「難聴者と中途失聴者の心理学」第3章読書感想文。
前章で僕は「障害者は差別しろって思う」と述べた。その根底には「理解してほしい」という気持ちがあるが、人はみんな違って当たり前であり、「理解」は「差別なく」みんながされるべきなので、大きな声で言えない。
そんな話をしたあとの3章のタイトルが、
第3章 聞こえづらさと偏見
ゾクゾクするよね笑。
「人」
と言われてどんな人を想像したでしょうか?
この導入、ゾックゾクするよね笑。あなたが想像したのは「プロトタイプ」であり、そこ
ヘルパー2級(現・介護職員初任者研修)の資格取りにいったら講師が電動車椅子で入ってきた時のこと思い出してゾワッとした。
場面想定:講義のグループディスカッション
うんうん。
うわあああああ、やめてくれ筆者その術はオレに利くwww
これをアンケート調査した結果(笑)
ファー!ウケるwwwwwwwwだよね……笑
わかる〜。それな。わかりみが深い。つかそりゃそうだ。なにがなるほど。
もういい、やめろ筆者www
ワロてもうてるやん!(意訳であり嘘です)
はいそうです。僕も使っておりません。
……笑いすぎやわ!()
手話ねぇ……そりゃやったらえぇんやろけど、日本語もままならないのに他の言語を学ぶ気になれへんねん(我儘)英語とかもほんま嫌いやったし。そもそも、話者が少なくて使う場面ぜんぜんないやろ。
補聴器についての話も少し。
補聴器つけてると「あ、こいつ耳悪いんだな」と理解してもらえて楽なのはあるのよね。それはそうなんだけど、聞き返すときに補聴器の存在をアピールして耳を「え?」と突きだすと、だいたい相手が「ウッ」となってるのを空気で感じて、そのウッの感情の中身もわからなくて怖いし、なんか卑怯だな〜とか思い始めたの、補聴器を付けなくなった数ある理由の1つです。
あとは単純にコストが高い、メンテナンスも面倒、屋外の風の音とか大人数のざわつきやノイズも拾ってしまうので聞こえは良くなっても聞き取りは言うほど変わらない(訓練や調整次第かも)、電話などは変わらず苦手、理由は色々ある。
最近のノイズキャンセリングとかは試してみたい気持ちもあるけれど………結局は根本の「コミュ恐」を治さないと意味はないんだろうなあ、と感じたのが一番大きいかな。その補助はしてくれるかも知れないけどコスパ悪かったので、外しました。
スティグマ(負の烙印)
僕自身はこのスティグマを感じたことはないのですが、
というのは僕も障害者にたいして、頭では分かってても体がそう反応してしまうことはあります。そういったスティグマの影響で、
という人もいるようで、スティグマ・偏見がどういうものであるか説き、どう取扱うべきかを問うことに頁を多めに使っています。
さいごに。
大昔、僕がカラオケボックスでバイトしていて、車椅子の青年客が来たときのお話を。
彼は、上半身がムッキムキでした。その姿をみて反射的に僕は「めっっちゃイイ体してますね!」と言ってしまい(しまった…!)と思いました。
それは「言うて彼、足悪いやんけ」という意味の「しまった」ではなく「彼が健常者だったら、今の声掛け、したかな?」「スティグマを貼ってるから言ってしまったんじゃないかな?」という種類のものでした。
するとしかし彼は、目を輝かせてニッコニコ笑って「ありがとうございます!!」と言って部屋に入っていきました。
しばらくして同室の友達であろう健常者の青年が一人で出てきて「彼にあの言葉をかけてくれてありがとうございます!」と同じように目を輝かせて両手で握手してくれて温かい気持ちになったのですが、冷静に考えればそれってあなたの感想ですよね。
帰るときにも2人はニッコニコして会釈してくれましたが、あのときの彼がほんとうにはどんな気持ちだったか、という問いはずっと心残りです。
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