「生物から見た世界」5,6章読書感想文。
5日間、読書サボった。
ニートのルーチンとして、読書は朝やるのがいいと思った。読書習慣つけたいのだが少しだけコストを感じてしまっているから、先に片付ける気分で朝やってた。
ある時からなんだかんだ夜になってしまって夜中にやるようになった。イカンイカンと昼間読んだら眠くなって昼寝、1日が終わるというのを経て、うん、夜中でいいやと思うようになった。
しかし夜中に読もうと決めて昼間に本開くタイミングあるのに後回しにする生活しても、結局昼寝して1日終わってることに気付いたのが昨日(笑)
ほんで夜中にはもう読む気が失せているwww
ハードルを下げる(夜中に読もう)と、それすら跳べなくなってしまうあるある。今日は午前中に本を開くことに成功した。ルーチン一周。本は朝、読むのが良い。やっていく。
本の貸出期間は1週間延長したえらい笑。
5章、知覚の違い。
コクマルガラスは止まってるキリギリスが見えてなく、跳んだ瞬間にパクっとやる。死んだフリつよい。
とりもちをメスの動きに似せて振り回したらオスのハエが採れる。
そんな例を挙げながら環世界の違いをやってる章。
街を歩いていてアレ?こんな店あったんだと思うとき、環世界が変わったのだろう。
同じ映画を観て違う発見があったときもそれだろう。
こう言われると、見逃したくない取りこぼしたくないと思いがちであるが、見えてるものだけ追い求めるのも悪くはないだろう。取りこぼしゼロなど有り得ないだろうし。
誰も正しくないし、誰も間違ってない。
ほんと生物学じゃなくて哲学だにぇ〜。
6章、飛んで火に入る夏の虫。
ガラスに閉じ込めて声の届かないキリギリスの雄と、雄の声が鳴るスピーカー。雌は後者に寄っていく。などの例を挙げながら「目的」と「設計(プラン)」という言葉で説明してる章。
なるほど、声の鳴る方へ行くというプランが愚かだったのか?しかし自然においては機能する優秀なプランでもある。
環世界を広げなければ目的は遂行されないことがあり、我々人間に見えてる環世界は足りているのか?という問いも立つ。
めんどりとひなの例。
片脚つないで動けないぴよぴよ鳴くひな、その姿が見えなくてもそれを探しだし架空の敵をつつくめんどり。同じひなをガラスに閉じ込めて声が届かなくすると、見えてるにも関わらずめんどりは反応しない。
これ、ひなの立場から見ちゃったなあ。
正しい鳴き方のススメ(笑)