読み放題対象「テロルと民主主義のパラドクス」
でもね、それを投げ出しちゃだめなんだよ?――
去年は元首相が手製の銃で暗殺された日本、今年は現役首相が手製の爆弾で暗殺される――あと少しで、そんな国になっても何の不思議はなかった。
至近距離に爆発物を投げ込まれたテロで、岸田首相が無事だったのは結局、運がよかったというだけにすぎない。
安倍暗殺以来続く不思議に浮ついた嫌な空気――「要人暗殺は、テロリストの政治目標を達成するという意味で、大成功してしまった」――この日本史にも特筆され語り継がれるような珍事はやはり、あまりにも当然の結末を迎えてしまった。テロの連鎖である。
「五・一五事件でテロに厳しい処分をしなかった。二・二六事件でもテロに同情的な風潮だった。そして日本は軍部独裁、戦争へ」などとテロに温情的な態度や、肯定する態度の悪影響を憂いてみせていたリベラルな人々は一体どこへいってしまったのか。
そう、安倍晋三を民主主義でも言論でも倒せなかったリベラルは、「あべしね」の言霊で呪い続けていた。
その「アベ」がテロで殺されてスカッとした嬉しさを形にするべく蠢動した。
このような「テロをおこせば、マスコミが動くぞ、政治が動くぞ、よしテロをおこそう」という空気がいかに、テロリストに成功体験を与えて、次の模倣犯を発生させるかわかりやすい形で示した。以下はまだ安倍晋三が暗殺されたばかりの去年の7月の話なのだ。
なにしろ、テロリストが「アベは統一教会と癒着してる!だから殺す」とかいって暗殺したら、早速、日本共産党などは嬉々として「そうだぞ!統一教会の活動実態徹底調査だ!」とチームを結成してしまった。
テロの被害者側の「アベ」を巨悪として作り上げ、テロリストに寄り添い、山上を「悲劇の主人公(無敵の被害者ポジ)」とする。そうして、民主主義国家の政治家たちが、テロリストが憑依したかのごとく彼の願望を実現しようと狂奔する。
――この人達、テロリストの下僕ですか???
そうしてテロルは新たなテロルを呼ぶのも必然である。
民主主義の手続きによらずして、民主主義国家の政治家を暗殺したテロリストの政治意志を秒で引き継いで、立法化のために国政議員が尽力した。テレビのワイドショーは連日、テロの被害者側の安倍晋三を「妖怪岸信介から三代に渡って反日凶悪韓国カルトと結託して日本を売り渡した大悪魔」という壮大なリベラル・ファンタジアを作り出して叩いた。
その帰結としての木村隆二容疑者であるが、これはもはや単に模倣犯というよりも、「山上の物語」に魅せられた山上の継承者のような姿がみえはじめた。
これは、「ジェネリック山上」といったような存在だったのかもしれない。
テロの被害者側を「(殺されてもしかたなかった)大悪人に作り変える物語化」こそが、次なるモンスターをつくりだした。「既存政治家は統一教会の組織票で当選している」などという算術上ありえないイリュージョンを信じ込んだ「ジェネリック山上」を生み出したのである。
「テロの原因を根絶しよう」などといいながら、テロリストの動機や境遇によりそい、テロリストのために心を砕いて配慮し、テロリストの政治意志や願望を引き継ごうとする「彼ら」こそが、どんどん「テロリストに居心地のいい社会」をつくる――すなわち「テロの原因」そのものなので、「彼ら」の「根絶」こそが必要なのではないか?――当然そういう結論に至る人々が増大した。
そうした中、多くの人が、つぶやき出した。
「テロリストには名前を与えるな(動機を報じるな)論」である。
簡単にいえば「テロリストの名前も動機も顔も素性も一切報じるな!テロリストの動機について報じること自体が犯人の政治意志の宣伝になり、テロへの加担になるぞ」――こうした論がバズを生み、もりあがったのも当然といえる。意外と私のところに「ニワカちゃんは、テロリストの動機も報じるな論(仮称)について、どう思いますか?」と聞かれたりした。
私は実はあらかじめ結論からいえば、この論に賛同するものではない。その理由は後述する。リベラル的な意味ではなく、むしろ反リベラル的な意味で反対するのだ。
