SNSを上手くなりたい
ドラマ「不適切にもほどがある」をみていたときの、SNSは誰も本気でやってない、という言葉が印象に残っている。
僕はSNSをみていると、頭のモヤが濃くなっていく感覚があるので、できるだけみないようにしているのだが、疲れていて何も考えたくないとき、世の中の流れを知っておかないとなんか不安に感じてしまうときについつい見てしまう。
僕が使っているのはXとinstgramなのだが、Xに関しては尊敬している人の告知や、プロ野球の速報の切り抜きなどしかみていないので、自分的にはうまく活用できていると思う。
しかし、instgramに関しては、身近な人の身近なものが垣間見えてしまうのが、なぜか嫌だった。
それはおそらく、instagramを見ているときは基本家で1人でいるときか、外で暇を持て余しているときなので、ここに今いる自分は、充実していない。
それに比べてinstagramの世界は、リアルタイムの充実した現実しか投稿されないので、それをみて、勝手に羨ましがり、妬み、黒い気持ちに拍車がかかってしまうからだと思う。
そういったことから、instgramなんかみたら人を嫌いになるだけじゃんと、思っていたので、知り合いのストーリーなどは見ないようにしてきた。
けど、先ほどの、SNSは誰も本気でやってない、という言葉を聞いたときに、そんなinstagramも現実の出来事として間に受ける必要はないのではないかと思った。
つまり、SNSは自分であって自分でない、SNS上の自分というキャラクターをいかに背景濃く作り上げるか合戦、なのだと思った。
そう考えたら、SNSに上がっていて、こいつ痛いな、と思っていた投稿でも、こういうキャラクターもありだなっ、と捉えることができる気がした。
まあでも実際は似たり寄ったりの投稿ばかりで、面白味はないのだけれど。
SNS向いてないな、と思いつつも、せっかくSNS盛んな時代に生まれたし、SNSで何かを起こしてみたい、と思う、暇な日曜の昼間でした。