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「弱者権力衰亡史」


abstract


ご存知、自称「車椅子インフルエンサー」の人が、イオンシネマの対応に抗議してSNSに晒したら、逆に自分が金属ナトリウムのように激しく燃えていた。

この中嶋涼子氏は、しばらくSNSを非公開(鍵垢)にしていたが、またも復活した途端、再度、燃えていた。彼女はイオンシネマの幹部数名に面会して「建設的なお話することができました」「企業と直接話あうことができて本当に嬉しかったです」と、誇らしげに宣言したからである。まるで「(私を攻撃する愚かしいネット民と違い)イオンシネマはわかってくれたんだぞ」という感じだった。

だが、その後、イオンシネマ側から実際にでてきたのは、結局これである。私も言葉を失った。

お座席への移動については、安全性の確保の観点から、弊社スタッフが⾞いすやお⾝体を持ち上げる対応は控えさせていただきますが、スタッフの肩や⼿でサポートすることは可能ですので、お気軽にお声掛けいただけますと幸いです。移動される際のお座席は、お客さまとお話した上で⾮常時のお客さまの安全を考慮した座席を提案させていただきます。お座席への移動が難しい場合は、⾞いすスペースにて、⾞いすのままご鑑賞いただきますよう重ねてお願い申し上げます。

イオンシネマについて / バリアフリー ⾞いすには対応していますか
(2024/04/18に更新されたイオンシネマ公式サイト

いかにも日本語的な修辞法で曖昧模糊に書いているが、しかしよく読めば一切の解釈の余地がなく厳密なルールができてしまった。要するに「映画館職員が車イスや障害者の身体を持ち上げて運ぶような特別対応は今後は一切しません」「自助努力以外は車イススペースでおとなしく映画を見てね」ということである(移動できる場合も安全に考慮した席が指定される)。むしろ今までは現場判断の善意に委ねられ、明文化されてないがゆえに運用は柔軟であり、車イスユーザーは便宜をはかってもらうこともできた。だが中嶋涼子氏が「声をあげた」せいで一律の厳密な対応が決まってしまったのである。
そうしてこの動きは「車イスインフルエンサー対策マニュアル」として全国の映画館に広がっていくのかもしれない。

だが、もちろんこうした企業の「テロリストには屈しない」的な毅然な対応を後押ししたのはSNSを中心に形成された世論であろう。むしろ弱者系活動家のクレームに容易に屈してしまうことこそが「社会コンプライアンスに反している」と多くの企業が学びだしている。

なぜこうなった。少し本件をふりかえりつつ決定的に今後こうした「障害者の”弱者性”という凶器をふりまわし無理難題で暴れまわることで、権利や自由を獲得する伝統産業リベラルの終焉についてかいておくことにした。なぜ「見え方」が一気にかわってしまったのか。

騒動の渦中では「車椅子インフルエンサー」に対して、「車椅子界のへずまりゅう」「れいわ新選組系のバリアフリー当たり屋」などという声が聞こえてきた。なかには「乙武、伊是名、中嶋で車イス肉弾三勇士!」と言う人までいた。あんまりにもあんまりで思わず泣いてしまった。

https://twitter.com/h_ototake/status/335704926523109378
乙武氏の事例。事前相談もなく小規模経営の飲食店へ突撃。店員に業務を放棄し2階まで抱きかかえ階段を運ぶよう要求。 断られたらSNSに店名を晒して叩かせようとした。「屈辱!」「人としての尊厳を傷つけられた」と正当化した。


ともあれ、こうして「車椅子インフルエンサー(自称)」の過去の「業績」が次々と明らかになる。あまりにも多すぎてとても紹介しきれないが、たとえば、この中嶋涼子氏は救急車を呼び搬送中なのに余裕ありげにYouTubeライブ配信をする光景は衝撃を生んだ。救急隊員たちが懸命に彼女のため働く中、インプレッション稼ぎで生配信していた。他人には無限大の「配慮」を求めるが、その彼女には切迫した状況下で救急車を必要とする人や、懸命に彼女のため働く人への「配慮」はないようだ。

さらには新幹線の多目的室を障害者特権で優先的に専有し、大声で楽しげに奇妙な歌をうたい、またあるときは車内に猫を放逐して楽しげに遊ぶ姿も配信した。動画では「今回も個室からお送りしています~♪(ドヤあああ)」「ナイスパ!(動画への投げ銭ありがとう)」と歓声をあげる。この多目的室は静かに横たわりたい体調不良者や授乳したい母親の使用も想定しているのだが、彼女は、他人には無限の「配慮」を求めるが、自分は他人に一切の「配慮」などしない。
ひたすら「一度獲得した既得権益は(目的外使用であれ)絶対であり、一方的な社会の配慮の受益者を自明とする姿」は、「これぞ車イス三英傑の一角」と唸らせる。

愚かしい強者マジョリティ健常者どもには一生到達できないレベルで優雅な生活を享受し、それを障害者ライフハック的に配信しマネタイズしているのが「新しさ」である。

さて、炎上したあまりにも有名な映画館でお断りされ悲憤慷慨ポストは以下である。

実はこのポストにおいて「本当は映画館の対応のなにが彼女を悲憤させたのか」実際には理解されてないのだ。

https://twitter.com/NakashimaMinion/status/1768551963111927926
午後5:17 · 2024年3月15日


