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写真と映像による作品 「Circa(キルカ)」
3/16(水)より東京・恵比寿で開催される絵本のギャラリーMalle企画の合同展「物語を紡いで〜列車の旅〜」に参加します。テーマは、列車の旅、です。
立体作品を展示予定でしたが、年末に利き手を傷めてしまい、急遽以前から温めていた写真と映像の展示に変更しました。
モデルの仕事をしていた1996年~2001年にフィルムで撮影した写真をジークレープリントしたものと写真をアルバムとしてまとめたZINE、iPhoneで撮った映像を簡易編集したものを展示いたします。
私の大学の専攻は写真と映像ですが、写真の展示は8年ぶり、映像を「作品」として見せるのは、実は学生以来、およそ30年ぶりです。
今回のnoteは、決心がつかずなかなか手をつけられなかったのに、不意のきっかけで向き合うこととなった私の制作の原点でもある映像、写真という表現について、改めて発見したこと、思ったことを書いてみたいと思います。(ちょっと長いですが、お付き合いいただければ)
※私が学生の頃はまだフィルム撮影、編集が中心の時代だったので、写真や映像がこんなにも日常化した今の感覚では説明が難しいかもしれないので少し補足します。写真も映像も、そもそもカメラとフィルムと現像が1セットで、1枚の写真を撮るのにコストは今の比にならないほどかかります。フィルム映像が手軽にできるはずの8ミリもこの頃は衰退の一途を辿っている途中で、現像を頼むだけでフィルムがハワイまで飛んでいってしまう(例え話でなく本当に)。そして完成したものを上映するには暗い場所とスクリーンを確保した上で、見てもらうには会場に足を運んでもらう必要があったのです。活路はプロの作り手となってテレビや映画館で流してもらうようになること。理想の映像を作るため、当時はとにかくそれを目指していました。
美術の道に進みたいと思ったのはとても遅くて、高校3年生の春でした。
そこから更に、さまざまな事情で希望の進路(彫刻もしくは陶芸)を諦め、第二希望の広告業界を目指し、映像の勉強を始めたのが18歳の時。
けれど、希望に満ちて初めて自分のカメラを買い、撮影をしてみて最初にぶつかった壁が「頭の中のものを、そのまま作れるわけではない」ということでした。
今思えばそりゃそうだよ、ということなのだけれど、頭の中にはフレームなんてないから、現実には「頭の中にあるイメージをフレームで的確に切り取らなくてはならない」ということにまず転びました。高すぎる理想的なかっこいい映像はすでに頭の中にいつも思い描いていたけれど、それらを空気に触れさせ、頭の中から取り出しても耐えうる形状に保ち、他者に的確に意図が伝わるものにするためにはさまざまな技術と工夫が必要なのだということに「そうなんだ!」と真正面から打ちのめされたのでした。
10代の私は、カメラや、編集機材などの道具があれば頭の中をスコーンと取り出せるものだと思い込んでいたのです。大変おめでたいけれど、実際にやってみるまでは、本当にそう思い込んでいました。
最初の写真の授業での私の写真の評価も散々で、下手くそ、センスがない、何も分かってない、もっとひどいことも色々言われたような気がします。
それでも、ものづくりを諦めきれない私には、頭の中にあるものを取り出したい、という執念のようなものがあるように思います。私は、あまり幸せな子供時代を過ごせませんでした。家には居場所がない、その上身体も丈夫ではなく、小学生の頃から寝込んで学校行事も参加できないことが多かった。それでも、たった一人で泣くこともできずに見上げる空や、窓から差し込む光は美しくて、優しかった。現実世界は居場所もなく、息苦しいけれど、頭の中では自由で、この世界のもっと美しいものを見たい、探したい、という欲望に突き動かされるようにものづくりの道に進んだので、簡単に諦めるわけにはいかないという決意のようなものがあります。
その時も、じゃあ「いい写真」とはなんだ、とさまざまな写真展を見に行ったり、写真集を見たり、常にカメラを持ち歩くようにして、お金がないながら安いフィルムでとにかくたくさん、自分で現像して焼いてみて、納得いくものが撮れたか自分で検証する、ある程度まとまったら人の評価を聞く、ということをひたすら続けました。
