niŭ(にゅう)
雑記。タイトルそのままです。ひねりがなくてごめんなさい。
お知らせ📢のまとめです
過去の作品の紹介を兼ねて、作品と作品制作に関わる短い文章を載せています。
目が覚めてすぐに、谷川俊太郎さんの訃報を知った。 不思議な夢を見た後だった。 夢の中で、私はだいぶ未来の、荒廃した世界で生きていた。未来なのに今より随分若かった。 「ずっとひとりだからカレンダーをめくり忘れた日から、自分の年がわからない」と言っていた。 未来の世界は多次元の先にあって、意識だけで色々な時代を行き来している。だから実はその私は今の私でもある。どこにいてもいつも自分は実体がないもののように感じていたけれど、ふと空を見て「今」を感じた瞬間に身体が実体を伴って
以前にも書きましたが、学生時代は音楽のPVやCMを作る人になりたくて、映像の勉強をしていました。その映像を制作していた頃から、ずっと一貫して研究してきたテーマがあります。 それは「人の自然な感覚、知覚を導きだす数値を探る」というものです。 一言で「自然」というと自分の外にある大いなるもののイメージですが、私は人間もまた自然の一部と捉えているので、そうした意味での「自然」の中には、共通で呼応する「数値」があると考えています。 「数値」というと数字で限定される固いイメージで
"りぼんなんて大きらい” ”動きにくいしうっとうしいし” ”みんなかわいいかわいいってほめてくれるけど” ”ちっともうれしくなんかないわ” 私自身が子供の時、着せ替え人形のように服を着せられることが大きらいでした。大人になった今も、汚れたって破れたってかまわない動きやすい服が好きです。 これまで一緒に暮らした猫の中には、りぼんをつけると得意満面で喜ぶ子もいましたから、犬や猫にも個人差があると思いますが、やっぱり私と同じようにりぼんなんか大きらい、っていう子の方が多か
昨年からインスタレーション作品の構成パーツとして制作している球は、電飾ではなく自然の光で色が変わる球体を作ってみたくて、できました。 晴れの日も曇りの日も、太陽の赴くまま、「今ここにある光」を映し出します。 ※現在箱根のポーラ美術館にて期間限定インスタレーションとして2023年1/15まで公開中。「しあわせな犬」の彫刻を取り囲んで春の息吹が湧き上がるイメージで配置しました。
今年も年末年始、箱根のポーラ美術館「しあわせな犬」彫刻周りに期間限定のインスタレーションを制作させていただきました。 美術館のメイン展示は「ポーラ美術館20周年記念展 ピカソ 青の時代を超えて」。 よく取り上げられているピカソの独創性のみならず、どういった人物の影響でどのように作風が変わっていったか。青、と一言で言ってもどのように青の色が作られているか、どのようにあの独特な構図や作品は作られていくのか…など一歩踏み込んだ内容になっており、より深くピカソを知ることができて、
3/16(水)より東京・恵比寿で開催される絵本のギャラリーMalle企画の合同展「物語を紡いで〜列車の旅〜」に参加します。テーマは、列車の旅、です。 立体作品を展示予定でしたが、年末に利き手を傷めてしまい、急遽以前から温めていた写真と映像の展示に変更しました。 モデルの仕事をしていた1996年~2001年にフィルムで撮影した写真をジークレープリントしたものと写真をアルバムとしてまとめたZINE、iPhoneで撮った映像を簡易編集したものを展示いたします。 私の大学の専攻
niŭ 「しあわせな犬」2021-22年 冬季 インスタレーション 見えないものに目を凝らすEyes on the invisible(2021) 新年に向けて、「目に見えないけれど存在するもの」のイメージで「しあわせな犬」の周りにインスタレーションを制作しました。コロナがいまだ収束し切らない現状。漠然としたお祝いではなく、新年への希望を込めて。 多くの人が今、静かに、でも確かに、感じているように思えるのです。地球史全体からしたらごく僅かな人間の文明の中で、先人たちが発
子供の頃から、時々、寝ている時や歩いている時、お風呂に浸かっている時、作品制作で単調な作業に没頭している折など意識が自由な時に、ふと「世の中のことわりのあらまし」といったものが、考えるでもなくふわっっと浮かび上がるように思い至ることがある。 考えて導き出した答えでも、何かを調べたり読んで影響されたわけでもなく、ある時、急に日常の中にふわっと現れる。そうとしか表現しようがないのだ。 でも、突拍子もないものが出てくるということはなく、長年の疑問の答えだったり、なんでだろう、ど
