いではなく、「自民より右側の政党をつくろう」という機運の「きっかけ」はLGBT法なのは間違いない。
自民党のLGBT法成立に対する「国民」の「怒り」が相当強くて、その受け皿となる適当な政党が全然見当たらなかったとなる。しかも調査してみると、単なる不満層が多いだけではなく、その内訳が衝撃的なのだ。
産経新聞は「自民党支持者に限っても」と書いているが、たとえ不人気な政策であろうが、政権与党が実行した政策なのだから、自民支持者のほうが全体と比較したら肯定的と考えるではないか。
だが、この調査、実は「自民支持者のほうが全体よりもLGBT法に不満をもっている」という驚くべき結果がでたのだ。なぜ安定議席を保有している自民党が、自民支持者が気に食わない政策を実行するのか?
百田尚樹氏自身は、以下のように語る。
これはまさに一種の「自民党」への保守層不満感の実感のこもった言葉なのであろう。
つまりいままで「自民よりも右な人たちは意外と選挙にいっても投票先に困っていた」わけである。これはリベラルな人には全然想像もつかない潜在需要なのだろうが。
――この話を一般化したら、「右派の思想の勃興・反リベラルの盛り上がり」と考えたら全然理解できなくて、シンプルに枠組みの問題なのだ。
「私達は自民党(与党)が不満で、自民より右の政策を支持したい」という場合、受け皿になる既存の右派政党がない。どうしてどうして?という感じ
そんなある意味、当たり前の潜在需要の存在だ。
逆に考えたら、左の人はとても、幸せだ。なぜって?
「私達は自民党(与党)が不満で、自民よりも左の政策を支持したい」という場合、受け皿になる左派政党がよりどりみどり複数ある。
「立憲(脱糞訴訟)民主党」から、「日本共産党」まで選び放題ではないか?
だが、「自民党(リベラル左派?)より右の政党があったら、それは一定の需要があるんじゃないかな?」というのは、誰でも考えそうな話である。だが、とりあえず歴史的にはうまくいっていない。
それこそ、かつて2005年に自民党を離党した平沼赳夫らの真・保守政党構想では、すでに「日本保守党」という名前が生まれそうになったことがある。だが故・石原慎太郎氏はその命名案に「ダサい」といったので、党名「立ち上がれ日本」となり迷走する。その後、「太陽の党」「次世代の党」(「日本維新の会 石原・平沼グループ」)「日本のこころ」とコロコロ名前が変わった。だがこの党も、百田新党(日本保守党)とコンセプト自体は似ていて、「真の保守政党として日本の独立と繁栄を守り、自主憲法を制定し、豊かで誇りある日本を築いていく」「正しい歴史観、愛国心を育む教育」のような政策をかかげたが、党勢としてぱっとしなかった。最初の党名が予言のように「立ち枯れ」して終わった。当時から多くの人が「爺世代の党」と言ったように、こういう主張というのは、もはや一定の年齢以上の人々にしか「響かない(響きにくい)」――古臭い感じが拭えなかった。
(とりあえず「太陽の党」の命名は、一体どの世代をターゲティングしていたのだかと石原慎太郎のセンスに呆れる――彼の過去の栄光の小説「太陽の季節」は1955年だ)。
ともかくも、「日本維新の会」は既にコンセプト的にも「自民より右の政党」というわけではなく道頓堀のような混沌が魅力で今の党勢だ。また「参政党」はこれもまた「無農薬の農本主義右翼と反ワクチンの素敵なマリアージュ」というニッチな層への強いアピール性が生存戦略であり、これはむしろ「スピリチュアル右翼」「右のれいわ新選組」と呼ばれたりもする。そんなわけで参政党は「LGBT法反対」を売りとしていたが、「保守層」の受け皿になりえなかったわけだ。
これらの歴史が証明するのも、つまり意外と「自民よりも右側の政党あったらいいね」みたいな試みは、今まではうまくいってない――という事実だ。
仮にそっち方向に進めば「票がとれる!」と判断したのなら、自民党の泥臭いDNAを受け継ぐ「日本維新の会」が、とっくに「自民より右側」というわかりやすいコンセプトを打ち出していたのではなかろうか。だが、実際にはそうはならなかった。
注目すべきは、だが「日本保守党」に関して、以下のような(ある意味非常に常識的で、ツマラナイ)分析が多いのだ。
だが、どうだろうか?
逆に言えば、これは対称性がとれていない典型的な議論で、いかにも「自民党=保守政党」という確証バイアスで論じている。自民党は党内に左派もあり右派もある。日本共産党みたいに「党内に一切の派閥も許さず、すぐ粛清してしまうイデオロギー政党」とは違い、良くも悪くも「多様性」の政党である。
だからLGBT法みたいなものも通してしまう。移民反対でもない。
「ターゲットとなるのは自民党よりもさらに右寄りのごく一部の層に限られるため(党勢を拡大しない)」というなら、同時に現在の立憲民主党や共産党、社民党のような左派政党も「ターゲットとなるのは自民党よりもさらに左寄りのごく一部の層に限られる」となるのではないか? だが立憲や共産は一定規模の政党である。
そもそも前掲のようにLGBT法に不満な国民は、「61.2%」であり、各種調査からも「ごく一部の右のアレだけが反対している」というわけではない。そもそも反移民等のイシューにしろ、調査してみれば別に「ごく一部の層」の支持というわけではないのだ。
そういった意味では「与党の不満先として、左派政党があるように右派政党があっても当然じゃないか」という思考から出発しない論考はまったく意味がないのはご理解頂いたと思う。
では、どうして「日本に自民より右な政党」がこれだけ需要があるのに、うまくいかなかったのか
これだけ割と世の中には「自民党より右側のちゃんとした政党がほしい」という「潜在需要」があって、投票先に悩む人々がいて、いまの「日本保守党」の盛り上がりがある。そうした「枠組み」自体が、彼らの結党のコンセプトでもあったのは明らかに新しい。
だから百田氏らに対する一定の人格的な疑問があっても、それでもなお強く支持を表明する人までいるほどだ。
だが、これほどの需要がありながら、やはり日本で「自民党より右」の政党がうまくいかなかったのか――この意味がわからないと一気に求心力を得ている「日本保守党」の今後の帰趨もわからないし、そもそもいままでだってひたすら「右にサービス」してきたわけではない自民党が(安倍政権時代だって)ここにきて顕著に「保守層」に対する求心力をおとしているなになのか――それはもはや、
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ニワカ式note リベラルは窓から投げ捨てよ!
優しいネトウヨのための嬉遊曲。 おもしろくてためになる。よむといいことがある。
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