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「夜と霧」読書感想文。
BGMにどうぞ。
夜と霧。
さいきん「死についてのハドル」と題してオンラインミーティングして遊んでるんだが、その中でたびたび話題にあがり課題図書みたいな感じになったので読んだ。
予備知識は「ガス室で有名な強制収容所のお話」だけ。小説?と思ってたけど、じゃなくて「居るのはつらいよ」みたいに実際の出来事を元にした学術書っぽい感じ。筆者は精神科医にして収容所の生還者。凄っ。
だいたい2つのことが書かれてたと思う。「人間」と「愛」について。
収容者の心理。
第1段階では、まだ助かるんじゃないか恩情を受けられるんじゃないかとフワフワしている。が、圧倒的な現実を目の前にして理解する。ちょっとカイジ思い出す。
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第2段階、どんな残酷な現実も何も感じずに見ていられるようになる。傍観と受身。やけくそのユーモアも生まれる。殴られることにも不感。それは無くてはならない盾となる。
生命維持だけに集中する。
どんな悪夢も現実よりマシ。パンや煙草や風呂の夢をみた。性欲はなく、食べ物を妄想する「胃袋オナニー」という言葉が生まれた。
寝る前にシラミを取る己の裸をみて、これが私の体か?もう死体じゃないかと感じる。外の世界を死者としてあの世から見てる感覚。
生き凌ぐために直接関係のないもの、人格や自我までもが無価値。そんな絶望の中にいると真実が骨身に染みる。その真実とは、
「愛により救われる。」
愛する人の姿を思いこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれる。
愛する人の「現存」は問題ではない。愛は精神的な存在「本質」に関わっている。
生きてるのか死んでるのかすら知るすべもないが全くどうでもいいのだ。
そう(それが愛)だよなあ〜
ってメッチャ思った。
愛とは何かって色んな人が色んなことを言ってるけど、僕はウチの子に教えてもらった「相手を笑顔にすることだよ?」を超えるしっくり加減の答えにまだ出会ってない。
そしてそれは「いるだけで」どころか過去に「いただけで」も授かることができるのを僕はさいきん思い知ってたびたび書いている。
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みんな僕ん家には居ないけど、僕を笑顔にしてくれる。だから僕はみんなに笑われたい。
過去であることも、一種のあることであり、おそらくはもっとも確実なあることなのだ。
たしかに!
光は暗黒に照る。妻は、ここに、いる!そのとき、なんだ?鳥は身動きもせず、あなたに冷ややかな目をこらす。
愛と存在について。日々考えていたことを、より壮絶な体験から学ばせてもらった。
「人間」として。
このような絶望にあってなお、なんらかの決断を下せる。それは「被収容者」として生きるか人間として踏みとどまり尊厳を守るか。
んでも人間でいられるのはカイジと佐原と石田さんくらいの少数なのだろうなあ。
そんな中で芸術やユーモアは自分を見失わないための魂の武器となる。
この2つのテーマは前述「死についてのハドル」で偶然取り扱っていた。第1回が「笑いと死」第2回が「芸術と死」
君たちはどう生きるか。
ってことだろう。本の中の言葉をつないでこの問いへの答え方を紡ぐ。
考えるのでなく「行動によって」「とことん具体的」に「たったひとつの、ふたつとない」答えを受け入れる。「苦しみを引きうける」ことに「ふたつとない何かを成し遂げるたった一度の可能性はある」
どんなに肉体的に虐げられても精神的な自由は奪われない。「生きる意味」はどのような覚悟をするかにかかっている。
生きる意味についての問いを180度転換させる。
生きしのげるかどうかを問うのではなく、苦悩や死に意味があるのかを問う。
この意味を求めてわたしたちはもがいていた
生きることに意味を問うのではなく、生きることが私たちに何を期待してるかと問う。
苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。
誇りをもって苦しみ、死ぬことに目覚めてほしい
僕は20代の頃、神道に興味もって本買おかと立ち読みしたら「神様が喜ぶ生き方をしろ」とあり、その1行で「完全に理解した」となって買わなかったんだけど笑、繋がるな〜。
人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。
心理的な第3段階。
収容所を開放されたあとの心理について。すぐには腑に落ちない、嬉しいとはどういうことか忘れていた、世界からなにも感じない、強度の離人症。などと第1段階と逆の反応、なるほどそうなるかという壮絶な描写があり、苦悩が帳消しになることも理解されることもないという新しい失意を乗り越えるのは困難であると筆者は述べて本は結ばれる。
僕はどう生きるか?気持ちくなりたい。その一心で最近ギター買って毎日歌っており、
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と読みながら思ったのでした。
読書感想文、どしてもほぼ要約になるなぁ。
もっと抽象的な感想かけるようになりたい。