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作品とは、レポートだと思う。


作品って、そもそも何でしょう?

私の場合は長年、作品=(イコール)「締切と課題のある制作物」でした。学生時代の課題尽くしの影響なのか、しばらく「作る側」を離れ、30歳を機に再び作品を作るようになってからも、「作りたい」とか「作らねば」という熱い気持ちとは別に、いつも大量の課題の達成と締め切りにばかりに追われて追い詰められて、気がつけば雲を掴むように見失いかけてしまうのが、そもそもの「作品を作る」ということの意味と意義です。

でも先にタイトルで答えを書いてしまったように、私にとっての作品作り=「レポート」なのだ、と気がついて取り組むようになってから、作ることに対しての意識も、責任感も、作業効率そのものも変わってきたように思います。

それ以前は、「見てくれる人」を想定すると、自分だけの風景に対する評価になんだか怖気付いてしまって(これも学生時代の影響かも?)ちょっと虚勢を張ったり、気合を入れすぎることもありました。意識しすぎるあまり、毎回締め切りギリギリまで方向性を迷って迷って捻り出したアイディアを(とにかく、とりあえず)見せられる、と思う形にする、ということを作品作りだと思っていたような…。

そのあっぷあっぷしながら作り続ける過程で偶然「レポート」として成立したときは受け手に思いが届き、制作物は制作物そのものの枠を超え、作者である自分の手を離れてなんらかの意味を持つようになり…かたや「レポート」として成立しなかったときは、そうはならない。そのことを何度も経験して「レポート」を完成させることを意識するようになりました。


ではこの場合の「レポート」とは具体的には何か?というと

阿らない(おもねらない)、嘘のない自分のことばで紡いでいく。「この世に生きていて、このようなことを発見した、考えた。それを、あなたと共有したい」という受け手ありきで綴る、研究論文や報告書のようなもの。

※ 自分のことば=言語もしくは言語でないもの(絵とか立体とか映像とか音楽など)も含む表現手段。


最近では一人でいることや、ことばではないコミュニケーションをとる犬や猫たちとばかり一緒にいて人と話すことがかなり少なくなってしまったけれど、例えば、犬や猫と過ごす時間で、その子たちが私といることでありのままにとてもリラックスしている姿、植物や虫をクローズアップで見てドキドキした気持ち、一人旅で眺めた景色、よく見る不思議な夢、自分にしか見えていない風景のうち心地の良いもの、面白いもの、少し怖いくらいのもの、そういったものをレポートしたい、と今は、シンプルに思うのです。 




 写真:大型の絵画作品「沸きあがる光」制作風景(niŭ 2016)

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