しかし一方で、この論が多くの人々の心を捉え始めたことは、「戦後民主主義」にとって、一つの大きな「潮目の変化」であると捉えている。日本のリベラルの人たちはまったく意識していないが、2023年、ついに戦後民主主義は完全におしまい。今、私たちは二度と引き返せない二種類の民主主義の岐路にたっている。この流れ今、書き記すしかない。
この「テロリストの動機も名前も報道するな論」をめぐって有名な(しかし程度の低い)論争も発生した。
サイボウズ代表の青野慶久氏が、「自民党が旧統一教会の問題に真摯に向き合っていれば、去年の辛いテロは起きなかった(略)テロが起きる原因からなくしていきましょう」「模倣犯を生まないようにするためには、原因を減らす」などと、まるで今まで国政が霊感商法対策に動いてなかったかのような事実誤認を織り交ぜつつ、テンプレなことを言い始めた。
一方で、国会議員の武井俊輔氏は、彼に対して「100%間違っています。テロによって言論を封殺する者を寸分でも肯定することを誘発することは、結果としてテロリストを正当化することと同義」といった。すなわち、テロの動機やら原因追求などはテロ肯定の誘発になるから一切許されず、「テロリストは黙殺すべし」ということだろうか(少なくともそう受け止められて議論が進んでいる)
だが武井俊輔氏は(テロの原因を探ることも動機を知ることも)「100%間違っています」「絶対悪です」と繰り返すだけで、議論は平行線をたどるだけだった。もちろん「絶対悪」として一切、対話しない態度自体が彼の立場表明であるのかもしれないが。
私は興味深く観察していたのだが、この「テロリストの名前を与えるな論」は、アナフィラキシーショックのように、リベラル界隈に信じられないほどの強烈な拒絶反応をおこしていた。
国会議員らがこの論に与したことに「報道は動機や背景を追及するなというのか!」と早速、東京新聞は記事にして問題にした。青木理とかいう元共同通信の記者は、TBSサンデーモーニングにおいて「一部の政治家のみなさんが(テロリストの)『動機を報じるな』みたいなことをおっしゃりはじめている。恐らく安倍さんの銃撃事件で統一教会がクローズアップされたことが政治的な影響があったということに懲りたという背景が」「政治家が(報道内容を)報じろとか報じるなというのは非常に不健全な動き」「(テロには)社会の矛盾、社会の歪みが凝縮しているわけですよ」などと語りはじめた。「懲りる」のはお前達の側ではないかという感じだが、つまり「だから原因を追求しろ」といいたいらしい。
え、そんなまさかそんな解像度なの?という感じだが、ある意味、この「テロリストの動機も報じるな論」は、彼らに投げ込まれた爆弾に等しい。
実はこれは日本のリベラルの最も悪いところが現れている。はっきりいえば、彼らが「犯人の動機や名前も報道できないなんておかしい!」「お前がカルトと結託してるから都合が悪いんだろ?」「国民の知る権利を否定するのか!」と叫べば叫ぶほど、実はいかにも日本のリベラルらしい幼児的な思考回路でしか理解できてない証明なのだ。
彼らからは「永遠に大人になる契機が奪われている」というほかない。
今こそ、テロ以降の言論空間によって現出した「2023年、戦後民主主義の完全なおしまい」について語ろう。今、私たちは2つの民主主義の分岐点に立たされている。大人になるのか、子供にとどまるのか。
とりあえずサイボウズ青野氏は「人間の行為には原因があり、100%悪の行為にもやはり原因があり、この原因をつかむことで悪の行為を減らせると考えます」などというが、あれ?なにいってるんですか、おいおい。この考え方は、致命的に人間がわかってない。なぜって、――
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ニワカ式note リベラルは窓から投げ捨てよ!
優しいネトウヨのための嬉遊曲。 おもしろくてためになる。よむといいことがある。
和菓子を買います。