ちっともいい写真なんか撮れない、ということが何年も続きましたが、それでも諦めずにとにかくひたすら撮り続けたことで、咄嗟に自分が撮りたい絵を撮るために露出はいくつ、ピントはここに合わせてこのように切り取るということが反射的にできるようになっていったのです。
何が好きかがはっきりわからなかった写真の中に、ようやく、自分の心地の良い画角、露出、自分の中の黄金比のようなものが見えてきました。結局7年くらいかかりました。
社会に出てからも細々続けていくうちに、ひとつだけ、「いい写真とは何か」がわかった気がします。
「自分には、世界がこう見えている」
それが伝わるか、伝わらないか。きっと、それにつきるのです。
ごく小さな子供の時に、たった今自分が見ているもの、聞いているものを誰とも完全に、正確には共有できていない、ということを発見して、たまらなく怖くなったことがありました。
一緒に同じ場所にいても、それぞれが視点も違って、みている風景も聞いている音も、立場も、それぞれ微妙に違っている。バックグラウンドも違えば、ものの感じ方も、考え方も、みんな少しずつ、違っている。
当たり前のことだけれど、それが知識や理性の範疇でなくて、生物として、なんだかものすごく恐ろしかったのを覚えています。
だから小さい頃はずーっと今見えているものを手当たり次第喋り続けたり、なんとか共有したいと絵や文章で書き留めたりする変な癖がありました。
ある意味、この恐怖は原初的な細胞レベルの視点では正しい感覚なのかもしれないですね。以前、東大の研究室で神経細胞の展示を見せていただいたときに、離れた部屋同士に置いた神経細胞が互いの方に手を伸ばし、手を繋ごうとする姿にとても心を打たれました。みんな、きっと繋がっていたいのです。作品を作るということは、共有するために遺伝子に自分の生きた体験を書き込んでいくようなイメージに少し似ているのかもとも思います。細胞レベルでの、欲求のような。
生身で生きていることはとても怖いことです。その怖さを和らげるために、いや、自分のためだけでなく、和らげあうために、ヒトは伝え合いたいのかもしれない。
さて、その後、華やかな世界でたくさんのクリエイターの方達と別の形で一緒にお仕事することをたくさん経験していくうちに、その場の目に見えない静かな空気感みたいなものを表したいと思う自分の世界観が映像の世界としてはごくごく地味に思えてきて、プロになりたい、という勇気もしぼんでゆき、写真も映像も諦めてしまいました。その分、元々やりたいと思っていた一人で淡々と向き合い続ける彫刻や絵画を制作するようになりました。
そして今回、仕事として彫刻や絵画を作り続けるようになって10年、不意の故障で久しぶりに向き合った自分の写真には主観ではありますが、想像以上に「私の世界」が写っていました。
長い時間がかかったけれど、今なら、見てもらうことができるかもしれない、と思っての初公開です。
小さな展示ながら色々な偶然が重なって、自分の居場所を求めるように日本も海外も飛び回っていた頃の写真を「旅」のイメージに重ねて発表できることがとても、ありがたいと感じています。
またいつか、何か、自分の見えている世界が、写真や映像で伝えることができたら楽しいだろうな、と思えた制作でした。
ぜひ、ご覧いただければ幸いです。
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「物語を紡いで〜列車の旅〜」
小川ナオ/三浦由美子/niŭ(敬称略)
■2022年3/16(水)〜27(日)
■月曜休廊/12:00-19:00
(最終日は17:00まで)
■東京都渋谷区恵比寿4-10-18
京マンション 2F
■JR恵比寿駅東口から徒歩3分
■http://galeriemalle.jp
■http://niu-official.com
□写真の展示、限定部数のZINE「Circa」の販売・展示、
列車の旅をイメージした映像(2022年撮影)の展示、
および列車の旅をイメージした音楽のセットリスト(←リンクあり)を公開
□限定のZINEには、旅の途中に差し出した、という想定の
架空の絵葉書が付属します。
一枚一枚手書きで、異なる文章を読むことができます。
どれが当たるかは、お楽しみです。