「家族不適応殺」第8章読書感想文。
真実が語られない虚無な裁判。
↑第8章のサブタイトルに句点を付けたもの。
↓んなこともねーわ笑。
明らかになる新事実。鑑定医の診断「猜疑性パーソナリティ障害」
7章での「どちらかが嘘をついている」状態の答え、なのかも知れない。つまり家族の言動を曲解してしまっている可能性(それはここまでの章でもあったが)が医学的に診断されたことで大きく浮上。
そして検察側がその障害を追求、小島は黙秘する。
立場が逆だ。無期懲役になりたい小島と、それを弁護する検察。
家族の供述も真実味を帯びる。
6章では事実を言ってそうだが少し歪んで見えた。
7章では嘘をついてるように聴こえ不穏を帯びた。
8章で猜疑性パーソナリティ障害を意識して読むとまた印象が変わる。
そして小島は黙秘、黙秘、黙秘。
ドグラ・マグラ。
犯行状況の小島の供述。
4章で「無表情で目が据わっている」という複数の目撃証言があったが、当時の様子を「冷静に記憶」しており鮮明に語る姿に筆者も「ゾッと」し「不気味」に感じているし、にわかーずも多少驚いた。
だが思い出してみるとそういうものかも知れない。
大学のガラスを割った時、恐らくにわかーずの目は据わっていただろうし、粉々に砕けた大量の粒がキラキラ光りながら落ちる様子をただ「綺麗だなあ」と感じていた。
なんなら気持ちスローモーションで見えていた。ただその光景が目に入るだけ。ああ、砕けたなあと。その時は…罪の意識も薄い…。
そして、救われもしない。
PTSDに苦しむ被害者2人の心情。
漠然とした恐怖、一人になれない、閉所は家族と一緒でも入れない、旅行も行けない、傷跡を隠す生活、フラッシュバック…。
極刑を、重い刑罰を、望んでいる。
それは仕方のないことかも知れないが、それで救われるわけではないんだよな。
被害者遺族の調書。
母親の調書。
成績は良い、優しく親切、充実、仲睦まじい、ひょうきん。
凶器を持った人に素手で向かっていくでしょうか。
妻の調書。
なんとか生活を送っていけるのは、夫が「君ならできるよ」と励ましてくれてるように思うし、私自身もそう感じているからです。
二人とも、極刑は望まず、ただ、二度と起こらないための判決を、と。
たしかに小島個人の犯行は重刑で防げるだろう。しかし世界から犯行は消えないであろう。
我々は何を感じ、どうするべきなのか。
更なる被告人質問と最後陳述で8章は閉じられる。
「自己中心的」「最後まで変わらない」「無期懲役になるためのパフォーマンス」「真実が語られない虚無な裁判」
もうだめだこの筆者、と思ってしまう。一体何を取材してきたのか。ただ、取材して本にしてくれたのはありがとう。
法廷は「呆気に取られていた。」
と8章を結んでいるが、私の目に映るこの裁判は情状酌量の余地を感じてしまうものだった。
私が裁判員だったら?無期懲役を選ぶだろうか。
遺族の最終弁論。
「なぜこんな事件が起きたのか」「真実は結局何も明らかになりませんでした。」
筆者には同意出来ないが、この遺族の想いに激しく同意。
結局、小島の「むしゃくしゃしたこと」がここまで読んでも断片的で、最後のトリガーくらいしか詳しくは分からない。
「なぜこんな事件が起きたのか」
残り3章でそれが少しは分かるのだろうか?
それこそが筆者の仕事であり、そこから我々が何を感じどう生きていくのか、ではないのか?
頼むぞ、筆者。今日はここまで。