これはいつの写真だろう。 多分7-8年前。まだモデルさんのお仕事をしていた時。 今はお空に昇って行ってしまった、憧れの大先輩と久しぶりにお仕事をご一緒した日の朝に、光がきれいだったスタジオの窓辺を撮った写真。 大先輩は、とても穏やかな方だった。素敵な方だった。 この写真を見るたびに、とてもきれいな朝の中で微笑んでいたその方の内面から滲み出るような美しさを思い出す。 その方とはモデルデビューしたての初仕事でご一緒させていただいた。 私は全くの新人、彼女はもうすでに超
2016年、渋谷パルコがなくなる、というときに書いた私的友人知人に向けたFaceBookの記事の転載です。 文化としてのパルコに育てられた世代。 オマージュとして、熱い思いを文章にせずにはいられなかった…。同じ思いの方がいれば…と思いこちらにも残しておきます。 渋谷パルコがなくなったのは、無くなったのではなく「亡くなった」という気持ちのほうが強い。 つい三日前に近くまで行ったのに、思い出と思い入れが強すぎて会いにはいかなかった。 10歳から東京で暮らした私にとって、
文字がなかった時代、あまり普及していなかった時代に作られたものに、とても惹かれる。 誰かが誰かに何かを伝えたくて描いたのであろう壁画、なんのために作られたのか、もはや定かではなくても、誰かが作り、別の誰かが大切にしてきたもの。 大聖堂の聖人たちに限らず、野山のあちこちに見られる道祖神や、お地蔵さんや、狛犬は、苔むしながらも誰かの思いで特別な意味を持ち、大切にされてきた。それが何であれ、私はただただ畏敬の念を持つ。 ものを作る上で、若い時は誰も見たことがないもの、かっこい
大学で映像を学び、現在は立体作品平面作品どちらも制作しますが、私にとっての創作活動の原点は詩作でした。彫刻や立体作品に目覚める前は、本気で詩人になりたいと思い、10代の半ばごろは、歩きながらもずっと詩を書いているほど文字やことばの美しさに取り憑かれていました。今も作品に言葉を必ず添えるのは、どんなジャンルの作品を作っていても、やはり自分の原点は詩でありことばだとの意識があります。立体も平面も、いわゆる一般的な文字やことばではない詩だと思って制作しています。とても久しぶりに詩を
※5/8 追記、及び訂正あり。 明日、5/1から始まる合同展「パンク・ニューウェーヴのレコジャケとアート展 NEW WAVE COSMOS 2021 ~ニューウェーヴの宇宙~」 。 緊急事態宣言を受けて期間中はオンライン開催となりました。(詳しくは上記リンクご覧ください) 本当に純粋に個人的な思い入れだけで作った今回の作品。ニューウェーヴへのオマージュとして、その時代の自分=10代の頃、よく描いていた絵を自己再現してみました。 ビアズリー、ミュシャ、漫画でいうと大島
これまで、縁あって犬や猫を保護した時、私は自分の心音を聞かせるようにしてきました。 パニックになっている場合は、最初は抱きしめられて体の自由が奪われる恐怖を感じさせてしまうことがあっても、敵意がないことを心音が語ってくれるのか、徐々に落ち着いて心が通い合う瞬間を何度も経験しました。 人間との間で怖い、辛い、悲しい思いをしてきた動物たちのうち、人間に愛されたいと願っていたのにひどい目にあった子たちからは、こんな声が聞こえるように思います。 気にいるようにできなくてごめんな
今年は花を描こうと思い、寒いうちにたくさんの球根を植えた。 切り花の花を描いていると悲しい気持ちが湧いてくるのは、切り花には枯れてゆく未来しかないからであろう、と思う。ならば育てればいいのではないか?と急に思い立ったのだった。 そのうちいくつかの球根は成長を観察するためにガラスの栽培ポットを買って水栽培にした。(球根の命を縮めてしまうそうなのでいくつかだけ) その球根がこの暖冬で花開いた昨日、その美しさに見惚れて何時間も写真を撮ったり写生をした。これから咲く花、咲いたば
12/23より箱根のポーラ美術館にて、年末年始の特別インスタレーション「春を待ちながら」が公開となりました。 この企画は今年夏頃から準備を進めました。外出に諸々規制のかかる昨今ではありますが、強い思いと願いを込めた作品が箱根にある、と思っていただけるだけでも嬉しいです。 写真と、作品のそばに添えたことばを掲載します。 「しあわせな犬」冬季 インスタレーション 春を待ちながら 2017年から、彫刻「しあわせな犬」をベースに期間限定でインスタレーションを制作してきました