当初の中嶋涼子氏の言によるならば「この劇場はご覧の通り段差があって危なくて、お手伝いできるスタッフもそこまで時間があるわけではないので、今後はこの劇場以外で見てもらえるとお互いいい気分でいられると思うのですがいいでしょうか」と、婉曲な今後の同じ対応のお断りをされた。
ともあれ、「映画館側としては、完全な善意から、かなり体格のいい自称インフルエンサー車イス女史の体重をのせたまま、車イスという大重量物(重心も高い)を段差を超えてプレミアムシートにまで運んであげるサービスもした。そうしたら当然の権利のように要求するようになり、その日は対応した上で帰りに次回からはご遠慮くださいといった途端、いままで親切にしてくれた側を晒し上げてクレームをいれられた」――というわけのようである。



彼女にとっては、新幹線の多目的室を身障者特権でラグジュアリーな時を過ごし、あとの利用者の猫アレルギーなどまったく配慮せず猫畜生を車内に放逐し動画配信目的で専有できるのは当然の権利であるように、一度獲得した善意は、絶対不可侵の既得権益が常識であった。

猫畜生かわいいですよね。
動物を愛する人は「いい人」しかいないのはナチスが証明しているそうですよ?

中嶋涼子氏は炎上事件以降、ひたすら「可愛い動物bot」系を大量リポストしてTLを埋め尽くし、自己の「かわいい動物たちを愛する善性(女の子性?)」をアピールしてるのが示唆的ですね

そうして彼女は錯乱する。「久々に悔しい気持ちになった。」「すごい悲しかった。。」「なんかすごく悔しくて悲しくてトイレで泣いた。なんでいきなりダメになるんだろう! 悲しさを通り越して今は行き場のない怒りに変わってきた。」といったのだ。

こうして、イオンシネマ側は彼女の抗議を受けて、「不適切な発言」への謝罪文までも出すことになる。


まさに「車イス活動家」として「価値観の遅れた企業を懲らしめてやったぞ!」の大勝利の快哉という感じだが、一方でSNSで彼女は大炎上してしまったのだ。

ほとんどがネガティブな意見に圧倒されていた。特に多くのリポストで目立ったのが他の車椅子ユーザーであり、彼女の活動を批判した。
「これ運ぶ人にとっても車椅子ごと一緒に転倒して非常に危険ですよ。善意で運んでくれた側に損害賠償請求するんですか?」と実体験から語るものから「事前に連絡するのが常識では?どうしても行きたい場所は介助の人も自分で調達する」といった声もでてきたのである。なかには「こういうことがあると車イスは出かけにくくなるので迷惑してます」という人もいた。

だが逆に例によって伝統的な弱者権力ビジネス界 リベラルの人たちは「障害者はわきまえないでいい!」「手助けされてもそれが当然の人としての権利であり、感謝もしないでいい」「感謝の言葉をいう時点で、”ありがたい”=イレギュラー対応ということになる」「助けてもらっても、その相手は自販機と思えばいい」というようなことをいって(嘘のような本当の話)それらもまた炎上していた。なにしろ社民党などは本件を受けて「甘えているのは『合理的配慮』を学ぼうとしない健常者だ」(社会新報4月18日号)と声明をだしたほどだ。結局、彼等は「障害者vs健常者」のわかりやすい二項対立の闘争でしか世界を認識できず、障害者を孤立させ、そうして自分たちに依存させるように仕向けるカルトというだけである。わかり易すぎて泣いた。


そもそも中嶋涼子氏は、旧来の(当たり屋系)車イス活動家と違う「障害者ライフハック系」のニュータイプなのだが、「障害者の”弱者性”という凶器をふりまわし無理難題で暴れまわることで、権利や自由を獲得する伝統産業リベラル」といったこれらの活動の賞味期限切れを、いつになく人々にお知らせする結果になった。彼らの訴えから「弱者権力性」が剥ぎ取られ、いまや「社会的に正しくないやつら(悪質なクレーマー)」とみえはじめている。

なぜこうなった?

それは車イス障害者の「弱者権力」の低下だろうか?
それとも今回多くの人がいいだしたように「配慮配慮いわれても、結局もう社会のリソースは有限なんですよ」みたいな話なのだろうか。

だが、ここで誤解してはいけないが、多くの人がうすうす感じたはずだが、彼女が求めていたことはそもそも「権利や自由」ではなかったことが彼女の訴えによって明白になったからだ。
だから合理的な範囲の「配慮」とはなんなのか、と論じても実はまったく意味がなかった。SNSでは「無限の配慮への社会のリソース問題」について論議が進んだが、実際には本質はそこにはない。

ここで重要ポイントは、なぜ彼女が映画館の対応にあれほど錯乱状態になり悲憤慷慨したのか。


「悲しさを通り越して今は行き場のない怒りに変わってきた」というように、そもそも彼女は「本来は自身で処理すべき悲しみ」を外への怒りに転嫁してごまかしてしまった。

というのは彼女自身もあの長文の映画館を告発するポストで、「なんかすごく悔しくて悲しくてトイレで泣いた」というようにひたすら情緒が先行して「自分がなにが具体的に許せなかったのか」本当はわかってない。なぜって?そこに思考が至れば彼女の世界が崩壊してしまうから。あれだけヘイトを集める活動をしておきながらその自覚もなく、炎上した途端、鍵垢になったことに象徴されるように、彼女は自分が傷つく思考を周到に回避している。彼女が意識化を拒んだ発狂ポイント

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