「難聴者と中途失聴者の心理学」第1章読書感想文。
読書サークルに居ながらにして、めっちゃ久しぶりの読書。積読(スクショ)が山積みになってるけども僕にはまず読まなければいけない本がある。
サークルで出来た友達(かとうさん)からの贈与。「難聴者と中途失聴者の心理学」
僕は耳が悪い。
だからコミュニケーションが恐くて、僕はコミュ障ならぬ「コミュ恐」だと自分のことを説明する。そんな話をかとうさんにしたら「じゃあ難聴を克服する本を買いに行きませんか」となった愛の贈与。読書習慣のない僕は4ヶ月後やっとその本を開いた。さっさと読み進める。
第1章 聞こえづらさにまつわるさまざまな問題
読みながら「それな」しか出てこない。(「そういう人もいるんだな」という部分もある。)
多くの精神障害と同様に、難聴は見た目に分かりにくく理解されにくい。そんな聞こえにくさにまつわる困難や悩みについて筆者が論じてくれている章。
僕個人が特に「それな」と思った項目を挙げていきます。その前に本にはなかった僕の認識について話します。
「おはざーす」とか「っしゃあせぇ〜」とか言われたときに、人は文脈で「おはようございますって言ったんだな」とか「いらっしゃいませかな」と無意識に変換をしていると思います。
この変換をたぶん(たぶんと言うのは、無意識だし人と比べる手段がないので)僕は普段からメッチャやっています。
これには(たぶん)メッチャ集中力が必要です。しかもこれは「安心して話せている」時であり「恐怖している」場合は集中できません。
変換をするにはある程度の予測が必要です。「おはざす」や「っしゃぁせ」は予測変換が簡単ですが、知らない専門用語や固有名詞はほぼアウト。初対面の挨拶でつまづいて詰みがちです。
お笑いのお約束とか繰り返しのオチなら笑えますが、意外性のあるワードの笑いの場合、意外なので聴き取れず「クソ、こいつ天才だな」となります。予測できなかったことが悔しくなります笑。
か行、さ行、た行、は行あたりを使った3文字の言葉は変換候補が多すぎて大変苦労します。
コンビニでは「袋」と言ったのか「ストロー」と言ったのか分からなくてまごつきますし、注文のサイズやらなんやら質問が多そうなスタバやサブウェイには怖くていけません。(行ったことないから)知らんけど。
大勢がいるところの会話ではより集中しているため、後ろや横から呼ばれても気付かないこともあります。怒鳴られているのに気付かないこともしばしばです。
補聴器をつけていたこともあるのですが、これはとても感じました。みなさんはとても美しい音の世界に生きてます。その時の話や今なぜつけないのかなどの話は、長くなるのでまた機会があればと思います。
めっちゃそれな。仕事でもやってしまうのでめっちゃ詰みます。
これもパーソナリティによって違うと思いますが、僕の場合は遠慮ではなく恐怖しています。
こどもの頃から、聞き返す回数が増えるたびに相手が次第にイライラし怒りに変わっていく様子を何度も見てきたからです。
聞こえないなら唇を読めば?とか目を見て話したら?と言われることもありますが、怖くてできません。
「難聴者」と打つたびに、手元の予測変換が「なんちゃって」になってムカついてます。緊張しているのがなんちゃってじゃねーよ笑
まあこういう奇跡のおやじギャグがスマホ上ではなく会話でも産み出されたり、いつも予測変換している分もしかしたら記憶力や考える力の筋トレになってるかも知れないのは良い面かもしれませんね。
それな・オブ・それなです。
でも僕は光も音も感じることができるから、パチンコで脳汁ブッシャーすることもできます。それぞれの苦悩を抱えながら、この美しい世界に感謝していきたいですね。