「難聴者と中途失聴者の心理学」第5章読書感想文。
第5章 難聴者・中途失聴者の心理臨床的理解
これまで読んできたことの繰り返しになりがちな章。ならば繰り返しましょう。だいたいこんなことが書いてありました。
みんなちがって、みんなつらい笑。
言われてみればそれが当たり前だったけど、そこそこ不便だよな〜。
会話の流れ遮りたくもないしねえ。なので、
やるよねえ〜。
お。
うちの場合、食事中はTVを消して黙って早く食べろという教育方針だった(これが普通じゃないことを知らなかった)ので、難聴以前の問題でワロタ。とはいえ、
は腐るほどある。で、これも画一的には語れないのでしょうけど僕の場合「たいした話ではないから」と流される方が楽です。もちろん寂しさがないわけではないですが、誰だって世界の全てを知るわけではないし「たいした話ではない」のならホッとします。それよりも僕が聞き返してその「たいした話ではない」ものを理解するまでに、場のリズムが崩れることのほうが、僕にはつらいです。
全校集会で校長先生がなにか面白いこと言ってみんなが笑ってて、僕は隣の人に「今なんて言ったの?」と耳打ちして教えてもらって遅れて一人で大爆笑した体験を強烈に覚えてます。
本ではこういった「恥ずかしい体験」を繰り返すことの心理的影響などを説いていますが、僕の場合これは「笑い話」として覚えています。これを恥ずかしくないとするのも発達障害じゃね?と言われるとそうかも知れないですが笑。
しかし歳を重ねると、聞き返すことで間を悪くすることを嫌うようになってとりあえず笑うようになりました。1対1のときは笑う場面じゃなかったりすることもあるのが面白い(面白くない)ですが。
なにか面白いことを言ったとして、もう一度言っても面白くないことは往々にしてあります。「え?もう一回言って?」はわりとボケ殺しの有効な手段ですよね笑。「もうええわ」言うてもらた方が、僕は楽です笑。
これも今までの章の繰り返しになりますが、ほんとそれな。よく言ってくれたありがとうのお気持ち。でも「耳のせい」にせず「耳のおかげ」で鍛えられたこともあるんだな、もっと修練せなという気持ちにもなりました。
思うこともあるけれど、私は元気です。笑
さいごに。
難聴者の実体を知らせるために、一人の難聴者である筆者が自分の体験を書き記していたので、僕も自分の体験を語ります。
本にもありましたが難聴者は学校生活で困ることはそんなにありません。なぜなら聞こえなくても黒板と教科書があるからです。
社会にでて初めて問題を感じ、先輩のすすめで補聴器を試した時のことです。先輩のお姉さんが補聴器屋さんで働いていたのもあり、先輩の家で3人の場を用意してくれました。
補聴器をつけるとお姉さんは「どうですか?」と新聞をガサガサと丸めました。
!!!!!!!
僕は目を丸くしました。「ガサガサ」ってこんなに「ガシャガシャ」だったんだ!!まるで新聞のシワ一本一本が全て視えてくるような、強烈に鮮明な感覚を味わいました。
あまりにも驚いてリアクションのとれない僕に「これはどう?」とお姉さんは10円玉を何枚か床に落としました。
「チャリリリーン」と音が鳴ります。でも僕が今まで聞いていたチャリリリンは「ゴリリリーン」程度のものだったのでしょう。補聴器をつけたチャリリリンは「キンキンキラン、シャリリリリーン(絵文字沢山)」と聞こえました。大袈裟ではありません。ほんとうに。
その瞬間、涙がでました。
なんて美しいんだ。
泣いている僕をみて先輩はもらい泣きしていましたが、「補聴器初めてつけたやつ、泣きがち」は補聴器屋さんあるあるなのでしょう、お姉さんは特にリアクションなかったのが悔しかったです笑。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?