「巨乳の誕生」閑話休題〜乳の暴力〜
まだ序章しか読んでないのですが
おっぱいのことばかり考えてしまうので、現時点での考えを少し書き置いてみようかと。
「巨乳」が一般的ではなく、恥ずかしかったりサラシで隠したりしていた時代もあった。
「巨乳の誕生」の目次を見ると、そういった歴史に関する記述も今後でてくるようだが、必ずしも「巨乳=よいもの」であり続けたわけではなさそうだ。
私、脱いでもすごいんです
というCMが流行ったのはググったら1995年か、思ったより昔だなあ。裸体は隠すものである。しかしボディラインを匂わせることはできる。
乳の暴力
という言葉がある(わりと浸透してる言葉だと私は思ってるけど、どうなんでしょ)。検索すると着衣の巨乳画像ばかり出てくる。
ニットだったりバッグの襷掛けだったりと巨乳を強調したファッション。サラシで隠すどころか、今では「ない」女性も寄せて上げたり谷間を作ってみたり「盛る」時代。
(私、脱いだらガッカリしますよ?となるのであまりオススメはしない笑。)
なぜ「盛る」のか。
おそらく、肌の露出を多くしたり体のラインを強調することで「チヤホヤ」されたりした「せいこう体験」があるのだと思う。
つまり愛されたいのだろう。
しかし我々のような「モテないオヤジ」がジロジロみると「てめぇに見せるためにやってねーよ!」となる。「※イケメンに限る」ってことでしょう。
こう言われると「ァ…ァ…」となってしまい何も言えなくなって悔しいので少し書きます。「一体、だれに愛されたいのか?」
「アタシってぇ、男運わるくてぇ〜」という女性は決まって「盛る女」である。そりゃ運もわるくなるでしょ。
と、このように「オヤジ」と「盛る女」はいがみ合うことになる。
「盛る女」はさらに「モテない女性」ともいがみ合う。あざとさが目についたり、あるいはモテない側の妬みであったりするだろう。
話を戻そう。
「乳の暴力」という言葉が浸透した(?)のは、そこに共感があるからだろう。
暴力性。
乳の強調は暴力である、という共感。
乳の強調、「乳」を「性」だとして単純に英訳したら「セックスアピール」ではないか?なるほど、そりゃあ本能的に目も行くし、暴力的だ。
AIは学習しただけである。それだけ「巨乳信仰」が一般的になっているということだろう。
この時代に「貧乳が好き」という人はマイノリティだが、もしかしたらどこかで「暴力に屈したくない」言い換えれば「性欲に負けたくない」という想いもあるのかも知れない。
問い「我々はなぜ巨乳に惹かれるのか」
この問いを持って「巨乳の誕生」を読んでいる。ここで1つ仮説が立った。
巨乳とは、暴力だから。
つまりは飯テロのような。(こちらも暴力に焦点を置いた言葉が浸透してますねと今気付いた。)
女たちよ!盛るな!ラインを浮かせるな!
サラシを巻け!奥ゆかしさを思い出せ!
もっとべつの武器を磨け!運を上げるんだ!
続きはまたいつか。