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【ニワカ式】女のまがいものを生み出すフェミニズム
さても面妖な話ではないか。「名誉男性」という言葉だ。そもそもその語感からして、「名誉白人」を連想させるような差別的・侮蔑的表現である問題などは些末な話である(いや、些末ではないが)。問題なのは、フェミニズムにアップデートされたような女性たちが「お前は女性ではない。お前は女性の紛い物なんだ!」と叫ぼうとする――論理的におかしいのだ。今回は、その「排除の論理」をメタ的に分析する。
とにかく女性の多様な価値観や、自由な生き方を拡張するのがフェミニズムのはずが、フェミニスト基準にのっとった女性以外を勝手に男性価値観に汚染された造反者として激しく嫌悪しはじめる。
そう、都合の悪い女性の意見(存在)はすべて「お前は女性じゃないんだ」と整合性をとろうとする。この同じ女性を「まがいもの」扱いする嫌悪感の正体とは、なになのか解明する。
別に「名誉男性」という言葉でなくてもよい。
最近でもマイメロ・ネカマ事件が勃発した。
マイメロのバレンタインコラボ企画が「女の敵は女」という言葉が炎上し、「性的偏見を助長する」として「炎上」し、発売中止となった。
ところが、もちろんマイメロのグッズであるから、ファンの多くは女性だし、さらに「製作は全員女性」とも明らかになった。なんだかいつもどおりの「女性が叩いて潰したものの中の人が女性」だったパターンすぎてアレだが、まさに「女の敵は女」とネットでは揶揄された。つまり「性的偏見」を助長するとしてはじまった「炎上」こそが、「やっぱり女の敵は女じゃないか」と「性的偏見」を助長していた……。
だが問題なのは後日譚だ。マイメロのママは毒舌(リアリスト)という設定なのはファンの間では有名な話で、当然のようにマイメロのファンだった女性たちが、発売中止を残念がったり、嘆いたりする声をあげた。「自身が娘をもつ母の立場になったこともあり、とてもとても楽しみにしてました。通販で欲しい人にだけ売ってもらえませんか?」等の声だ。ところが、その女性たちは、フェミニストたちによって、「ネカマ」とされた。
「マイメロを擁護している人は全員ネカマ」と言い放つ人もいた。
ここでも自分たちの価値観の合わない(都合の悪い)相手や声は「ネカマ=女のまがい物」とされたのだ。
たしかに「女の敵は女」とは、なにかイラッとする響きがある、だからこそ「時代錯誤だから中止になってよかった」という声もあったそうだが、文脈から切り離されて炎上するのはいつものフェミニズム案件である。
しかし書いておく。「女の敵は女」とは、「恋のレッスン」という商品にかかれていた言葉で、別に「ほら、女同士で醜い争いあいしている」「なんて哀れな生き物!」的な差別的ニュアンスはない。単に異性獲得の競争相手が「女性」同士という当たり前すぎる話だけだ。
そう考えると、恋愛市場における「女性の敵は女性」を否定するというのはかなりヤバい。なぜって?
「女性の敵は女性」みたいな恋愛市場における女性同士の男性獲得競争を禁止するなら、それは「女性はひたすら男性に選ばれるおしとやかな存在であれ」「女性が主体的に男性を選ぶなんてはしたないぞ。黙って受動的に選ばれるのを待て」みたいに結局なるのではないか。
「選ばれる側」としての女性の肯定だろうか?
フェミニズムとは、女性がむしろ男性の「客体」(受け身)の存在であることを批判していたのではないか???
「わきまえろ女たち!」ということだろうか。
むしろマイメロママのような「(男性のように)主体的に動いて争って好きな異性を獲得しろ」というメッセージのほうがよほどフェミニズム(女性解放)である。
それを発売中止に追い込む「女性」たち……。
逆に、たとえば「女性は女性同士で喧嘩しちゃだめよ、仲良くね。どうせ女性を選ぶのは男性なんだからね、そういう態度は殿方に嫌われるわよ」とか「恋のレッスン」でたしなめる「ママ」のほうが、ずっと保守的女性ではないか。「女の敵は女」という当たり前を、当たり前にするマイメロママは「わきまえない女」だから粛清された。
女性の自由な生き方を求めるのがフェミニズムのはずが、女性が「女性らしく」ないイデオロギーに汚染されていると思えば、「ネカマ」や「名誉男性だ」――「お前は女じゃないぞ」と言い出すのだ。「わきまえろ女達」仕草だ。実は、フェミニズムの価値観って、じわじわ保守化していませんか?
たとえば「名誉男性」という言葉は、要するに政治家や社会で働いていくキャリア志向、「正社員」の女性に対して使われる事が多かった(同様にフェミニストたちが憎む性資本をもったレースクイーンとか巨乳タレントに使われている例は、寡聞にして知らない)。いってみればフェミニストたちの考える「男社会」の内部の成功者たちだ。
去年の自民党総裁選で、高市早苗氏が候補になったときなど多くの有名無名のアカウントによって、彼女が政治コンパス的には「保守」であるから、「名誉男性」と叩かれたのは記憶に新しいだろう。
そして、毎日新聞政治部長の佐藤千矢子氏や有名フェミニストアカウントたちは、よってたかって、「高市さんがリーダーになって女性の味方になってくれるだろうか?」や「女性でありながら女性の権利のために働こうとしない政治家がいることの方が問題ではありませんか?」と言う声で批判した。
自民党総裁を目指す人間が、たまたま女性だったら、どうして「女性の味方」や「女性の権利代表」であることが要求されなくちゃいけないのだろうか。これは黒人の大統領候補がいたら、「黒人なら黒人のために働け!」といったら、すごい差別的なのがわかるだろう。
むしろ「私は黒人の大統領候補ですが、黒人のために働くとかそんなバカバカしいことしませんよ、私は黒人である前に、まずアメリカ市民なのです。アメリカ市民のために働きます」といわなくては差別や偏見なんていつまでもなくならないだろう。
高市早苗氏だって当たり前だが「女性であるまえに一人の日本国民であり、国民の代表として選ばれた国政議員」なのである。それに「お前は女性なんだから女性の味方しろ」とか言い出すほうが性役割の押し付けだ。だが、それを言い出して、「名誉男性」として激しく憎悪するのがフェミニズムなのである。フェミニストと国民のどちらが女性というだけで相手を判断する「セクシスト」なのだろうか?
「女性だから女性のために働かなくてはいけない」こそが、最悪な「ジェンダーロール」の押し付けではないだろうか。
要するに「ネカマ」とか「名誉男性」という言葉は誰も指摘しないのではっきりいうが、「お前は女じゃないぞ」「お前は女のまがいものだぞ」と「女性であること」の規範をおしつけている言葉なのだ。フェミニズム的にどうなの?
どうして女性を解放するはずのフェミニズム的な運動こそが、「おまえは女性のまがいものだ!」とレッテルを貼って激しく同じ女性を憎悪するのか? その嫌悪感の正体を解明する。実はフェミニズムの根幹となる理論を反転させると、これはすぐに理解できるのだ。
ついでにフェミニズムの根幹理論についてもわかり易く解説する。
それはなぜなのか――
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ニワカ式note リベラルは窓から投げ捨てよ!
優しいネトウヨのための嬉遊曲。 おもしろくてためになる。よむといいことがある。
和菓子を買います。